0-3.シルレント騒動
シルレントの姫が、皇子の「第一妃候補」としてイフリア王宮に滞在して……これは数ヶ月後のある日のこと。いつものように、イフリアの青い空はすこぶる良好で、穏やかすぎるほどであった。
「 エディエル! 」
上がりこんで来るなり、これ見よがしに大きな怒鳴り声を披露したシルレント王・ナーガスに、その第三姫・エディエルは両耳を塞いだ。
バン! と円卓〔テーブル〕の上に一通の文書らしき代物を突きつけると、ナーガスも興奮しつくしたと見えて、どっしりとその身体〔からだ〕を白い椅子へとあずける。
「なんだ? これは!」
この悠然と目の前に座る、豊かな大地色の長い髪に翠緑の瞳の姫は、普段から普通の姫とは一線を画〔かく〕す……じゃじゃ馬な姫ではある。しかし、こと今回の「結婚話」についてはまるで、いつものじゃじゃ馬とだけでは説明がつかない。
『 敬愛なる父上、母様へ。 イフリア帝国の第一皇子・ルディオンと結婚することにしました。ルディオンが部屋をつくってくれたので、もうシルレントの方には戻らないつもりです。
追伸。
暇なら遊びに来てね♪ 』
耳を塞〔ふさ〕いだ格好のまま、エディエルは卓上に置かれた……自分の筆跡である、 その 文書を取り上げて眉をひそめた。
「こんなに早く遊びに来るなんて、王様っていうのも暇な職業ね」
肘〔ひじ〕をついて、深々と息をついた。
この悪びれもしない姫の様子に、烈火のごとく父のカミナリが落ちる。
「こっんの、馬鹿娘! おまえがこんな真似をしなければ、私だってこんなところにいるワケがなかろうが!?」
そもそもこの姫があまりに執拗に、外交官への同席を申し入れるので、それでは社会勉強だと許可したのが、騒動の発端である。まさか、そこで「病弱皇子」として名高いイフリアの第一皇子・ルディオンと、結婚の約束を交わしてしまうとは……こっちが浅見〔せんけん〕だったというには、あまりに不条理な話ではないか。
「エディエル……まさか、本気であの皇子と結婚しようと考えているのでは、あるまいな?」
父のその言葉に、目を見開くと何をバカなこと……と娘の緑の瞳が訴えた。
「当たり前でしょ?」
「そうか……」
ほっと、安堵〔あんど〕の息をついたのも束の間、エディエルは真面目な顔をして告げた。
「 本気よ、わたし 」
あんぐりと口を開けると、ナーガスは自分の血を分けた娘を凝視〔ぎょうし〕する。
「エディエル、馬鹿なことはするな。おまえとあの皇子では七つも年がちがうではないか。しかも、ルディオン皇子は身体が虚弱だと聞いている……何度か命の危険まであったとか……」
ナーガスは心底、この第三姫を心配していた。王家の血筋の姫としては多少元気すぎるとはいえ、自分の大切な娘である……だからこそ、遠くシルレントの大地から水の国イフリアにまで彼はやってきたのだ。
しかし、そんな親心を知ってか、知らずか……エディエルはあっさりと父の言葉を遮〔さえぎ〕った。
「知ってるわよ。でもね、父上――わたしは退屈なシルレントの王宮になんて戻らない。ここの方が何倍も一日が楽しいんだもの」
「……まったく。親不孝者めが……退屈だというだけで、ディアナを倒れさせおって」
父の呟きにエディエルはわずかに動揺して、目線を上げる。
「母様が……?」
ナーガスはやれやれ……と息を深くつくと、頷いた。もともと、エディエルの母であるナーガスの妃は、じゃじゃ馬姫の産みの親とは思えぬほどに、繊細な精神の持ち主なのだ。
流石〔さすが〕にそうと聞いては、エディエルも強くはでれない。何よりディアナの精神の糸の細さは、彼女が一番よく目〔ま〕のあたりにしている事実なのだ。
倒れさせたのも、何も今回が初めてというわけではない。いつだったか……エディエルが毛虫の子供を一匹持ち帰っただけで、卒倒〔そっとう〕したほどだ。
不敵に目を細めると、ナーガスは姫に言った。
「どうだ? 帰る気になったか?」
「 父上の意地悪 」
ジト目をつくったエディエルが、ぼそりと一蹴〔いっしゅう〕。ナーガスをそう評した。
カッと立ち上がると、大人げない……それよりも一国の王であるには少々精神の鍛練〔たんれん〕が足りないのではないか? と、危惧したくなる様相で、ナーガスは娘を渾身〔こんしん〕の肺活量で怒鳴りつけた。
「……ッの、馬っ鹿娘がッ!? 帰れと言ったら帰れ! たかが思いつきで結婚を決めるヤツがどこにおるかッッ」
「ここ」
「――ッカァァァ! どこまで親をバカにすれば気がすむんだ?! おまえはッッ」
どこまでも修復を試みれない親子喧嘩に……それでも、部屋の壁で様子を眺めていた姫の世話役兼教育係である侍女・ルーンは、かすかな希望を祈る。
( これで姫が、少しでもシルレントに郷愁をもってくれるといいんですが )
しかし。
ツン、と澄ましている姫に、彼女と同じ大地色の髪に翠緑の瞳をしたナーガスは頭に血をのぼらせるばかり。
空しくルーンの口から、ため息がこぼれた。
それは本当に、彼女のかすかな希望でしかない。
(実のところ、王とエディエルさまは似てるんですよねえ…… 性格 が)
ドタバタと扉の辺りがにわかに騒がしくなった。
かと思うと、無遠慮にもバァァン! と親娘〔おやこ〕喧嘩の最中〔さなか〕にあるシルレントの面々へ、見た目にも体調のよろしくない少年が部屋の扉を開け放つ。
「 たのもぉぉお! 」
まるで、天使を思わせる愛らしい容貌の小柄な少年である。
父の怒声に戯言ばかりを返していた姫は、その姿を見てまるまると目を見開く。
「 ルディオン! 」
金の髪に、裏腹な生気を湛〔たた〕えた青の瞳。虚弱な身体を細い線で構成した彼は自他(?)ともに認めるイフリアの「病弱皇子」……その人である。
ここ数日は、特に体調がすこぶる悪く……今日も朝から厳重な管理のもと、「籠〔かご〕の鳥」で療養していた はず である。
……まあ、彼の脱走癖においては、王宮でも有名な話なのであるが――それにしても、
「ちょっ……、大丈夫なの、ルディオン?!」
いくら公然のお騒がせ皇子とは言え、自分の健康状態が良好の時にしか脱走は企〔くわだ〕てていないのだ。
エディエルは駆け寄ると、自分のことなどは棚に上げて、扉にかろうじてしがみついている幼い婚約者へと檄〔げき〕を飛ばした。
「バカ! 無理したら、本っ当にッ死ぬわよ! 虚弱なんだからッッ」
キュッ……と、ルディオンは遮るかのように年上の姫の手を取る。
「 …言っときたいこと、あって…… 」
流石〔さすが〕に、本人もキツいらしく真っ赤にほてらせた頬と、トロンと焦点の定まらない目を姫に上げる。
シルレントの王が来訪していると知ったルディオンには、どうしても……病床であっても、言いたい――言うべきことがあった。
「エディエルは、――ぼくが倖〔しあわ〕せにする、からね!」
絶対……と。
夢の中で告げたかのように、その声はくぐもって聞き取りにくかった。
でも、まあ。相手には伝わったのだから、本人は満足していることだろう。
「 ……… 」
放心したエディエルは、ぽつりと頬を染めていた。
「ほんと、バカ」
言うだけ言って、当のルディオンはくたり、と意識を失っている。
小さな……まだ十ほどにしかならない皇子の熱い身体を支えて、エディエルは照れかくしに呟〔つぶや〕いた。
「エディエル姫! ルディ様は――…」
脱走を企てた皇子を探してやってきた黒騎士は、姫の腕の中で倒れている主人を扉口で見つけると、感服に静かな間をつくる。……仮面を外した彼の銅色の髪に印象的な青の瞳の素顔は、なかなかに端正と言える。
と、ゆっくりとルディオンを抱き上げて、扉の向こうに連れていこうとした。
部屋の中に、シルレント王がいることを知ると、軽く会釈〔えしゃく〕をする。
「これは、ご無礼を」
「あっ、アル。わたしも行くわ」
「え? しかし……」
ナーガスの方をうかがい、困ったように黒騎士は姫を見た。
「いいの、いいの。ね、父上」
「………」
父の言葉を待たずして、エディエルは扉の向こうへサッサッと姿をくらませた。
*** ***
イフリア皇帝、イグダリオ・エトル・ゼス・イフリアを前に、シルレント王、ナーガス・セロ・トゥ・シルレントは対峙〔たいじ〕した。
ここは、イフリア王宮の「玉座の間」である。際にある開かれた大きな窓では、白いカーテンがハタハタと穏やかな風に身を踊らせていた。
「では、よいのか? シルレント王」
少々、予想とは反したナーガスの言葉に、十の息子をもつ身にしては老年のイグダリオが聞き直した。
まさか……聞き間違いではないか。
しかし、シルレント王のその威厳の顔には、おだやかな笑みさえも浮かんでいる。
「ええ、エディエルの好きにさせることにしました。あの娘〔こ〕は早々……実の親でさえ手こずるほどの姫でしてね」
ナーガスは苦笑すると、耐えきれなくなったといきなり大きく笑いだす。
「く、あ−ッはっはっは、はっはっはっ!」
「ど、どうしました? シルレント王」
あまりの馬鹿笑いに、度肝を抜かれたイグダリオは躊躇〔ためら〕いつつも問うた。
ぶぶ……といまだに、笑いをふくんだナーガスは、尊敬とも不敵ともとれる目で、イフリア皇帝を見る。
「イフリア皇帝……いかにして、あのような皇子を育てられた?」
「 は? 」
突然の……しかも、思いもよらないその言葉に、イグダリオは真意をはかりかねる。
「私はエディエルが生まれてこの方、あのような動揺の仕方を見たことがない。――そなたの皇子は、なかなかにすばらしい気質を、もっているようですな」
いや、じつに貴重だ……と、ナーガスはその姫の姿を思い出したのか、ふたたびぶくく……と笑いだす。
落ち着いたイグダリオは、そうですか……と微笑〔ほほえ〕んだ。
「いや、それならば貴方の姫もなかなかにすばらしき気質の姫君と見える」
ルディオンと同じ金の髪に青の瞳の、線だけは強く伸びた皇帝と視線を合わせると、ナーガスもゆったりと微笑んだ。
「まあ、エディエルのヤツをよろしく頼みます。皇帝」
「あい解〔わ〕かった、安心めされよ。私の目の黒いうちは、息子に悪さはさせませんよ」
クッ、とナーガスはさも可笑〔おか〕しく笑うと、イフリア皇帝へと敬意をあらわした。
「 長い付き合いになりそうですな、お互い 」
言うと、二人の一国の長は同時に破顔した。
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