0-2.じゃじゃ馬姫
シルレント王家、第三姫エディエルは、いまいましげに先程〔さきほど〕、世話役兼教育係であるルーンに着替えさせられてしまった……いわゆる姫の正統派ドレスを摘〔つ〕まみあげた。
まあ、その以前に着ていた衣装も衣装であるから、忠実な世話役兼教育係を責めるわけにもいかないだろうが。
『姫さま! 貴女は豊かな土地と穏やかな気質を誇るわがシルレントの姫という自覚があるのですか!?
――いえ、答えていただかなくて結構! 貴女はご自分の位置というものをまったくお考えになっていないのです、十七にもなって!
……この友好国イフリア帝国において、あのような……馬番の格好をするなど……ッ! もしも、ほかのこの国の者にでも見られたならどうするおつもりです!』
ルーンは主のエディエルよりもわずかに年上である。なにもない日常であれば、あたかも兄妹か姉妹と思われるほどに仲のいい主従なのであるが、こと姫の問題行動となってくると、おだやかには解決をしてくれない。
『あらあ、ルーン? それでは何? 馬番が イヤしい 、まったく 無意味な 仕事をする人たちみたいではないの? おまえ、そんな狭心〔きょうしん〕の持ち主だったの?』
『 ! 』
なおも揚〔あ〕げ足をとり、いまだ馬番姿で反省をする様子のない姫にいつもは優しい面の少々男顔をしたルーンは、激怒した。
『姫さま、お覚悟なさいッ! この世話役筆頭、教育係監督ルーン・ガル、この度の外交官公務にご同行を許した王と妃の深慮が恥となるような諸行、断じて許しません! 心を鬼にして姫さまを改心させていただきます!』
『きゃ、なにするの、ルーン! あなたの主人は、このわたしよ! 父上でもなければ、母様でもないわ!』
バッ……と、おもむろに姫の衣服につかみかかり、脱がしにかかったルーンに、エディエルは甲高い叫び声を少々おおげさに上げてみせた。
『愛のムチです! 姫さま、シルレントの第三王女として恥ずかしくない姫に……いざ、教育!』
……というわけで、いまエディエルは不本意ではあるが、姫として当然か、それに勝〔まさ〕る豪奢〔ごうしゃ〕な衣服を身にまとっているのである。
エナメルの透き通った輝きが、彼女の濃く豊かな大地色の髪を包んでいた。
「あーあ、動きにくいったらありゃしない。どうして、「姫」っていう人種は、こう……とうてい実用的とは思えない格好を好むのかしらね」
翠緑〔すいりょく〕の眩しいほどに生き生きとした瞳は、今は思いのほかくすんで見え、ほとほと嫌気〔いやけ〕がさしたとでも言うように軽ーく瞼を半開きにしている。
ふぅぅぅぅ……と、エディエルは重い溜息をついた。
「 まるで、これでは籠の鳥だわ…… 」
と、感傷的になった眼差しを閉められた窓に向かって投げた。
その時――。
「 わ、わわわわわわ! 」
「 ! 」
ふいに聞こえた、奇妙な子供の声にエディエルはすばやく立ち上がると、勢いよく窓を開け放った。まったく、それは尊敬に値するほど的確で、見事な判断力だった。
「 とわっ!」
エディエルが窓を開け放った途端、木の葉を身体いっぱいにくっつけた小柄な少年が、奇声を上げて部屋へとつっこんできたのである。
窓際に連立する低木から飛び(落ち?)込んできたものらしい。一つの低木の枝が、わずかに葉を散らして揺れている。
ドタッ、と床に転がると、少年は間髪入れずにすばやく立ち上がり、身を伏せるかがんだ状態で、必死に彼女にシーッ、と人差指を唇につける「静かに!」のジェスチャーをしてみせる。
「 ……… 」
少年は見るほどに可愛い顔立ちをしていて、金髪に澄んだ青の瞳などはまさしく天使に似つかわしかった。年齢は、身体はひどく小さいがおそらくは十ほどであろう。
かしこそうに整った目鼻立ちが、そうエディエルに感じさせたのだ。
ガサ、ガサササン
ちょうどその時、少年の飛び込んできたちょうど同じ低木の木立ちから、人捜〔ひとさが〕しげな人物が姿を現した……イフリア王宮お抱えの黒騎士である。
仮面をしているので確かな顔はわからないが、ひどく印象的な澄んだ青の瞳をしている。
彼は、姫の姿を認めると困惑したのか、わずかに表情をくもらせたように見えた。
「失礼ですが、姫。このあたりで小さな男の子を見ませんでしたか? 金髪に青の瞳をしているのですが」
「いいえ。――見ませんでしたわ、騎士様」
きっぱりと言い切ると、エディエルは姫らしくはかなげに微笑〔ほほえ〕んだ。このような演技には自信があるのだ。
「お役に立てなくて……。ごめんなさい」
「いいえ。――では、姫、このご無礼許してください」
言うと、黒騎士はふたたび低木の中へと消えてった。
あさく息をつくと、エディエルは身を隠したままジッと自分を見ている少年へと視線を落とした。
「貴方、誰? わたしには訊〔き〕く権利があるわよね?」
にっこりと微笑んでみせると、キラキラと好奇に輝いた翠緑〔すいりょく〕の瞳を少年へと近づける。
「う……ッ!」
弱いところをつかれて、少年は困惑に可愛い顔を歪めた。「借りはやっても、作るな」……少年には、もしかすると、そんな言葉が巡〔めぐ〕っているのかもしれない。
「……でも、けど……まかんない?」
などと、苦しまぎれに商人気質のような物言いをする。
エディエルはショックを受けて、大仰に顔を歪めてみせた。
「まあああ! なんてこと! 不審人物を部屋に入れたとなれば、姫として許されませんわ! 騎士様に申し上げなくては!」
慌てて、少年は姫の豪奢なドレスにしがみついた。
「……なんですの?」
「……おねがいだよ、だまってて」
「まあ、そうね? 相応の交換条件を満たしてくれれば、考えないこともないわよ」
しばらくの間、ウンともスンとも言わない少年を、エディエルはかがんだ状態でからかった。
「うふぅん? どうした? 少年。わたしの問いに答えてくれるの? くれないの?」
「うう……わかっひゃ。わかっひゃから」
コンコンと軽く頭を指で小突かれ、ほっぺたを弄〔もてあそ〕ばれた金髪の少年はたまらない!……とばかりに声を上げる。
「 よろしい! 」
大きく笑った姫を前に、少しばかりの不満を顔に出して頬をふくらませた。
「 ぼくはルディオン。ここの「第一皇子」だよ 」
目を見開くと、エディエルは楽しげにまだ小さな皇子をまじまじと見た。金髪に澄んだ青の瞳という姿や纏〔まと〕う衣服の仕立て具合、王宮お抱えの黒騎士の対応から……おそらくは、やんごとない身分の少年だとは思っていた。
イフリア帝国の第一皇子といえば、虚弱体質で通っていたはずである。だから、外出だって極端に制限されている。
「まあ! 脱走ですか?」
「そうだよ! ……でも、いつも失敗するんだ。アルのヤツが入ってからは、もうそりゃあ至難のワザなんだから!」
ふくれたまま、ルディオンは今までの苦難の道を思いだし、感慨にふける。
しかし、エディエルの方はと言うと、少年の出した「アル」という名前の方が気にかかった。なんとなく、思い当たる節〔ふし〕があったからである。
「アル?」
キッ、と反射的に彼女を睨みつけると、ルディオンは頷〔うなず〕いた。
「そう! アル。さっき会っただろ? あの黒騎士さ」
やっぱり……と、エディエルは息をついた。あの黒騎士はなかなかに卒〔そつ〕のない空気の持ち主だったからだ。
「ふぅぅぅん、なるほど。確かに手強そうよね、あの人は」
パッ、とふくれっ面を一変輝かせると、皇子はエディエルに向かって言った。
「おまえもそう思う? なかなかいい女だな♪ ……よく見れば容姿もぼく好みだし……よし! 女、おまえを「第一妃候補」としてめしかかえてやる!」
それは、突拍子もない申し出であった。有り体に言えば、卒倒〔そっとう〕するくらいの衝撃……と言えばいいか。
が、ここで考慮してほしいのは、エディエルの方もただの姫ではない……ということである。彼女は何より「退屈」……それこそを忌〔い〕み嫌う女性なのだから。
人生は何より変化……が大切なのだ。
(……それに、この皇子なら将来が楽しみだわ)
と、人生設計にも余念がない。
にっこりと優雅に笑みを湛えると、差し出された皇子の小さな手を受けた。
「お受けいたしますわ、ルディオン。わたしは貴方の生涯の伴侶となりましょう」
のちのちのルーンの絶叫が予想しえて、小悪魔のようにエディエルはほくそ笑んだ。
*** ***
「 ルディ様 」
外交官に同行して、イフリア王宮に滞在しているシルレントの第三姫……エディエル・トゥ・シルレントの部屋から幼い彼が窓を超え出てきたところを、皇子付きの黒騎士アルディ・ディエ・トラドゥーラが木立ちの陰に立って待っていた。
バサササ、と黒い羽根がいきおいをつけてルディオンの頬をかすめ飛んでいく。
アルディの従鳥である隻眼〔せきがん〕の暗黒鳥。
ペヘッペヘッと、皇子は顔面にまき散らされた緑豊かな木の葉をけむたがった。
初めこそ目の前に現れた黒騎士に顔を歪めたが、ルディオンはそれほど落胆も見せずに観念する。通常であれば、ここでもう一悶着〔ひともんちゃく〕あるところであるが。
「満足致しましたか?」
と、黒騎士は仮面を外し、その鈍い銅色の髪と澄んだ青の瞳を見せる。端正といっていい顔立ちである。
「アル、あの女をぼくの「妃候補」にするよ? メリアにそう言っといて」
「……それは。本気、ですか?」
メリアとは、ふくよかな母の温もりをもったルディオンの乳母のことである。
わずかに硬直した黒騎士の声が、皇子に向き直る。ルディオンはトーンを変えることなく、さらりと肯定した。
「とうぜん! ぼく、なんだかとっても気分がいいんだ」
確かに血色などは、とても病弱とは見えなかった。たいてい、脱走が失敗に終わった時は、すぐと熱を出すのだが……今回は異例に体調が軽快らしい。
「解〔わ〕かりました」
息をつくと、アルディは諦めて承諾する。この幼い皇子は生意気でヤンチャ、そして、あろうことか脱走癖まである。……ある意味わがまま、ある意味……とても意志が固いのだ。それに、言動とは裏腹に結構、価値観はしっかりとしている。
そっと皇子の額〔ひたい〕に手の平を当て、アルディは顔をしかめた。
「やっぱり、熱が出てる。――ルディ様、部屋に戻りますよ」
「……ちぇ」
唇を不本意そうに突き出すと、ルディオンはしぶしぶと自室の方へと向かって歩き出す。見ると、すこし足元が頼りなげであろうか。
「気分がいい」とはいいながら、やはり病弱皇子は健在(←妙な言い方)。これから半日ほど、彼は寝込むこととなったのである。
それからイフリア王宮は前にも増して忙しく……騒がしくなった。
「姫さま! また、そのような格好をして!」
と、ルーンが叫べば、
「皇子が……皇子が脱走を……!? アルディ様!」
と、メリアの困憊〔こんぱい〕の嘆きが響く。
今度は踊り子にふんしたエディエルが、皇子の妃候補にと用意された自室で動じないふうにすまして座り、対岸にいる可愛い天使に言った。
壁の一つに開かれた窓からは、イフリアの緑の匂いと……かわいた穏やかな空気のうねりが流れこみ、室内にいる彼らの頬に触れて豊かに満ちていく。
「ルディオン、退屈っておそろしいものね」
工匠の手を介した椅子に腰掛けた年上の姫は、薄い生地で素肌をのぞかせた大胆な格好でスラリと足を組む。
紅茶を口にするルディオンは、キョトンとして首を傾げた。
「タイクツ? ぼくはそんなもの知らない」
それから二人は、何故か微笑〔ほほえ〕みあい、それはそれなりに幸せそうではある。しかし、その周りにいる者は気苦労が倍加しただけで、幸せでもなんでもない。
「ひ、めさま……」
「皇子……」
ゼイハア、ゼイハア……と、主人二人のそのあまりに平和的な様子にルーンやメリアなどは脱力する。
「 やれやれ 」
黒騎士アルディは、かわいそうな従者二人の姿を見つめ、皇子付きになったことをしばし、複雑な思いで後悔した。
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