1-8.皇帝覚醒・8


 あからさまに嫌そうにザスランを見返すと、エディエルは訴えた。
「ちょっと! 縁起でもないこと言わないでよっ」
 その若葉の眼差しには、確かな怒りが浮かんでいる。
「本当のことだ……認めるんだな。エディエル」
 むぅ、と顔を不服に歪めると、エディエルは剣を持つ手に力を込める。
「ルディオンは、ナドゥフォーヌ姉さまとは違うわ!」
「そうかな?」
 意に介さない騎士公を見上げる。
「ねえ、ザスラン兄さま。――大切な人は、誰とも違う存在〔モノ〕だわ。
 それとも兄さまは、もう……姉さまと出逢ったことさえ悔やんでしまっているの?」
 だったら――。

(ちょっと見損なっちゃうな、わたし)

「 ! 」
 ひゅっ、と。
 目を見開いたザスランの頬を、エディエルの細身の愛剣が掠〔かす〕めていた。
 クセのない赤銅の髪がわずかに床に落ち、切れた彼の頬からは一筋の鮮血が流れる。
「まさか。そんなハズがない」
 怒りに澄んだ緑の瞳に向かって、ザスランは苦い笑いを浮かべた。
 剣を引くことなく、エディエルは騎士公をまっすぐに見据える。

「負けを――」

「……ああ、おまえには負けたよ。エディエル」
 剣を放棄して、ザスランは手を上げた。
 瞬間、黒騎士の勝者宣言が響いた。


*** ***


『ねえ、エディエル。その「毛虫」ってどんなモノなの?』
 シルレントの大地色をした髪に、若葉の瞳をした色白な姉が不思議そうに「じゃじゃ馬」と呼ばれる三の姫に訊いた。
 外をほとんど知らない彼女にとって、この幼い妹の話ほど奇異で興味をひく世界はなかった。
『あのね、あのね。モジャモジャしててチクチクするの……んー、こんどナドゥフォーヌねえさまのために、もってきてあげるね♪』
 喜々として答える三の姫の言葉に、「病気がち」な二の姫はおだやかに微笑んでみせた。
 後日、コレが「神経の細い」シルレント王妃を気絶させる事件に発展しようとは夢にも思わずに――。



 姉さま……。
 今は亡き姉を想って、エディエルは剣を鞘に戻す義兄を見る。
 ザスランはふとエディエルを見返すと、ニヤリと意地の悪い表情〔かお〕をする。
「おまえには負けた。しかし、――まだあの皇子を「認めた」ワケではない」
「兄さま!」
「負けると解かっていて、本当に来るかな? 私にはとても信じられんが」
「 来るわ 」
 朱色の騎士装束の胸を張って、くすりと笑う。
(姉さま。……あなたの想い人は本当、まったく素直じゃないわ)

「賭けてもいいわ」

 くすくす、とエディエルは声を上げて笑い出した。
「ルディオンは絶対、来るから」
「 あーっ! 」
 そうエディエルが言ったそばから、噂の彼の大きな声が競技場に響いた。
 入り口の大きな扉のところに立った小柄な少年皇子は、エディエルを指差して固まる。
「なんで、ここにエディエルが……いるのさ」
「……やれやれ。とことん私の負けらしいな――」
「へ?!」
 事の成り行きをまったく理解していないルディオンは、ザスランが自分の横をあまりに自然に素通りしようとしたので見送りそうになり……慌てて、止めた。
「待て。僕との勝負はどうするんだ?」
 真剣な皇子の顔を目を丸くして見下ろし、ザスランは口をふと笑ませた。
「命拾いしたな、皇子」
「は?」
「君の婚約者に聞きたまえ……今日のところは私の負けだ」
「え? あ、ちょっと待て! おい、コラ。エディエル〜〜〜何をしたっ!」
 イヤ〜な予感がヒシヒシと伝わってきて、ルディオンはしれっとした年上の婚約者にジトリと恨みがましい目を向ける。
「勿論、勝負したのよ」
「 なっ! 」
 愕然となる病弱皇子にじゃじゃ馬な姫は、剣の柄を嬉しそうに撫でる。
 と。
 男としては、聞きたくもないコトをあっさりと明言した。
「ね、よかったでしょ? わたしが剣を習ってて」
 ふるふると肩を震わせて、ルディオンは俯いたまま低く唸る。
「いいワケがないだろ……いいワケが……つーか」
 キッ、と上機嫌の姫に絶叫する。

「ぜんぜん、よくなーーーーいっ!」
 彼の澄んだ青の瞳には、一滴……情けなさに涙が光っていた。



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