1-7.皇帝覚醒・7


 一日を挟んで、黒騎士精鋭の管理する剣技場に入ったアルディは、その広い競技場の真ん中に立つザスラン・ド・サー・リュースベルを確認して、リュカ帥卿の苦悩に同情した。

『皇子と賓客であるリュースベル公爵に望まれては、致し方ない。――そうだろう?』

 真摯な眼差しの黒騎士精鋭の帥であるジーザ・ゲル・リュカが……そう、無理に笑ってみせるのを見た時、アルディには「そうですね」としか答えようがなかった。
(まったく、少しは周りの人間の苦労を察してくれてもいいものを)
 アルディの姿を見つけたザスランが、手を挙げた。
「何か言いたそうだな」
「ええ、まあ」
 クッ、と口の端に笑みを浮かべた騎士公は、ただ黒騎士を眺めてその先はあえて訊〔き〕かなかった。
「ところで、君の主人はどうした?」
「おそらく、もうすぐ来られると思いますが」
 しかし、アルディはこの勝負には悲観的だった。ルディオンは病み上がりのうえに、この騎士公に勝てる見込みなど到底ない。
 これは、剣の素質とか才能、取り組む姿勢、練習量以前の問題で、ルディオンには本格的な剣の稽古に耐えうるだけの体力がない。ゆえに、今までも剣の指南は何回かしたが……稽古らしい稽古は数えるほどしかしたことがないという絶望的な状況なのだ。
「そうか。しかし、貴様は反対なのだろうな? この勝負には」
 すべてを察した深い緑の瞳が、からかうように言い――やわらかな表情で断じた。
「その気持ち、分からなくはない。何しろ、彼が勝つ見込みはない……そうだろう?」
「ええ」
「それに、彼が恐れを感じて来ないという確率は?」
 アルディは思わず笑うと、首を振った。
 まったく困ったことに、その心配だけはなかった。
「あのルディ様が、そのようなこと――するワケがありません」
「何故?」
 少し考えて、アルディは言った。
「ルディ様は「負ける」ことなど怖くないんです。ある意味、あの方はそういうことに慣れていますから……そして」
 澄んだ青の瞳が、誇らしげにザスランを見返した。
 この物静かな黒騎士には、めずらしくそこには挑発的な笑みを浮かべている。
「そして――それゆえに、私たちにはない「強さ」があるんですよ」

「 そうよ 」
 いつの間に入ってきたのか、朱色の騎士装束に身を包んだエディエルが、腕を組みスラリと立っていた。
「ルディオンは来る。絶対に――だから、ザスラン兄さま」
 エディエルは眩しいほど鮮やかに笑うと、剣に手を添える。
 ザスランは目を瞠って、彼女を見た。次の言葉は、聞かなくても分かっていた。
(どこまでも、おまえはじゃじゃ馬姫だな……エディエル)

「 その前に、わたしがお相手させていただくわ! 」

(そこまで、あの「病弱皇子」の身体を気遣うとは妬〔や〕けてしまうじゃないか)
 腰の剣に触れる指先を遊ばせ、ザスランは全身に神経を張りめぐらせた。


*** ***


 キンッ!
 剣が弾かれる、高く澄んだ音が響く。
 飛び離れたエディエルは、体勢を整えるとすぐに飛び掛る。
 長い大地色の髪が流れ、あとに汗が飛び散った。
「ハッ!」
「――ッふ」
 その鋭い剣身をまともに受け止めると、ザスランは衝撃すべてをその身の中に吸収する。
 類稀〔たぐいまれ〕な剣の才を秘めていたとして……それでも、エディエルには騎士公であるザスランを負かす可能性が少なかった。

(絶対的な、練習量の違い……)

 予期せぬ勝負に立ち会ってしまったアルディは一瞬躊躇しながらも、その目を瞠るようなエディエルの剣の腕の成長具合に思わず見入った。
 しなやかな肢体の動き。
 突発的な変則はまさに神がかっている上に、細身の剣の操術は素晴らしく無駄がない。
 もう少し、彼女が長く実践を積んでいたなら――あるいは、いい勝負になったかもしれない。
(まったく、どうしてこの方が姫君なのか……)
 悔やむしかない。
 この勝負には、間に合わなかった――そのことを。

「エディエル、おまえは私には勝てないぞ」
「……そんなの、まだ、分からないわ」
 余裕のザスランに対して、エディエルはすでに息を乱していた。それは、運動量の違いもさることながら、経験からくる身体の鍛錬の差でもある。
「諦めるんだ、エディエル」
「イヤ、……だって、言ってるじゃない!」
 キッと、ザスランの深い緑の眼差しを見上げると、エディエルは剣をザスランの剣から弾いて後ろに飛びすさる。
「わたしの気持ちを想うなら、お願いよ。ザスラン兄さま」
 苦しい息を吐きながら、エディエルは懇願した。
「ルディオンの傍にいさせて。ザスラン兄さまには、この、気持ち、解かってもらえると、思うの。そう、でしょう?」

「――解かる。だからこそ」

 ザスランは躊躇〔ためら〕い、剣を引いて構えなおす。
「私は……おまえにこの喪失〔うしな〕う苦しみを味わってほしくないんだよ」
 愛する者の体温が急激に失われていく瞬間を。
 二度とは、微笑まない喪失感を。
 知ってほしくない。そうなった時の、エディエルの嘆きを聞くのは耐えられなかった。
 それは――まるで。
「彼は、おまえよりも先に逝〔い〕く。ナドゥのように……」
 いまだ自分の中にある、その喪失感〔痛み〕にザスランは顔を歪めて微笑んだ。



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