1-6.皇帝覚醒・6
知らず、衝撃に呻〔うめ〕いていた。
「たたた」
目を開けると青い空が広がる。そして、大地色をした長い髪の彼女が、身を起こすところだった。
意図せず下敷きにしてしまった皇子を、覗きこむ。
「平気? ルディオン」 「 ん」
少し笑ってみると、エディエルがホッとした表情をする。
「ごめん。ありがとう」
「礼など必要ない」
と。
ふわりと笑って礼を告げるエディエルの背後で、抑揚のない言葉が降った。
バルコニーから飛び降り、着地した黒騎士も騎士公の好戦的な言葉に立ち止まる。
「一緒に落ちるとはな……あの黒騎士ならば、そんな醜態はさらさなかっただろうに」
「 ! 」
ザスランの容赦のない非難に、エディエルが驚いた。
「ザスラン兄さま!」
「皇子、自分でもそうは思わないか?」
「………」
最初こそザスランを睨みあげていたルディオンだったが、言葉を発することなく俯〔うつむ〕いた。
立ち上がると、
「アル、エディエルを頼む」
「ルディ様?」
「ぼくは、自室に戻るから心配するな――」
言って、やけにあどけなく笑う。
「皇子、ひとつ勝負をしませんか?」
背中を向ける華奢な身体に、不敵に微笑んでザスランは言った。実質、これは「決闘」の正式な申し出になる。
「………」
見返す、澄んだ青の瞳へとまっすぐに告げる。
「明後日、剣技場で――立ち合いは、この黒騎士でいいだろう。どうです?」
「 いいよ 」
めずらしく静かな少年の声が、あっさりと受諾した。
そして、そのまま自室に向かって振り向かなかった。
ジットリ、とザスランを見上げたエディエルは、ぽそりと聞こえよがしに呟いた。
「ザスラン兄さまって、意地が悪いわ」
「なんとでも」
しれっとエディエルの恨み言をかわすと、ザスランは可笑しそうに笑う。
姫は嫌そうに顔をしかめて長身の昔馴染みに言い放った。
「あんな言い方ってないわ。絶対、傷ついてる……アルを引き合いに出すなんて、最低よ!」
ふん、と彼から顔をそむけると、エディエルはルディオンの後を急いで追った。
「――最低、か。貴様も私をそう……思っているのだろう? 黒騎士」
「……それは」
静かな澄んだ青の瞳が、ザスランを見つめいていた。
変わらぬ優しい口調が、真摯に訊〔たず〕ねる。
「正直に申し上げた方がよろしいですか? 騎士公殿」
「……いや、やめておくよ。私も、多少は堪〔こた〕えているのでね」
リュースベル公爵はそう口の端を曲げると、背を向けて離れていった。
一人、残された皇子の護衛騎士は高いバルコニーを見上げた。遠く、晴れ渡った空には巨翼の黒鳥が弧を描いて飛んでいる。
目を細めて、呟く。
「さて、どうしたものか」
普段、真面目なせいかこういう時に困惑する。
二人のために、ここは気を利かさねばならないだろう……と、そう思いはするものの。
時間の潰〔つぶ〕し方を考えあぐねて、仕方なくしばらくその壁にもたれていた。
*** ***
「ルディオン!」
「来るなっ」
寝室に入ろうとしたエディエルに、鋭い少年皇子の制止の声が飛んだ。
寝台に上がろうとしている彼は、何事もなかったようにとんでもないことを口にする。
「君には、ぼくなんかよりアルやリュースベル公の方が似合うのかもしれない」
金の髪が垂れる隙間から、青い瞳を細めると少しだけエディエルの方に目を向ける。
「本当は、分かってるんだ」
剣呑に、それは痛々しい瞳だった。
「ぼくなんかじゃ、君を護〔まも〕ることなんてできやしないってコトは……」
「馬鹿っ!」
ルディオンの命にも平然と上がりこむと、騎士装束の姫はツカツカと皇子のいる寝台へと近づいた。
「護って欲しいなんて、誰が言ったの?」
「………」
「そんなこと、わたしはルディオンにしてもらおうなんて思ってないわ」
唇を噛む病弱皇子に、じゃじゃ馬姫は膝を折って寝台に乗る。
午後の日差しが、天蓋の薄いベール越しに陰影をつくりだしていた。
「ねえ? わたしがそんなことを望むと思ってるの? ルディオン」
「……エディエル」
意思の強い緑の輝きが、間近にあって彼を捕らえていた。
彼女がそんなコトを望んでいるだなんて、少しも思っていない。ただ、それではあまりに情けないじゃないか。
だって――。
「 僕が、君を守りたいんだ 」
まだまだ華奢で、線の細い少年が悲しそうに言う。
健康な身体があれば、簡単にできることも自分にはとても難しい。
外を歩くとか、一緒に体を動かすとか……そういう何でもないコトが、とても難しかった。
「ほんと、バカなんだから」
フッ、とエディエルの息がかかってルディオンは俯いていた目を見開いた。
少し、差し込んでくる日差しが和らいだ……そんな気がする。
「元気出して? お願い、ね」
そう、にっこりと笑うと、エディエルは寝室から出ていった。
残された病弱皇子は、真っ赤になった顔を手で覆って長い息を吐く。
「……だから。
なんで、エディエルはこういうことを 先に しちゃうんだろう」
と。
触れた唇を思い出した彼は、激しい自己嫌悪に陥った。
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