1-5.皇帝覚醒・5


 バルコニーの淵に顎をのせて、眼下を睨みつけるルディオンにアルディは呆れて声をかけた。
 あのちょっとした騎士公の宣戦布告から数日、思いのほか模範的な患者となった病弱皇子はバルコニーに出ることをこの生真面目な護衛騎士に許可されるまでになった。
 しかし、その眼差しはここ数日、剣呑なことこの上ない。

「ルディ様」
「なんだ? アル」

 ルディオンの存在に気づいている姫騎士は、ことあるごとに彼に手を振ったり名前を呼んだりしているというのに、当の少年皇子は決して応えようとはしなかった。
 それと言うのも、あんなことがあったというのに未だあの公爵に剣技指南を受けている……というのが、どうしても許せないらしかった。
 勿論、エディエルも前のように無防備には、近寄らせないようにしているようではあったが。
「いい加減、許して差し上げてもいいのではないですか?」

「……ん。アル」
 金髪の前髪が不安定に揺れて、見上げられた皇子の青の瞳は弱ったように瞬〔またた〕いた。
「ぼくも、そうは思うんだ。でも……」
 チラリ、と中庭のエディエルを見つめると、途端に剣呑になる。
「なんか、ダメだ。――エディエルの傍にあの公爵がいると思うと、イライラする」
 手を振る姫にそっぽを向きつつ呟くと、苛立ちを表すように縁を蹴る。
「こんなに気分が悪くなるなんて……本物の病気じゃないか」
「は? ルディ様??」
「? なに、変な声出してるんだ? アル」
 眉をしかめて諌めてくるルディオンに、護衛騎士の方が驚いた。
「はあ。いや、そうじゃなくてですね……」
 まさか、と思う。
「自覚、ナシですか?」
「自覚?」
 きょとん、とする少年にアルディは(おやおや)と目を瞠った。
 まさか、ここまで彼が幼かったとは思わなかった。
(いや――)
 目を伏せ、表情を隠すと否定する。
(じつに、この方らしい……というか)
 瞼を開けると、そこには「なんだなんだ」と唇を不満そうに突き出して睨んでくるルディオンの幼い顔。
 笑ったら絶対怒らせる、と分かりながら……鈍い銅色の髪の物静かなはずの黒騎士は、堪えきれずふき出して顔を背けた。

「ルディオン! ルディオンってばっ」

 バルコニーに立って黒騎士と歓談する(ように少なくとも、エディエルには見える)年下の婚約者を見上げて、朱色の騎士装束に馴染んできたじゃじゃ馬姫は腰に手を置いて穏やかではない声を上げた。
 始めこそ殊勝に自分の非を悔やんでいた彼女も、こうも邪険にされ、これ見よがしにアルディとの仲睦まじい(と、しつこいようだがエディエルにはそう見える)姿を見せつけられては、腹が立った。
 キッ、と少し睨む。
 が。
 彼女の身体の弱い皇子は、エディエルを見下ろすとそれはそれは冷たい表情をした。
(さっきまでの可愛い笑顔は、どこにやったのよっ。バカっ!)
「 何? 」
「いいわ。もう、――ちょっと、そこで待ってなさい!」
「あ? うえっ……ちょっと、な……」
 仁王立ちになって言うエディエルの言葉を理解できず、ルディオンは戸惑った。そして、次の彼女の行動にルディオンだけでなく、護衛騎士も騎士公も目を疑う。
 彼女はルディオンの立つバルコニーの際にある、脱走用(?)の枝振りのいい広葉樹に向かって助走すると、幹を踏み台にバルコニーに手を掛ける。
「ハッ!」
 気合いとともに、足を振り上げると手すりに引っ掛け上体を軽やかに持ち上げた。
 手すりに座った格好で、呆然と見上げてくる金髪のあどけない少年に、怒った目を向ける。
「貴方の機嫌が直るのなんて、待ってられないわ。だって、そうでしょ?」
 と。
 ここまで簡単に上がってきただけでも言葉がでないのに、そんなワケの解からない同意を求められても、ルディオンには答えようがなかった。
「こんなに可愛いのに……ひどいじゃない」
「か、かわ……ッ? ――って、なんだ。ソレ?! バカにしてるっ」

「あっ!」

 羞恥に頬を染め声を荒げる少年に、エディエルはさして気にせず……あるいは、あることに気をとられて素っ頓狂に叫んだ。
 ルディオンの両の頬をとらえると引き寄せて、至近距離で彼を見つめる。
「な、なん?! !」
 若葉のような瑞々しい緑の瞳。
 そのあまりの近さに、ルディオンは恐慌した。
(な、なんだっ。なんか、胸がバクバクするんだけど!)
 少年皇子の情けないくらいの戸惑いにも、年上の姫はまったく気づくことなく、ただマジマジとその顔を見つめた。
 ホトリ、と一言口にする。

「やっぱり、背が伸びてる――」

「へ?」
 その言葉を理解するや、ルディオンは喜々と目を輝かせて間近の彼女を見つめ返した。
「ホント?」
「うん。やっぱり、成長期は貴重よね……離れてる場合じゃないわ」
 しみじみと呟く年上の恋人に、ニヤニヤと頬をゆるめていた少年皇子は彼女の手を不意にとる。
 自分の頬を掴んでいたその腕は、姫というには少し日に焼けていた。毎日、イフリアの太陽の下で剣技指南を受けていれば仕方のないことではあったが。
「エディエル――あのさ」
「え?」
 予想だにしなかった皇子の行動に、次はエディエルがハタと我に返る。
 そして、びっくりした。
(青の瞳がこんなにも傍にあるなんて……ううん、違う)
 問題は。
 その「距離」ではなかった。
 その眼差しが。

「―――」

 とても澄んで、そして、とても――真剣だったから。
「ひゃっ!」
 そのあまりの驚きに、エディエルは全身の力が抜け、不覚にも体勢を後ろへ崩した。
「 ! 」
 ルディオンは目を瞠り、手を伸ばす。
「バカっ! エディエル!」
 その腕を掴んで、引き上げようとした瞬間――。
「うわっ」

 グンッ、と引きずり込まれた。

「ルディ様!」
「エディエル!」
 アルディとザスランの声が重なって、落ちるルディオンはエディエルの……姫にしては格段に逞〔たくま〕しい身体を抱えた。
(ぼくって、こんなのばっかだな。カッコ悪い)



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