1-3.皇帝覚醒・3
イフリア王宮の南館と北館の間にある中庭に立って、軽い装備を身に纏った騎士は感嘆をもらした。
銀の篭手〔こて〕と胸当て、それに脛巾に膝当てというごく簡単な騎士装束でことの始終を見ていたザスランは、最後の礼を終えた黒騎士を賞賛する。
「見事な腕だ。流石〔さすが〕は、王宮直属の精鋭だけはある。それに――」
朱色の剣士に目を流し、思わず失笑する。
幼い頃から非凡な彼女の特性を知っているだけに、まさかこんなところで開花しているとは思わなかった。師である黒騎士の教えがいいとは言え、剣を始めてまだ日が浅いとは思えない腕だ。
しかし、まあ。
「姫」という淑女にそれはいいことなのか、どうなのか……という問題はある。
「エディエル、君もいい腕をしてる」
「本当?」
騎士公であるザスランに評価されて、めずらしくエディエルは興奮したように頬を染めた。
まだ、先ほどの稽古で息を乱れているというのに、駆け寄って確認する。
「――ああ、剣を習いだしたばかりとは思えない」
「ふふふふふ、嬉しい。わたしもそうだとは思ってたんだけど……」
怪しい笑みを浮かべて、エディエルはちろりと傍らに佇〔たたず〕むアルディをあたかも咎〔とが〕めるように見上げた。
「なかなか堅物だから」
「姫……」
鈍い銅色の前髪から澄んだ青の瞳を困って揺らすと、黒騎士は言葉にできずに黙る。
「解かってるわ、ちょっと言ってみただけよ」
くすっと笑うと、エディエルはザスランに真摯〔しんし〕に向き直った。
「そんなワケだから、わたしは ここ からは離れられないのよ」
「……コレ、か。しかし、剣を習うだけならば場所はどこにでもあるじゃないか」
言い募る彼に、エディエルは首を振った。
確たる意思を秘めた若葉の瞳には、決然とした答えが浮かんでいる。
「 ここ でないと意味がないのよ、ザスラン兄さま。解からない?」
「解からないな。エディエル」
解かりたくもない、というのが正直なところか。
空とぼけて訊くザスランに、エディエルは意味深に微笑を浮かべた。
「それはね」と開きかけた姫の口が止まり、同じく騎士公も上を見上げる。
急に空が騒々しくなったかと思うと――。
「 うわっ! 」
ばささ、と大きな黒い鳥の羽音とともに小柄ながら大きくなった影が落ちてくる。
中庭に連立した木立の葉っぱの間から転がってきた彼は、慣れた受身で地面に背をつけると呻〔うめ〕いた。これも案外いつものことだったが――滞在したばかりのザスランは、目を見開く。
「クカァ!」
と、巨翼の黒鳥は、赤い隻眼で少年を見下した。
「この、バカ鳥……」
片目を酷く抉〔えぐ〕られた暗黒鳥にひくく低く呟くと、ルディオンはむくりと上体を起こして目を上げた。
ハラハラと降ってくる木の葉とともに、いたたまれない気分が積もっていく。
「――見ろ。完璧、にバレちゃったじゃないか……」
と。三人の注目を一身に集め、華奢な彼は流石に気まずそうに青い視線を外していた。
あの誕生セレモニーの騒ぎからルディオンの体調は、万全でない。
勿論、子どもの頃よりは多少頑丈になったのだが、それでも一度崩せば長引くくらいの自己主張の強さは持ち合わせているらしい。
お約束に洩れず……(ルディオンは絶対に認知しないだろうが)今回もそうだった。
木から転げ落ちたあと、微熱をぶりかえした彼は――ふたたび主治医・ガリアゲイド博士から「厳重安静」を言い渡された。
さらに。
ピンクの頬を不機嫌に膨〔ふく〕らませて、ルディオンは自分を見下ろしてくる若葉の瞳に対峙した。
「 大丈夫だって言ってるじゃないか 」
熱っぽい瞳を向けて不平を訴えてみるものの、彼女は頑としてその言葉を信用しなかった。
「ダーメ。貴方が「大丈夫」って言ったって、どうせ また 木に登って 落ちて 熱出して 寝込むのよ。少しは――わたしのことも考えてほしいもんだわ」
腰に手をあて息を吐いたじゃじゃ馬姫は、グイッと病弱皇子を寝台に押しつけた。
「もう、落ちないってばっ。失礼だな!」
羞恥に思わず真っ赤になり、(ん?)と思う。
マジマジと目前にある不安そうなエディエルの顔を眺めた。
「? 考えて……?? 考えてるよ。って何の話?」
彼女の肩越し、天蓋付きの見慣れた天井に目をやり、首を捻〔ひね〕る。
ほらね、とばかりにエディエルは背後の黒騎士をふり返った。
「――とにかくね」
納得しかねている皇子にゆっくりと向き直り、姫は決然と言い放った。
「全快するまではこの部屋以外への外出は禁止。アル、しっかり見張っててちょうだい!」
「そっ……」
ふふん、と凄艶に笑うエディエルに、ルディオンは呆然とする。こんな手厳しい彼女は初めてだった。
(お、怒ってる? でも、何に??)
混乱する少年皇子はただ、布団から見上げるしかない。
何しろ、起き上がれば醜態を晒〔さら〕すのは必至だった……それくらいは、自分でも分かる。
とは言え、この程度の嘘で彼女が怒るとは思えないのだが。
「本当、ザスラン兄さまが滞在中で助かったわ」
スッ、と。 腰にさげている細身の剣を指でなぞって、エディエルは満足そうに笑んだ。
*** ***
『ザスラン兄さま。アルがルディオンの見張りをしている間、わたしに稽古をつけてくださらない?』
先刻〔さっき〕見た、エディエルの昔と変わらないお願いポーズを思い出す。
しかし。
戸口からその様子を眺めていたザスランは、解せない表情のまま傍らに控えている黒髪の侍女に訊いた。
「ルーン――エディエルは、どうして剣を……始めたんだろうな?」
姫のその件によい感情を抱いていないルーンは、あからさまに黒い瞳を深く苦悩に染めた。
「さあ……姫さまの考えることはわたしにはとても」
ブルブルと首を振るさまは、どちらかというと怯えているように見える。
長年、シルレントの「じゃじゃ馬姫」に付き従っている彼女には、主であるエディエルの心の中が嫌なほど――理解したくない域まで、手に取るように見えているハズだ。
「そうか?」
真意を探るように彼女を眺め、深い緑の瞳は歪んだ。
「あの皇子のため、ではないか?」
「そうですね――」
思案して、ルーンは申し訳なさそうにザスランを見上げると頷いた。
「だとすれば、すっごく姫さまらしいと思いますけど」
「―――」
(……どうやら、これだけは認めねばならないようだ)
と。ルーンの眼差しから目をそらして、ザスランは不本意ながら思うしかなかった。
そう――。
確かに、彼女は「病弱皇子」に恋をしている。
護りたい、と剣を取るほどに強く……そして、失いたくないと恐れるほどに深く。
ザスランの視界の中で、寝台にふてくされるように布団をかぶった皇子が横たわっている。
冷ややかに深緑の瞳を細めて、口元を引いた。
(とは言え――)
線の細い白い肌によく澄んだ青の瞳の少年は、目を白黒させてテキパキと包囲網を組織していく姫を見上げ……ついには頭を抱える。
フッ、と赤銅の前髪をかき上げると挑戦的に微笑んだ。
(彼が、エディエルに恋をしているとは、到底思えんが)
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