1-2.皇帝覚醒・2


 シルレントの色に似た大地色……赤銅〔しゃくどう〕に近いクセのない長髪を細く背中で纏〔まと〕めた精悍な青年騎士は馬上から舞い降りると、待ち構えていた皇帝に礼の型を示した。

 一通りの外交的形式をこなすと彼、ザスラン・ド・サー・リュースベルはようやくそこに懐かしい彼女を見つけた。
 銀色の兜を手に持ち、裏地が深緑のマントを翻〔ひるがえ〕す。
「エディエル!」
 エディエルの瞳に似た、それでいて深い色の瞳を眩しそうに細める。
「ザスラン兄さま……」
 駆け寄ってきた王族の遠い血縁にあたる彼を見上げて、エディエルは怒ったふうに呟いた。
「いい加減、この扱いはやめていただけないですか?」
 かいぐりかいぐりと頭を撫でられては、あまりいい気がしない。いつもはルディオンにしている仕打ちとは言え、自分は七歳や八歳の幼いままの「少女」ではないのだ。
 心底辟易〔へきえき〕したエディエルは、これ見よがしにザスランを睨〔にら〕んだ。
「ああ、癖でね。しかし、なんだその格好は?」
 らしい、と言えばらしいが……と苦笑まじりに口にして、ザスランは臙脂〔えんじ〕色のマントに同色のパンツ、甲冑を纏〔まと〕った彼女を物珍しく眺めた。
「どうも騎士の格好に見えるんだが」
「見えるんじゃくて、そうなのよ。兄さま」
 細い腰に帯剣した柄を愛しそうに撫で、にっこりと微笑んだ。
 背筋を伸ばすと、胸を張る。

「わたし、決めたんだもの」

「ぼくは認めてないって」
 ぶすっ、と剣呑な様子で間に入ると、ルディオンが言った。
 その時、ザスランは初めてイフリアの「病弱皇子」を直視する。
 金の髪に澄んだ青の瞳というイフリア皇帝家の色を備えた第一位王位継承者は、噂に違わぬほっそりとした身体で、騎士然としたザスランからすれば、「貧弱な」と称される類の頼りない四肢の持ち主だった。
 目をわずかに細めて、それでも彼は微笑んだ。
 気高い騎士として、膝をつくと深い陳謝の型をとる。
「これは、ルディオン皇子ですね。無礼を致しました……お初にお目にかかります。私は、ザスラン・ド・サー・リュースベル。――エディエルが長く世話になっているそうで、挨拶をせねばと思っておりました」
 まだ成長途上にある小柄なルディオンに目を上げると、挑戦的ともとれる眼差しで見据える。
 ルディオンは、しかめっ面のまま首をかしげて曖昧に頷いた。
( 幼い…… )
 ザスランの思惑など察することもなく、言葉に隠された思惟〔しい〕にも駆け引きにも少年は疎かった。
 騎士公は苦笑すると、「他愛もない」と心で断じた。
 あまりに幼すぎて話にもならない、と。


*** ***


 腰に手をあてたエディエルが、憤然と目前に座るザスランを睨んだ。
 ここはイフリア王宮のエディエルの自室。その一角にある応接間だった。
 あの再会の後、世話役筆頭兼教育係監督の侍女ルーン・ガルに服装を見咎められたエディエルは一悶着の後に正式な姫の服で着飾られ――現在、少しばかり不本意ではあるが実に華々しい格好をしている。

 立ち上がった「姫」らしい姫と優雅に座る旧知の騎士にティーカップを差し出しつつ、ルーンはその成り行きを見守った。
 ソファに腰を沈めた赤銅色のクセのない髪の青年に、エディエルは一言。
「 い・や! 」
 無下もなく首を振り、思考する間もなく拒絶する。が、彼はそんな彼女の冷ややかな態度にくすりと笑った。
「駄目だ。――おまえのそれには慣れている。結局のところ、いつだって考えなしなんだ」
 むぅっ、と顔を歪めると、エディエルはストンと腰を下ろした。

「ザスラン兄さまがどう思おうと勝手だけど、わたしはここにいるわ。だって――」

「面白いっていうんだろ?」
 眉を上げて、おかしそうに言うザスランは的確にエディエルの言葉を代弁した。
 昔からの彼女をよく知る彼からすれば、心を読めなくてもそれくらいは解かっている。
「そうよ」
 エディエルは低く頷くと、微笑む。
 そして、堂々と言い切った。

 「重要でしょ?」と。

 ルーンは銀の盆を胸に抱えて、呻〔うめ〕く。
「む、胸を張って言わないでください。姫さま……」
 泣きそうな侍女頭の訴えは、報われることがあまりない。



 大きな窓にかかった白いカーテンがヒラヒラと翻って、そこに横たわる妙な沈黙を眺めていた。
「………」
 静養執行中の病弱皇子ことルディオンは、現在自室寝台の上で唯一の護衛騎士である人の良さそうな黒騎士をじっとりと見る。
「 アル 」
「はい」
「どうしても、言わないんだな?」
 澄んだ青の瞳は、空恐ろしいほどに静かに聞いた。
 最近、ことあるごとにこういう尋問にあっているアルディはと言うと、心ではイロイロと思うところがあるとは言え頷〔うなず〕くしかない。
「言えと申されましても、私も姫からは何も伺っておりませんので」
 苦しい言い訳、と自覚しながらこう答えるしかない。
 黒騎士の主であるルディオンも、それが言い訳と解かるから渋面になり寝台の上で胡坐〔あぐら〕をかいた格好で行儀悪く肘をついた。
「それで、ぼくが納得するとでも?」
「して頂きたいとは、思っております。何度も申しておりますが……ルディ様」
 神妙に頷く護衛騎士を、チロリと一瞥してルディオンは息を吐く。
「馬鹿、するワケないだろっ!? ぼくはおまえがそんな「あいまい」な理由でエディエルに剣を教えるとは思えない、違うか?」
「恐縮です」
 その評価を嬉しく思いながら、それでも複雑にアルディは微笑んだ。
 はー、と肩をすくめるとルディオンは黒騎士から顔を背けて言った。
「おまえの頑固さには、ほとほとイヤになる。覚悟しとけよ」
「………」
 少年の低い声に、アルディは胸中で肩を落とす。
(姫、恨みますよ――ただでさえ、この方は)

「このぼくが、徹底的に調べてやるからなっ」

(こういうお遊びが大好きなんですから)
 青の目に異様な輝きを宿した少年主に息をつき、これからの苦悩に(やれやれ)と苦笑いが浮かぶ。
 自分のことを気にするよりも、あの騎士公のことを牽制した方がいいとは思うのだが……この病弱な皇子はさしてあの公爵を気にするふうでもない。
 ふと、ルディオンがアルディを向き直った。
「そーいや、あのリュースベル公爵殿だけど……」
 アルディは自分の心を読まれたかと、ドキリとして思わず姿勢を正した。
 対するルディオンは、さしたる注意も黒騎士に回さずに、おかしそうに笑った。
 「ぼくのこと、嫌いみたいだね」と、天使のような無邪気な声とは裏腹に、まるでタチの悪い眼差しをつくる。
 どこが悪いかというと、「本当に」楽しんでいるあたりが――。

「もしかして、先越しちゃったのかな? ぼくが」
「―――」
(もしかして、じゃなくて……)
 まさに核心。それを笑って口にする皇子に絶句する。
 そんな彼を見上げて、虚弱な皇子はあどけない様子で問うた。
「どうかしたか? アル」
「――いえ、べつに」
 無自覚。
 かと思うと、さらにタチが悪かった。
 病弱皇子は人の心の機微に疎いのか、強いのか……無邪気なのか策略家なのか。
 子供なのか大人なのか。
 たぶん、後者ではありえないが――だからと言って、素直に前者とも呼べなかった。
 天を仰ぐと、アルディは人知れず瞑目した。



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T EXT
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