1-1.皇帝覚醒・1


 「病弱」として名高いイフリア帝国の第一皇子、ルディオン・エトル・ゼス・イフリアの十四歳の誕生セレモニーが本当の意味で終わったのは、十日後のことだった。
 体調のようやく落ち着いた彼は、何とか出歩くことを認められ、今は中庭の木陰に腰を下ろしているところだった。しかしながら、心中はなかなかに穏やかではない。
 軽快に響く剣の交わる音を耳にして、これ以上ないという仏頂面でその剣の主を眺める。
 一人は、彼の護衛騎士である黒騎士の一精鋭。
 鈍い銅色の髪に、澄んだ青の瞳。軽い稽古のため仮面を外した容貌は優しく、つくりは派手でないながら整っている。
 対して、彼の指南を受けているのは、若い女性だった。
 大地の色をした長い髪を朱色の紐でまとめ、その若葉色をした瞳は目の前の黒騎士に怯むことなく挑んでいく。
 キラキラと輝くその眼差しが、ルディオンは嫌いではない。
 むしろ、気に入っているトコロだった……それは、彼の最愛の年上の婚約者なのだから。
 しかし。
 それ故に、この苛立ちを抑えることはできなかった。

(――どうして、彼女がこんな馬鹿げたことをいいだしたのか?)
 そして、さらに解らないのは、彼のコトだ。
(アルが、その彼女の無謀な頼みを聞き入れるなんて……おかしいじゃないか!)
 すべては、ルディオンがあの誕生セレモニーの襲撃事件で少し(?)ばかり体調を崩している間に、「勝手に」取り決められたコトなだけに、腹立ちは増した。
(だいたい、ぼくに何の断りも入れないなんて、バカにしてるっ。二人して、ぼくをなんだと思ってるのさっ)
 剣を習い始めたエディエルは、始めて数日とは思えない軽い身のこなしで細身の剣を操る。
 かと思うと、その指南役である黒騎士はいともたやすくその動きに制裁を加え、さらなる課題を彼女に与えた。二人の中にあるのは「言葉」ではなくあくまで「剣」、だった。
 ルディオンはたまらず、顔を背けた。
 下を見ると、否〔いや〕が応〔おう〕にも自分の伸びかけの手足が視界に入るので、上を見る。
 木漏れ日……それに、穏やかな風が吹いてあちこちで葉擦れの音が聞こえた。
「 あーあ 」
 ルディオンはむくれた声とともに天上へ両腕を伸ばすと、そのまま頭の後ろにもっていく。
 勢いよく足を投げ出して、後ろにゴロンと転がった。



 額に汗を浮かべたエディエルは、アルディとの実践稽古をひとまず終えると木陰でもんどりうっている年下の婚約者を見つけた。
「どうしたの? ルディオン」
「う。な、なんでもないっ。なんでもないってばっ!」
 どう見ても、木の根に後頭部をぶつけた痛ましい様子で頭を抑えた少年は、頬を染めて立ち上がるとツンとそっぽを向く。
 そのまま、黙り込むとじーっと彼女の一点を睨んだ。
 帯剣した腰に手をやって、エディエルはくすりと笑う。
「そんな顔しても、ダメよ」
 彼女の目を見ずに、ルディオンは憮然と言った。
「何が?」
 じっとりとした声は、いつもの彼らしくなく沈んでいる。
 落ち込んでいるのは、明らかだったが……それでも、エディエルには引くことができない理由がある。
「コレは、たとえルディオンの頼みでも辞められないのよ。わたしがそう決めたから――」
「……ぼくだって、はなから反対したいワケじゃない。だけど、エディエルが悪いんだ」
 眉を寄せて、低く呟く。
「 どうして、ぼくに理由が言えないのさ?」
 皇子の凄味にも怯むことなく、エディエルは含み笑いを浮かべて答えた。
「ヒミツ」
 年上の彼女のつれない返事に、さらに渋面になりルディオンは「なら、いい」と彼女から離れた。
 伸び盛りの少年の小さくなっていく背中を眺めて、エディエルは首を傾げた。

「怒っちゃったかな?」
「 姫…… 」
 困ったように皇子の護衛騎士が息をつく。
 もの問いたげな主の青の瞳に、去り際睨まれた者としては、笑ってられない。というか、これはかなり「切実」だった。
 訴えるような彼の静かな眼差しを、エディエルはサラリと無視して言った。
「アル、解かってるわよね?」
 ただ、一言。
 顔は笑いながら、声は乱れがなく真剣そのもの――彼女の剣の師は何とも言えない表情で「はぁ」と頷くと、落胆した。


*** ***


 王宮の仕事棟にあたる北館の皇帝執務室で、時の皇帝イグダリオはとある親書を眺めて嘆息した。
(厄介なことになりそうだ……)
 それは、エディエル姫がここにとどまると父王に知らせ、シルレント王が血相を変えて入国を求めてきた時以来の対外問題だった。
 しかも、コトはあのナーガス王よりもさらに深刻である。
 相手は――言うなれば、ルディオンを敵視するだけの理由を持っている。
 そして、ありとあらゆる面でルディオンよりも優位にあり、公爵としての気高さからそれを除外しておいそれと納得はしないだろう。
 ……そう、自分より「同等」もしくは「それ以上」の素質を見出さない限りは身を引かない。
 ルディオンの十四歳の誕生セレモニー騒ぎがあった今にこそ親書を遣〔よこ〕してきたのが、いい例だ。
 イフリアの穏やかな風が、皇帝の頬を撫でた。
 その頬はゆったりと笑みを浮かべ、澄んだ青の瞳を慈愛に細めた。
 幼い唯一の後継に同情をしつつ、それでも心配はしていない。
 悠然と、待つ。
(皇子……この「試練」に耐えられるか?)

「父上、お呼びでしょうか?」
 丁寧な言葉。
 しかし、ぞんざいな物言いで許可を請う少年皇子にイグダリオは神妙な声で答えた。
 見るからに、彼は不機嫌で口をへの字に曲げて向き直る。
「 父上? 」
 予告もなく笑い出した父皇帝に皇子は不審に眉根を寄せた。
「いや、こっちの話だ。――ルディオン、これを姫に渡してもらいたい」
 側近の騎士がイグダリオからルディオンに親書を渡すと、さらに首を傾げた若い息子にやはり笑いながら父が告げる。

「近々、リュースベル公国の騎士公がこちらに滞在される。姫とは知己の仲ゆえお目通しを、とのことだ。しっかり姫をエスコートしてやれ」

「騎士公?」
 親書を訝〔いぶか〕しく眺めると、ルディオンのしかめっ面はさらに深くなった。
 ぶすっ、と執務室の机に陣取る年の離れた父皇帝に目を合わせると、「わかりました」とそれはそれは不本意そうに礼を述べる。
 幼すぎるのが、不安ではあった。
 しかし。
(これは、傷ついてもただでは起きないゆえ――)
 漫然と思い、イグダリオは肘をついて顎をのせると意地悪く微笑んだ。



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