左手首を菫に捕られた朱美は、ビクリと顔を上げる。 そこには、いつもと変わらない色素の薄い瞳が微笑んだまま、彼女の間近にあった。 「ひとつ、確認しとくけど蒼馬は今日、帰り7時だったっけ?」 「……そう、だけど」 まっすぐに直視することが、どうしてもできず――朱美は、菫の手に掴まれた自分の手首を見た。 さりげなく、彼の手から逃れようと画策する。が、彼の腕は筋肉質ではないのに、意外と力が強い。 逃げようとすれば、さらに強く捕らえられた。 「友達と集まって一緒に星の観察の宿題をするんですって……それで、日向ちゃんのお家の方が、夕ご飯をご馳走してくださるって話、なんだけど」 「そっか、十分だな」 言うが早いか、菫はアッという瞬間に朱美の両手首を片手に捕らえて、後方へ押し倒す。
「…キャッ!!」 ちょうど「バンザイ」の格好になったまま、朱美は体勢を整えることもできずにソファに横たえられた。 毛糸のセーターが乱れて、端から彼女の白い素肌がのぞく。 「菫さん!」 キッ、と睨んで朱美は抗議をする。 「何するのっ?!」 動きを封じられた妻を、意外そうな顔をして菫は見た。 「――分からないの?」 と。 朱美は、息をのむ。 「………ッ!」 これは、「そういう」時の彼ではなかった。雰囲気がまるで、違う。 じゃあ、 コレ は……? 「な、なにするの?」 ドギマギと自分を見る彼女が、たまらなく可愛い。 にっこりと笑って、「勿論〔もちろん〕」と菫は宣告した。 「くすぐりの刑」
*** ***
「いやっ!」 身をよじると、朱美はたまらず声を上げた。じたじたと足を動かすが、上に乗った菫の身体はビクともしない。 「や、やめて! すみれさ――うひゃっ……ふ、くふふふふふふふ。やぁんっひゃっう、やーめーてーっ。くふっ、ふふふふふふふっ」 「だから、白状しなって」 「やぁっ!」 涙目になりつつ、朱美は横腹を蠢〔うごめ〕く菫の手の絶妙な動きに耐える。 午後のリビングで長い攻防が続き、朱美の息は乱れていた。 「……朱美」 「や――くふくふくふふっ。菫さんのばかぁ」 「だから、何で?」 くふくふ、と笑いながら朱美は口をすぼめようとする。ムッ、と目だけで上の彼を見た。 「……だって」 「だって?」 恨めしげに、菫を見ると「本当に分からないの?」と、不満げだった。 菫が首を振ると、真っ赤になってぽつり、と言う。
「だって、菫さん…… 香水 変えたでしょ?」
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