Moonlight Piano #9.5


〜風花音楽大学一回期・夏期強化合宿〜
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 合宿、二日目の夕刻。
 日間八尋〔ひま やひろ〕は講堂の鍵を千住貴水〔せんじゅ たかみ〕に手渡してから、顎に手をやって呟いた。
「これは、チャンスかもしれないな」
 と。
 醜悪な肌を包帯で隠したひどく人目を引く彼の、美しき守護女神・小夜原なつきは現在、目下の恋敵である鈴柄愛〔すずつか あい〕と睨みあっている最中で、しばらく時間が稼げそうだった。
 となれば、初日に試みて彼女の強硬な阻止にあったかの計画に、ふたたび八尋の興味が向くのは簡単だった。
 表ホールにあるピアノの前で、楽譜を手にした二人が何事かを話しているのを横目に確認して八尋はその場をあとにする。
 裏手から庭に出ると、すぐに貴水のあとを追った。



〜 間奏 〜


 講堂の舞台に置かれたグランドピアノのカバーを上げていた貴水は、扉が開けられる音を耳にしてそちらに目を向けた。

「 ……… 」
 にっこりと笑った八尋がそこに立っていて、手にはなぜかヴァイオリンケースを持っている。
 訝〔いぶか〕しむ貴水をあえて無視した彼は、舞台まで上がってくると訊いた。
「千住はここのピアノが気に入ったみたいだね、ほかのみんなはホールのピアノがいいようだけど?」
「……どっちもいいピアノだと、思ってるよ。ただ、こっちの方が音響がいいから」
 くすり、と八尋は笑って、
「そう、こっちは音響がいい分、クセがあるんだ。生半可な弾き方だと呑まれるくらいにね」
 挑戦的なその眼差しに、貴水は困惑した。
 彼が、何を言いたいのか分からない。
 嫌な予感だけはするのだが――。
「千住君、どうかな? 一曲」
「……イヤ、だと断ることは?」
「構わないけど……俺としては、小夜原さんの彼がそのていどの男だというのには納得いかないね」
 貴水のあきらかに剣呑になった眼差しに、気をよくして八尋は続けた。
「ああ、鈴柄さんから聞いてるよ。恋人ではないんだってね? じゃあ、君たちは一体なんなんだい。ただの友人とも小夜原さんを見ていると思えないのだけど?」

「――君には関係ない」

「そうかな? 俺は小夜原さんを気に入ってる。才能もすべて認めてるんだよ、恋人がいないんだったら気兼ねなくアプローチできるってものじゃないか。それとも、君はそれさえも許さずに彼女の友人面をするつもりかい? 千住君」
 ぽーん、とピアノの澄んだ音が響いて包帯から覗く闇の瞳が、静かに訊いた。
「 曲目は? 」
「ラ・カンパネルラ」
 リストの代表曲であり、稀代のヴァイオリニスト・パガニーニの演奏に感銘を受けた彼が作ったといわれる「練習曲」の一つ。
 「練習曲」とは名ばかりで、超絶技巧を駆使した音譜は弾きにくさの象徴、難曲の最高峰に挙げられている。
「わかった」
 と、貴水が許諾するのと同時にバーンと講堂の扉が開け放たれた。
「たっ、かみくーん!」
 飛びこんできた彼女は、ふわふわとした茶色の髪を揺らして息を乱したまま、その場の空気に「あれ?」と首を傾げた。
 あとからやってきたなつきは、びっくりしている貴水とともに八尋がいることに眉を寄せた。
「日間くん?」
 講堂に貴水がいるのはおおよそ想像していたが、八尋がいることは悪いことでしか予想できなかった。
 その彼女の不快感もあらわにした眼差しに、八尋は苦笑して貴水の肩に手を置く。
「残念だけど、今日のところは撤退するよ。千住」
 君のピアノ聴きたかったんだけど、とやわらかに笑う。

「近いうち、きっとね」

 と言うと、舞台を降りる。
「もしかして、日間くん取り込み中だった?! うわっ、ごめーん」
「ははっ、いいって。で、君たちは千住を呼びに来たんじゃないの?」
 無邪気に謝る愛を笑って許し、八尋が訊くと彼女は「そうそう!」と貴水へとあらためて言った。
 ぼんやりとそのやりとりを眺めていた貴水は肩をすくめて、ことのなりゆきを見守った。
 どうせ、あんまりいいことではない――。
 なつきはなつきで貴水と八尋のやりとりを気にしながら、愛の傍迷惑な提案を止めようと「ちょっと!」やら「やめてよ!」と言っては、縋〔すが〕るように見上げてくる。
「あのねー、コレ。わたしと小夜さんでどっちが上手いか貴水くんに聴いてほしいの、ダメ?」

 「愛の挨拶」の楽譜を手にして元気よく訊く愛に、貴水はため息をついて「知らないよ」となげやりに呟いた。


fin.


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