思わず、なつきは相手を睨んでしまった。
「 なっ!? 」
合宿初日の団結会と称する集まりで、合宿メンバーが別棟の講堂に一堂に会した時のことだった。
余興として、カザバナ宴会部・幹部の日間八尋が提案したのは即興のデュオ演奏だった。そして、ヴァイオリニストの彼が指名したのはこともあろうに、千住貴水の「ピアノ」。
明らかに、何かを意図したその演出に、合宿メンバーたちは無責任に囃したてる。
「――演目は、そうだな。一応「ハンガリア舞曲」にしようか?」
貴水が断らないのをいいことに、勝手に進めていく八尋をなつきは必死に押しとどめる。
「ち、ちょっと、待ってよ! 日間くん」
貴水と八尋との間に入って、牽制すると言った。
「千住くんは、「ダメ」。わたしがやるわ」
キッ、と有無を言わせぬ強い口調で提案して、八尋の目をまっすぐに見返した。
「なによ、文句あるの?」
合宿に参加させたことだけでも、いい迷惑だろう貴水にこれ以上の負担をかけさせるワケにはいかなかった。
「小夜原さんが?」
「そうよ、それとも―― わたし が相手じゃ不服?」
胸をはって、立ちはだかる彼女を八尋は眺めて、「いや」と苦笑した。
こんなに必死になるなつきは、八尋にとってそう拝めるものではなかった。いつもは、こんなに熱い目をしない。
なつきが本気になるのは、貴水〔コイツ〕のためなのだと思うと腹立たしくもあり、また純粋に欲しいとも思えた。
(まったく、俺のためじゃないっていうのが普通に悔しいけどね……)
「 光栄に存じます、姫。是非、お相手願えますか? 」
うやうやしく彼は、彼女の手を取った。
〜 ハンガリア舞曲2 〜
「ハンガリア舞曲」、派手なメロディと鮮やかな色彩のジプシーの音楽は、一般的にも馴染みのあるクラシックのひとつだった。
なので、もちろんなつきも耳にしたことはあるし、楽譜も見たこともある。
ただ、ヴァイオリンとのデュオは経験がなかったので、予測できなかった。
そして、その予感は確かに当たっていた。
( もうっ! )
八尋とのすこしの打ち合わせのあと、始まった余興は「ハンガリア舞曲」であって「ハンガリア舞曲」ではなかった。
八尋の突発的な弓の創作に、なつきは気の休まる時がなかった。
そのたびにからかうような彼の顔を睨みつけ、何とか食いついていく。最初こそ、翻弄されたそのアドリブに次第にペースを掴んで、途中からは先んじてアドリブをくわえることも覚えた。
短い演奏を終えたあと、それはもう「ハンガリア舞曲」ではなく、ふたりの即興曲に近かった。
「 小夜原さん! 」
と、八尋は諸手をあげてなつきに駆け寄って、その両手を掴んだ。
「すごい!」
八尋の興奮に、なつきは演奏の余韻に浸りながら笑った。
「うん、わたしも面白かった。日間くん、アドリブ入れすぎよ?」
「ああ、俺の悪いクセ。でも、ついてきてくれる君には、正直驚いたな。やっぱり、小夜原さんにはピアノの先生よりもっと上を目指してほしいよ」
「……ありがと」
なつきは椅子から立ち上がると、八尋の言葉に苦笑した。
*** ***
団結会がお開きになった明かりの落とされた講堂で、ぽーんとピアノの音が響く。
グランドピアノのスコア台の上に講堂の鍵を置いて、彼は目を瞑って音に耳を傾ける。調律のしっかりとほどこされたピアノほど、貴重なものはない。
と。
「 やっぱり、ここにいた 」
暗闇に座る肌のほとんどを包帯で隠した彼に、彼女が言った。
( 相変わらず、勘がいいな。 )
貴水は別段、驚くこともなく……というか、むしろ予想していたように綺麗に微笑んだ。
「すぐに出るよ、鍵早く返さないといけないし」
「そう?」
まっすぐ貴水のもとにやってきて、なつきは彼の横顔に投げかけた。
「あの時から、そんな目をしてる」
「――あの時?」
空惚ける貴水になつきはさらに、言った。
「さっきのふざけた 余興 のことよ」
「……べつに。何でもないんだ」
だから、気にすることはないと、彼は示して決して彼女の目を見なかった。
「 嘘 」
その頬を包んで視線を絡めると、なつきは貴水のすぐそばで囁いた。
「もしかして怒ってる?」
「 怒ってないよ 」
確かに、貴水の態度は怒っているというのとは、また趣旨がちがうかもしれない。
「じゃあ、どうして……わたしのことを見ないの?」
間近で交わる目と目。
チュッ、と貴水はなつきの唇を軽くついばんで、瞬間深く入りこんだ。
「 ん―――ッ! 」
舌がやさしくなつきの中を撫でる。
口内と一緒に、次第に意識が絡めとられていく。陶酔を開始した彼女の身体は、貴水へといとも簡単に囚われた。
ぎゅううう、と抱きついて、口付けあったまま闇の中で見つめ合う。
「知らなかったんだ」と、なつきの上唇をペロリとなめて貴水は呟いた。
「 君が ピアノの先生 になりたかったなんて 」
それを知らなかったことが、ひどくショックだった。
「僕が知らないことを彼が知っているなんて……それが、こんなにも辛いなんて、僕は知らなかったんだ――」
「あの、ねえ?」
しばらく、貴水の顔を眺めていたなつきが、その生真面目な表情に困惑して訊いた。
「それって、わたしのこと好きってことなの?」
「………うん」
こくり、と頷いて彼は、なつきをまっすぐに見つめた。
醜悪な肌を包帯で隠した貴水の異形の姿は、闇の中でもその特異さを白く浮かび上がらせてなつきの瞳に映っている。
「ずっと、僕は小夜原さんが好きだよ。だけど……小夜原さん?」
震えはじめた彼女の肩に、不審に眉を寄せて訊く。
「わっ」
と、貴水が声をあげるのと、なつきの「うれしい!」という感嘆とが音響のいい講堂に同時に響く。
ぎゅうぎゅうと抱きつくなつきに、貴水は当惑する。
「さ、小夜原さん?」
綺麗すぎる彼女の微笑に胸が痛んだ。
「はじめて聞いた。千住くんからそんな言葉!」
「そう、だった? でも――君とは付き合えない。それは変わらないから」
頑なに告げる彼を仰いで、なつきは「うん」と頷く。
「分かってる。千住くん、はやく話す気になってよね……わたしだって、結構辛いんだから。もう知ってると思うけど?」
「 ごめん 」
深く謝る代わりに、強く抱いて貴水は遠く騒ぐ人の声に耳を澄ました。
宴会部の企画で、現在は花火大会に興じているらしく……歓声と破裂音が、聞こえた。
講堂の窓から射しこむ鮮やかな光のプリズムはすぐに途絶えて、二人を静寂が包みこんだ。
貴水は息をひそめた闇の中で、胸に抱いたなつきの長い髪を梳〔す〕いて耳打ちする。
「彼と、僕も同意見だな。――君に、ピアノの先生なんて似合わないよ」
目を閉じて、彼の体温を感じていたなつきは、耳元をくすぐるやけにおかしそうな声に顔を上げる。
「だって」
額を合わせて、貴水はなつきへと真剣に言った。
「 君が、その枠におさまるなんて考えられないんだ。小夜原さん 」
ふたたび、外の喧騒がやってきてどちらともなく離れると、貴水がなつきに手を差し出した。
「そろそろ行かないと、騒がれる」
と、急かす。
「やっぱり……「合宿」じゃなくて旅行にするんだったな。失敗しちゃった」
ちぇ、とあからさまに嘆きながら、なつきはその細く長い指に触れる。
困惑する闇の眼差しに、くすりと笑って、
「二回目、べつにここでもいいのよ?」
と。
彼女の落とした爆弾に、貴水はあえて触れなかった。
*** ***
「たっ、かみくーん!」
手を振る鈴柄愛に、ひくりとなつきが反応する。
「ちょっと、ちょっと、ちょっと! 鈴柄さん」
花火を持って、駆け寄ってきた彼女に険のある眼差しで睨む。
(いつから千住くんのこと、名前呼びになったのよ。わたしだって我慢してるのに)
「やだー、「愛」でいいってば! 小夜さん。貴水くんもホラ、花火楽しんでね」
無邪気に笑ってホイホイと花火をふるまうと、二人の背中を押して誘った。
仕方なく、線香花火に火をつけて渋面のまま、なつきは落ちそうで落ちない先を見つめた。
「小夜さん」
「だから、小夜さんって誰よ。鈴柄さん」
しゃがみこんできた彼女に、ぶすりと告げる。
もともと人ごみがあまり好きではない貴水の方はというと、輪の中心から離れてしまっている。
愛の誘いにも乗らなかったのが、救いと言えば救いだろうか?
「貴水くんにフラれちゃった」
「でしょうね。千住くんはこういうの苦手だもの」
勝手に離れていく彼を憎憎しく思いながら、ため息をつく。
( わたしのそばにいて欲しいのに…… )
「とりつく島もないのよね」
と、愛がポツリと言ったのをなつきは「え?」と首をかしげて聞き返した。
「さっき、見ちゃったの二人のトコ……入ることできなかった」
ポトリ、落ちる線香花火に、愛は「でも」とことさら強くなつきを見て言った。
「でも、まだ諦めないよ。だって、小夜さんは――」
痛々しいのに、どこか強気な眼差しになつきは焦燥して目をそらした。
不安になる。
( だって、わたしは 彼 を知らないから…… )
それが、鈴柄愛を強気にさせているのだと思うと、よけいに――。
fin.
♯9‐1 <・・・ #9 ・・・> ♯9.5
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