貴水の華奢な長身が立っていて、闇の瞳がなつきを映している。
「帰る」
考えるよりも先に答えて、なつきは立ち上がった。
カバンを素早く手にして、貴水へと駆け寄るとカウンターをふり返る。
「日間くん、そういうコトだから先に抜けるね。美味しかったわ」
言うと、先立って扉を抜けた貴水を追って店を出て行く。
残された日間八尋は後頭部をかいて、テーブル席にぶすったれて座る鈴柄愛に一応訊いてみた。
「ヤツに、振られた?」
「振られてない! 小夜原さんとは付き合ってないって ハッキリ 肯定したもの、千住くんは」
「へえ、じゃあ俺も振られてはいないってコトか……」
なつきの口にしたカクテルグラスを手に、残った液体を飲み干す。
「――でも、アレは付き合ってないって目じゃなかったけどな」
と、先ほどの男の眼差しを思い出し、肩をすくめた。
〜 悲愴2 〜
二人のすぐそこを、クラクションを鳴らしてムダに大きな音楽を響かせた車が横切っていく。
週末の繁華街は人の波で埋め尽くされ、一人で歩くのには少し躊躇〔ためら〕われた。
だから。
「ねえ」
夜の街を連れ立って歩いて、腕を絡めたなつきは貴水の肩に頭を乗せた。
「帰るの?」
「うん、そう」
貴水はなんの含みもなく肯定して、サクサクと駅へと向かう。
「じゃあさ、千住くんのマンションに寄ってもいい? いいよね」
「……少しだけなら」
有無を言わせないなつきの要求に、貴水はいつものように押し切られて頷いた。
まさか、彼女がそういう決意をしていたとは彼には予想もできなかった。
「困るよ」と躊躇する貴水を、部屋の壁に追いこんでなつきは彼の鎧を解いていく。
晒〔さら〕されるケロイド状の痕は、まるで貴水の全身を醜い色の蛇がのたうったようにうねり、彼の素肌を縛っていた。触れると、ビクリと引く気配がしてなつきは思わず言葉を探した。
彼の顔の痕に指を添えて、闇の瞳に自分が映っていることを確かめる。
「全部見せて……わたしも、全部見せるから」
瞠目するその眼差しがにわかに熱を帯びたように彼女を映して、薄暗い部屋の中ではじめて互いに唇を寄せ合った。
「あ……」
服の上からまさぐる細くしなやかな指に、なつきは自分でも知らなかったような淫らな声をあげて仰け反った。貴水の首に腕をかけ、耐え忍ぶが、裾から入ってきた感触には声を抑えることなど無理だった。
長めのスカートをたくし上げられ、太腿の内側をなぞられる。
ゾクゾクと背筋を走る感覚に、身体の震えは次第に激しくなる。
「――は、んん! 千住く……」
首筋にキスを落とされて、ベットに横たわったなつきはぼんやりとカーテンの閉まっていないはきだしの窓に映る月夜の空を見つけた。
(ああ、やだ……誰かに見られちゃう)
貴水の部屋は幸いなことに階層が高いので、おいそれと見られる場所にはなかったが……それでも、近隣には同じようなマンションが建っていたりもするから、気が気ではない。
けれど、強〔し〕いてカーテンを閉める気にもならなかった。
何度目か、絡み合う視線の中でふかい深い貪るようなキスを交わしながら、なつきはこの不器用な 痛み が夢でないことを願った。
*** ***
願いは叶った。
けれど、本当は分かっていた。貴水が本当に受け入れてくれたワケではないことは――だから、「友人のままでいたい」とあとで告白された時も確かにショックを受けたけれども、それほど傷ついてはいなかった。
「帰る!」
悲痛な笑いを浮かべる彼をなじって部屋を飛び出し、ひんやりとした春の夜の外気に頭を冷やして考える。
「ごめん」と謝る彼が、腹立たしくて悲しかった。
( 痛い…… )
なつきの下肢を走る痛みとはちがう、べつの場所から生まれた痛みに顔をしかめる。
あんな顔をさせるつもりではなかったのに。
無理に求めたのは、自分なのだから――貴水が、あんなふうに罪の意識を感じることなどない。どうすれば、それが伝えられるのか分からないけれど……今は、少しだけ泣かせて欲しい。
雲間に翳〔かげ〕る月の滲〔にじ〕んだ空を仰いで、なつきはわずかに喉をふるわせた。
fin.
♯6‐1 <・・・ #6-2 ・・・> ♯7
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