Moonlight Piano #6-1


〜風花音楽大学一回期・親睦会〜
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 たぶん、 彼 にはなつきの言葉が理解できなかった。

 高校を卒業して、互いに同じ音大のビアノ科に進学した千住貴水〔せんじゅ たかみ〕。
 圧倒的な才能と、人の目を引かずにはいない特異な姿。
 そのくせ、存在感は希薄で……全身に巣くう醜悪な傷を隠す包帯に長く無造作に伸ばされた前髪が、彼を現〔うつつ〕から切り離した存在に仕立てている。
「 なに、酔ってるの? 」
 案の定、なつきの言葉を彼は本気には受け取らなかった。
 でも、なつきの身体は勝手に動いて、貴水へと抱きつくと同意も得ずに唇を合わせる。
「さ、小夜原さん……?」
 どんと彼の背中が壁へとあたる。
 なつきを支える腕は優しくて、極力彼女を衝撃から守ろうとしてくれる。
 口付けながら、なつきは泣きたくなって必死に耐えた。そんな卑怯な手は使いたくない。
 強要するのなら、せめて真正面から体当たりでお願いする。
「千住くん、今日はここに泊まるつもりで来たの……分かる?」

 目の前の闇の瞳が、ぐらぐらに動揺するのが分かった。



〜 悲愴1 〜


 彼女が話しかけてきた時から、嫌な予感がしていた。
 だいたい、「自分」に用がある……というところから妙だった。彼女が興味を抱いているのはわたしではなく、彼のハズなのだから。
 ふいを突かれて、油断した。

 なつきは、警戒をあらわにして彼女――鈴柄愛を見上げた。
「コンパ?」
「そうなの、小夜原さん。一回生の親睦をかねて幹事をかってでた人がいてね……それで、参加者を集めてくれって泣きつかれてるのよ。おねがーい」
 手のひらをパン、と小気味よく鳴らして愛はチラリとなつきをうかがう。
 くるくるとよく動く元気のいい目が、上目遣いで言葉とは裏腹な強い力をなつきにかけてきた。
「小夜原さんが来たら、助かるのよ〜だって、キレイだもん。それだけで男が集まるわ」
「……ち、ちょっと声が大きい。恥ずかしいじゃないの!」
 手をヒッシとつかまれて、なつきは真っ赤になって愛に抗議した。
「どーでもいいけど、そーいうのはお断り。ほかをあたってちょうだい」
 ぷい、と無下に手を払い、なつきは席を立った。
「えー! そんな冷たいこと言わないで〜もちろん、メインは親睦会だから健全よ。未成年だからお酒だって出ないわ、小夜原さんはただ座ってるだけでいいからさ」
「あのねー……わたしじゃなくても、鈴柄さんだって十分可愛いし大丈夫でしょ? 無理矢理人なんて集めなくても参加者はいるわよ」
「ダメよ、ダメ! 妥協は許さないタチなの。わたし」
「何よ、それ。そんなモノに人を巻きこまないで」
 ほとほと呆れて、なつきは呟いた。
「まあまあ、いいじゃん。ちょっとの間、彼のことは忘れてさ。楽しんでよ〜♪」

「 ……… 」

 愛の衒〔てら〕いのない言い回しに、なつきが気づくより先に彼女の行動は早かった。
「あ、千住くん。千住くんも参加お願いしマース!」
 講義が別だった彼がやってくるや否や、なつきの返事も待たずに愛は駆け寄った。
(「も」って何よ、「も」って。わたしは参加するなんて 一言も 言ってないじゃないの)
 愛より遅れて貴水へと近づいたなつきは、眉をしかめて彼女を一瞥し……「へえ」とか「ふーん」とか興味があるんだかないんだかハッキリしない相槌をうつ彼の、その足を、思いっきり密やかに踏みつけてやった。



(やっぱり、来なきゃよかった……)

 カウンター席で、グラスに入ったノン・アルコールのカシス・オレンジを弄びながら、チラリと後方のテーブル席をうかがった。
 そこには、一際異彩を放つ貴水と彼にかしずく愛がいる。
 貴水の存在があたりに微妙な距離を作るせいで、まるで二人が別世界にいるような錯覚を起こす。
( やだな )
 親睦会は現在、二次会に突入して一回生主催の会だけあってノン・アルコールの飲み物が充実した『メルメゾン』になだれこんだまではいいのだが、この親睦会に入って貴水の態度が妙によそよそしく感じるのは気のせいだろうか?
 と、なつきはため息をついた。
 もちろん、いつだって彼が積極的だったことなんて一度もない。
 けれど、視線を合わそうともしないなんて……彼が何を思っているのかなんて分かるはずもなく、ひどく不安になる。
 コトリ、と突然目の前に差し出されたカクテルグラスになつきは目を上げた。
「「楊貴妃」、飲みやすいよ?」
 と、貴公子のように彼は笑った。
「日間くん」
 今回の親睦会の幹事をかってでたという宴会部所属の日間八尋〔ひま やひろ〕は、なつきの横へサッサと陣取るとさらに勧める。
「男を惑わせる君にピッタリだ……と、思わない?」
 ぷっ、と笑ってなつきはその白濁した液体を眺めた。
「気障だわ、そーいうの慣れてるの?」
「ひどいなー、俺はホントのことしか口にしない主義なんだけど」
「んー、なら、しょってるのかしら? 自分にはそーいう気障な台詞が似合うって知ってるのね」
「ははっ、流石に小夜原さんは手厳しいなあ。男連中が嘆いてたよ、声をかけても取りつく島もないって」
「わたしはね、期待をさせるような「主義」じゃないの。おあいにくさま」
 「楊貴妃」の入ったカクテルグラスを持ち上げて、少しだけ口をつける。
 わずかにピリピリとしたアルコールの感触、甘いライチの味が広がって確かに飲みやすい。

「小夜原さん」

 と、誰かが呼んだ。
「僕はもう帰るよ、君は?」
「………」


to be...


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