そんな中、急に久一のスーツから音楽が流れる。今、流行のアイドルの新曲だ――。
「おっと!」
と、慌てた久一は携帯を取り出すと、一言二言相手と話して電話を切る。
「すみません、仕事に戻らねばならなくなりました……残念ですが、これで――貴水、悪いがそういうことだ」
なつきに深々と頭を下げた久一はそう言うと、スーツを掴み甥へと声をかける。
「まあ、おまえがカザバナに入るとは正直、思わなかったけどな。なんとなく、理由は分かった」
「はいはい。仕事だろ……叔父さん」
意味深にニヤリ、と笑う久一へ貴水は心底疲れた表情で促した。
「じゃ、失礼します。なつきさん、貴水に襲われないように気をつけてください」
怒涛のように退室した叔父を、貴水は見送って、ジッとカップを見つめているなつきに気づく。
「千住くん」
なつきは顔を上げると、貴水に訊いた。
「わたしを襲ってくれるの?」
思わず、貴水は笑ってしまった。
ふきだした彼を見て、なつきの顔が途端に不機嫌になる。
「笑うことないのに……千住くんの両親って、訊いていい?」
「ああ、それ? 死んだんだ。僕が――七歳の頃だったかな。火事で」
「そうなんだ」
なんとなく、彼の身体の傷がその時のモノなのだと、なつきは直感的に気づいた。
「「絶望」って……」
口にして、なつきは躊躇〔ためら〕った。
「……小夜原さん、何か言った?」
「ん、ううん。何も――」
そう首をふってから、なつきは貴水の様子に違和感を覚える。
「ねえ、千住くん? 調子悪いんじゃない?」
普通に立って、喋っているのにどこか視線が定まらない彼に訊くと、瞠目した貴水は普通に笑って答えた。
「 ああ、平気。ちょっと熱いだけだから 」
〜 カノン2 〜
平気だと抗〔あらが〕う貴水を無理矢理ベッドに押しこめたなつきは、盛大なため息をこれ見よがしについてみせた。
「ホント、信じられない。38度もあって平気なフリしてるなんて……そもそも、その包帯がいけないんだと思うの。全然、顔色が分からないじゃない。取っちゃいなさいよ、バカ!」
病人にここまで容赦がないのもいかがなものか。
貴水は布団に沈みこんで、それでも「そうだね」と普通に答える。
「……もう!」
いつもと変わらない貴水に、なつきは焦れてさらに布団に押しつけた。
「とにかく、寝て! いい?」
「……うん。でも、小夜原さんは?」
と、問いかける貴水に腕を組んだなつきはキッと凄んで黙らせる。
そのまま、素直に目を閉じた彼はやはり疲れていたのかすぐに、寝入ってしまった。
「………」
離れがたくて、なつきはベッドに寄りかかると、規則正しいその寝息にしばらく耳を傾けた。
どこかで聴いたような音色――それはおだやかで、やさしい。
まるですべての鼓動のようだと、思う。
それから。
何度か貴水のために冷やしタオルを変えに立ったりしているうちに帰るタイミングを失った……というよりはむしろ、帰る気がなかったなつきはそのまま貴水の部屋で眠りこんでしまった。
カーテンからのやさしい朝の日差しが、彼女の閉じた瞼を叩いた。
「 ――ん 」
次に目が覚めると、その肩に毛布が掛けられていた。
「千住くん?」
ベッドには、すでに彼の姿はなく、なつきは唖然とする。わずかに開いた寝室の扉から、静かなピアノの音色が聞こえてくるから、確認しなくても貴水がそこにいることがわかる。
「あいかわらず、憎らしいほど上手いのね」
そのゾクゾクする繊細な旋律を聴きながら、なつきは目を閉じた。
大会のみならず、なつきの前でさえあまり本気では弾こうとしない彼の、手加減のない演奏はなかなか聴ける代物ではない。もったいないので、しばらくは眠ったフリでもしておこう――そう思った。
そのまま、どれくらいの時間が経ったのか。半分、眠った白い意識の中でぼんやりと人影が動く。
「小夜原さん」
呼ぶ声に、なつきは答えようとして答えられなかった。
だって。
―――え?
と、思った瞬間にはにわかに感触が離れていて、本当にされたのか夢の中の出来事なのか判断ができなくなっていた。
ただ、目の前には朝日を背にした貴水がいて「おはよう」とふわりと笑ったから、なんとなく幸せだった。
「熱、下がったの?」
「うん、もう平熱。小夜原さんのおかげだよ」
(……ねえ。いま、キスしたのは夢? それとも現実?)
「なに?」
まじまじとなつきに見つめられた貴水が、不思議そうに首を傾げてくる。
「うん、あのね。襲ってくれてもいいのよ?」
半分本気で提案してみると、貴水は唐突な申し出に何ともいえない表情をして……「小夜原さん、朝食でもどう?」と話をそらしてくる。
(なによ、そんなに困らなくてもいいじゃない。バカ)
なつきは心中でなじって、好戦的に微笑んだ。
「 もちろん、いただくわ。千住くん 」
( ねえ、ちょっとくらい期待したって……いいよね? )
*** ***
『どうだ? 貴水。調子の方は……。
なつきさんに看病してもらったんだろう?』
「………」
受話器を持ったまま、千住貴水〔せんじゅ たかみ〕は黙っていた。
登校の用意をすませたなつきが、後ろから「どうしたの?」と訊いてくるのを、人差し指で制して……「今から、学校だから」と受話器を置こうとする。
『まあ、待て。おまえが無理をするから悪い。私だって暇だったら看病するんだが……多忙なんでな。
なつきさんなら、気づくと思ってたよ。当たりだろう?』
「余計なお世話」
無下にそう下して、貴水は 今度こそ 受話器を置いた。
彼の横で待っていたなつきが、くすりと笑って言い当てる。
「電話の相手は、叔父さまでしょ?」
「君も叔父さんも、世話好きなんだから」
「バカね、ただの世話好きでここまでするワケないじゃない。あなたが好きだから、叔父さまも世話を焼くのよ」
いとも簡単に看破するなつきに、貴水は苦笑した。
「僕は、君をここに泊めちゃって正直心の準備に手間取ってるんだけど……本当にその服で行くの?」
昨日の入学式と同じ服をまとったなつきへ、躊躇いがちに訊く。
「 噂になるよ? 」
鮮やかに笑って、なつきは貴水へと腕を絡める。
「 いいのよ。望むところだわ♪ 」
軽やかに彼女らしい態度だったので貴水は自分も肝を据えるしかないと――鞄を手にして諦めた。
fin.
♯4‐1 <・・・ #4-2 ・・・> ♯5
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