Moonlight Piano #23-2


〜風花音楽大学四回期・卒業演奏会〜
 ♯23‐1 <・・・ #23-2 ・・・> ♯あとがき



 なつきの時と同じように、久一は八尋に名刺を渡してニコニコと勧誘した。
「日間八尋君だろう? うちはピアノ中心ではあるけれど、ヴァイオリニストの養成にも力をいれているんだよ。コンクールでの演奏も何度か拝聴していてね……機会があればと、狙っていたんだ。今日の私は運がいい!」
 上機嫌にそう言って、八尋に手を差し出した。
「今後とも、お見知りおきを」
「ふーん」
 と、八尋は久一の名刺をかざして、「そりゃ、どうも」と彼にしては無愛想に言った。
 なつきは、そんな二人を目に映して、いるはずのない人の姿を探していた。

 たくさんの人がいるのに、彼だけが ここ にいなかった。

 朝起きると、ピアノの音が聞こえて……そっと扉を開けると、少し眠そうな影がピアノの前に座っている。
 そこから、生まれる音楽が朝のやわらかな光とともになつきを包んで、とても幸せな気持ちにしてくれる。
 ずっと、そばにいけるような気がしてた。
 けれど、目を開けるといなくて。
 どこにも、姿が見えなくて……考えないようにしていた。
 別れてから、ずっと――。

 本当はずっと、彼の姿だけを探していた。



〜 熱情2 〜


 ピアノの鍵盤に手をそえて、最初の音で想いがあふれた。
( ――会いたい )
 いま、 ここ にあなたがいて欲しかった……なのに。
「千住くん……」
 口にして、なつきの目に涙が浮かんだ。
 なのに、どうして。
(あなただけが ここ にいないんだろう?)
 それが、とても苦しかった。

 ォン。

 苦しくてつめていた息を吐くと、なつきは乱れた呼吸を整える。
 一瞬の静寂と喝采。
 それになつきは覚醒して、自分の演奏が終わったことを自覚した。
 立って、立ち尽くす。
「 小夜原さん 」
 と、彼は言った。
「卒業、おめでとう」
 ふわりと笑った、傷を晒〔さら〕した 千住貴水 の顔に、なつきは目の前の像が歪んで夢を見ているのだとぼんやりと思った。



 パシン、となつきは現実の貴水の頬を叩いて、抱きついた。
「 バカ 」
「ごめん」
 相変わらずの素直な謝罪に、ふるふると首を振ると、なつきは彼の首に腕を絡めたままその首筋に唇を寄せた。
「待たせて、ごめん」
 低くもう一度貴水は謝って、なつきの浮いた腰を支えた。
「ホント。来るの、遅いんだから……待ちくたびれちゃったわ!」
 なつきは泣き笑いになって、ギュッとさらに強く腕に力をこめると、宙に浮いた足を嬉しそうに遊ばせた。


*** ***


 騒然となるホールに、愛はその中心から目をそらした。

 舞台上の二人には、たぶんこの客席の騒ぎすら耳に入っていないだろう。
 結局、わたしは客席側の人間なのだと、思う。
 あの、ピアノ教室に通っていた時代から――彼は舞台上の人間で、愛はそれを傍観する聴衆の一人にすぎない。

「やっぱり、二人はこうでなくちゃ……ホッとしちゃう」
 愛の背後に席を置いた四十万恵〔しじま めぐみ〕が呟くのを、愛は受け入れるしかなかった。
「ホント、イヤになっちゃう……」
「愛、大丈夫?」
 隣に座った瀬戸芽衣子が心配そうに覗きこむので、愛はカラカラと笑った。
「大丈夫よ。だって、知ってるもん……二人がお似合いなのは。ただ、決断できなかっただけだから――」
 諦めること。
 そう、覚悟することが愛にはできなかった。
(でも、もう……ダメかなあ?)
 席を立って、
「ごめん、メーコ。わたし、出るね」

 いま、彼のピアノを聴くことはできなかった。

「 愛先輩? 」
 驚いたような後輩の顔に笑って、愛はいつものようにピラピラと手を振って退場した。



 浮いた足を静かに舞台の上に下ろされて、なつきは抱きついていた彼の胸から顔を上げた。
「千住くん?」
 まだ、足りないとでも言うかのように抱擁をねだる。
 困ったように貴水は微笑んだ。そして、横から入った腕に引き剥がされた。
「はいはーい。感動の再会はそこまでにしておいて、とりあえず仕事してくれるかな? 千住」
 八尋は言って、なつきの腕を取ると、挑発するように言った。
「シェルツ先生の推薦で、「客演」として呼ばれたんだから……せいぜい頑張りな」
 ニヤリ、と笑う。
「 俺が小夜原さんを口説けない 程度 にね 」

 ざわついていた客席が、その一音でシンと静まりかえった。

 ピアノの前に立っていた彼は、椅子に座ると、初期位置に指を添えた。
 前を見る――その姿勢に、なつきの心臓が鳴る。

「やってくれる」

 なつきの隣で、舞台の袖に立った八尋は嘆息してみせた。
 なつきに睨まれて肩をひょいとすくめると、一枚のカードを手渡した。
「今日の宴会。千住の帰国歓迎会だから」
 なつきはカードに目を落として、その用意周到に準備された歓迎会に眉を寄せた。
「いつから、知ってたの? 千住くんが「卒演」で客演をするなんて」
「知ったのは、たまたまだよ……いや、むしろ 必然 かな?」
 その時のことを思い浮かべたのか、目を細めて苦笑した。
「どういうこと?」
 さらに深く追求しようとするなつきを横目で制して、八尋はくすりと笑った。
「まあ、いいじゃん。今は、ヤツの演奏に集中した方が賢いんじゃない? ……小夜原さん」
 貴水の演奏に耳を奪われる。
「最高の出来じゃないか?」

「当然よ」

 と。
 さも当たり前のようになつきは答えた。
 圧倒的なまでの才能と、深みを増した表現力が熱を帯びる。
 それは、絶望だったり。
 悲しみだったり、切なさだったりするのかもしれない。
 けれど、それだけではけっしてないから。
 身体を駆け抜ける焦がれる想いは、いつも……とても優しい彼の音色〔こえ〕。



「 これは――千住くんが、わたしを口説いた 最初の 曲だから 」


fin.


 ♯23‐1 <・・・ #23-2 ・・・> ♯あとがき

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