卒業演奏会、当日。
茜色のロングドレスを着た小夜原なつきは、薄地のストールを裸の肩にかけてホールの通路に出た。
最終組となる今日の出番に、流石に緊張した面持ちで演奏者たちの控え室となっている場所にきて、見知った顔を見つけ戸惑った。
「や、小夜原さん」
「日間くん」
思いのほか、いつもと変わらない軽い彼の言葉と態度にホッとする。
かと思えば、濃い色のジャケットに派手なシャツを装った日間八尋は、目をすがめて訊いてきた。
「で、今日発つつもりなのかい?」
なつきの大きな荷物に目をやって、すぐに視線を彼女の顔へと戻した。
「うん」
と、なつきが迷いもなく頷いたので、八尋は何を思ったのか意地悪に微笑んだ。
「まあ、たぶん必要ないと思うけど」
「……どういう意味?」
眉を寄せて、問いかえすなつきへ「さあ?」と空惚けてみせる。
「すぐに、分かるよ」
影を落とした八尋の眼差しが、なつきの姿を映してふりきるように閉じられた。
〜 熱情1 〜
演奏者の控え室とは言っても、大学の卒業生で構成された演奏会のため、激励に来る学生も多かった。
ザワザワと人口密度があがってきたところに、一際明るい声が響く。
「陣中見舞いに来たよー、お二人さん」
手を上げてやってきた鈴塚愛は、少し前に演奏会を終えたせいか晴れ晴れとした表情で誰かを引っ張ってきた。
「は、離してくださいよ! 愛先輩」
美月綾は真っ赤になって抗議をしていたが、抵抗空しくズルズルと腕を組まれたまま引きずられてきた。
「なによー、そんなに嫌がらなくてもいいのに……あれ? 真っ赤じゃん。どうしたの?」
「……なんでもないですっ。放っておいてください!」
つっけんどんに言われて、愛はさすがにムゥと口をすぼめた。
ふわふわとした花柄生地のショートドレスに、花をあしらった髪飾りをして舞台用の化粧は念入りだった。グロスを塗った唇はつややかに輝いて、一段と華やかさを増す。
「どう思う? この綾ちんの態度! ここ最近、ずっとこんななんだよ。可愛くなーい」
「可愛くなくて、結構です」
「んー、気になるんだよねー。ソレ。「卒業」記念のあの飲み会の時だと思うんだけど、……ダメ。ぜんぜん思い出せない」
「思い出さなくていいですから、ね? 是非、忘れておいてください」
ごくごく真剣に綾は言い聞かせにっこりと微笑んだ。ウンウンと唸る愛を横目に、なつきと八尋へ目線を合わす。
「おめでとうございます。日間先輩、小夜原先輩」
複雑な面持ちで、二人へ苦笑いを浮かべてみせると、ふかいため息をついた。
「不景気な顔ねー。もうっ、激励に来たんだから、もっとシャキといきなさいよ。シャキっと!」
栗色の髪をペシン、と叩〔はた〕かれて、綾は憮然とした。
「……誰のせいだと」
「え?」
「いえ、なんでもないです……すみません、客席で見てますんで頑張ってください」
ぺこり、と頭を下げた綾になつきが「ありがとう」と答え、八尋は意味深にニヤニヤと笑っていた。
何があったかは知らないが、ご機嫌なことになっているらしい……と、腹を抱えて笑いたくなる。
「 ま。おまえもガンバレよ、美月 」
ぷくく、と口元をおさえてじっとりと睨む綾に、かるーく片手を振ってみせた。
「ちょっと、日間くん」
あまりにしつこく八尋が笑うので、なつきが見咎めた。
「そんなに笑うなんて、失礼よ。綾ちゃんがかわいそうじゃない」
「いやー、何があったかじつに興味深い。そう、思わない?」
目配せをされて、なつきは困った。
興味がないと言えば、嘘になる。それでも、八尋の下世話な詮索とはちがうと思いたい。
「思わない。――だから、日間くん。綾ちゃんから聞きだしたりしたら、ダメよ!」
答えまでの少しの間が、八尋の表情を変えさせ……慌てて、なつきは釘をさした。
「ははは、大丈夫大丈夫」
何が大丈夫なのか意味がわからない。
彼の思考はすでに、なつきの言葉など届かない場所に飛んでいるらしかった。
「もうっ!」
うんざりして、なつきは目に映った人影に瞠目する。
「おじさま!」
どうして、ここに? となつきは控え室に入ってきた千住久一に駆け寄って、首をかしげた。
「そんなに不思議がらなくてもいいだろう? なつきさんの「卒演」なんて見逃せないからね……楽しみにしてるよ」
「ありがとうございます」
なつきは微笑んで、膝を軽く折って頭を垂れる。
「そりゃ、今日の演奏は…… 特別 に決まってるよ」
なつきの背後から現れた八尋の呟きに、久一はハッとした。
「君は――」
to be...
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