Moonlight Piano #20-1


〜風花音楽大学二回期 → 四回期・春〜
 ♯19 <・・・ #20-1 ・・・> ♯20‐2



 千住貴水がドイツに発った日。
 泣き崩れる小夜原なつきをシェルツ・ウィン・フレーバーが支え、鈴柄愛が抱きついて一緒に泣いた。
「バカぁ! だから、素直に言えばよかったのにっ」
「な、なんで鈴柄さんまで泣くのよ……」
「いーでしょー。わたしだって、つらいんだもん!」
 いー、と歯をむき出して睨む愛に、なつきは「うん」と頷いた。
「だよね、わたしもつらい」
 えーん、と子どものように泣く愛に抱きつかれてなつきは彼女を抱きしめた。
 肩にかかる頭の重みに、じんわりとした寂しさが涙に変わる。
(千住くん……)

「やっぱり、殴っとくんだった」
 と、二人が泣くのを見てなぜか見送りに来ていた日間八尋〔ひま やひろ〕が、ポツリと言った。
 けれど、それから貴水が日本に戻ることはなく……一年以上が過ぎた。



〜 G線上のアリア1 〜


「綾ちゃーん!」
 四回生になったなつきは、学内の中庭をいく学生に声をかけた。
「なつき先輩」
 薄茶色をした細い髪に、ガラス玉を思わせる澄んだ茶色の瞳の彼は首をかしげて、繊細な表情をつくる。
 その声は、少年のようなボーイソプラノと成熟した男声のテナーを合わせたような独特の 人を惹きつける 音だった。
 声楽科一回生の美月綾〔みつき あや〕は、息をきらしたなつきにくすくすと笑った。
「大丈夫ですか? 先輩」
「ん。ちょうど見かけたからコレ、渡しとこうと思って」
 ハイ、と手に持っていた紙を差し出した。
「あ、宴会部の企画書ですか。ありがとうございます」
「いえいえ。集めるの大変だろうけど頑張ってね」
「はい」
 頷いて、綾は今回はそれでも人集めは楽だろうと考えた。
 なぜなら、今回の企画は合同企画だから……四回生の有名な難攻不落の姫である目の前の彼女や、口説きのプリンスと呼ばれる日間八尋、それに――。

「お? 何してんの?」

 ふわふわと毛先のはねた髪を結い上げた女学生が近づいて、手をピラピラと振ってみせた。
「小夜さん、綾ちん」
「……綾ちんはやめてくださいよ」
「へ? なんで?」
「疑問を抱かない愛先輩の方がおかしいです」
 力強く断定されて、愛はカラカラと笑った。
「まあまあ、可愛いじゃん♪」
「可愛くないですよ……何とか、言ってやってくださいよ。小夜原先輩」
 後輩と先輩のやりとりにおだやかに微笑んだまま、なつきは軽く唸って言った。
「んー、鈴柄さんのコレはなおらないと思う」
「そうそう、諦めな」
「愛先輩が言わないでください!」
 絶望的に叫んで、綾は「はー」と深くため息をついた。
「小夜原先輩がモテるのは理解できるとして、愛先輩も人気があるってのが解せないです。僕は」
「失礼な」
 ぶー、と唇を尖らせて愛は綾を睨み、ふふふとからかうように言った。
「ま。わたしも小夜さんも想い人がいるからね、恋しても無駄だよん? 綾ちん」
「だから、綾ちんはやめてくださいって……」
 ガックリ、と肩を落として、綾は二人の「想い人」の存在に興味を惹かれた。
 難攻不落の姫を陥落させた唯一の男は、今はドイツに留学中で半年ほど前に正式にこの「カザバナ」を退学した元・学生。
 奇怪な姿と類稀なピアニストの才能をもった彼を、なつきも愛もまだ好きだというのだが。
(どんな男だよ……)
 彼の話をする時にだけ影の差すなつきの表情に顔を曇らせ、綾は憤りさえ感じた。



 くはは、と綾の質問に日間八尋が喉を震わせてキッパリと言い放った。
「 最低の男だね 」
 ちろりと流し目をよこして、グラスを煽〔あお〕る。
「……八尋先輩、ソレ、多大に 他意が 入っていませんか?」
 綾の不平に、おや? と眉を上げて八尋は首をかしげた。
「俺の意見を聞きにきたんじゃないのかい? あの二人の評価じゃ不満だったのだろう?」
 図星を指されて、綾はモゴモゴと口ごもった。
 目の前にある、ノンアルコールのモスコミュールを眺めて「そうですけど」と認める。
「まあ、あの二人に千住の評価を聞いたら間違いなく……高いだろうね。「あばたもえくぼ」ってヤツかな? 俺からすれば、最低だけど」
 八尋はなつきと愛の二人のいる席を見て、目を細めた。
「だって、考えてもみろよ?」
 相変わらず取りつく島のないなつきのそばにはあまり男はいなかったが、それでも貴水がいた頃に比べれば執拗な誘いを受けているようだった。対して、愛は無下に断ったりしないから華やかに楽しんでいるように映る。
「あの二人を泣かせる男だぞ。 最低 に決まってるじゃないか」
「はぁ……愛先輩もですか?」
「そう、罪作りなヤツだろう? 小夜原さんと同じくらい鈴柄さんもつらいハズだよ」
 なつきにはなつきのつらさがあるように、愛には愛の葛藤があるだろう。

「美月もヤツに会えばそう思うよ、きっとね」

「そう、でしょうか?」
 少し、不本意そうに綾は目を上げて八尋を見定める。
 そんな彼の薄茶色をしたやわらかい髪をわしゃわしゃと撫でまわして、八尋は断定した。
「そうですよ! なんたって、おまえとは 気が合う ような気がするからねえ、俺」
 と、ニカリと上品に笑ってみせた。


to be...


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