Moonlight Piano #16-1


〜風花音楽大学二回期・後期日程デュオ演奏〜
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『 千住君、どうかな? 一曲 』

 挑戦を挑んでから、早一年が過ぎていた。
 日間八尋〔ひま やひろ〕は何度目かというくらいの二人の痴話喧嘩を見てきただけに、今回の千住貴水と小夜原なつきの喧嘩に(またか)という気分になる。
 今回も、結局のところは痴話喧嘩だ。
 言い寄る男に、なつきの態度は取りつく島もないし、貴水の方も鈴柄愛〔すずつか あい〕のモーションになびく気配もない。
 互いを強く意識しながら、それでも入りこむ隙があるように映るのはどうしてなのか……八尋は、不思議でならなかった。
 普通なら、すぐに諦めるハズの自分がいつまでも未練を持つのは、その隙のせいなのか。
 それとも、――。
「君が、特別だからかな? 小夜原さん」
 口ずさんで、八尋はそのフレーズが気に入ったように貴水を追う目を細めた。



〜 ラ・カンパネルラ1 〜


 『メルメゾン』のカウンター席に座って、なつきは怪訝な顔でその言葉に顔を向けた。
 大学祭のあと。
 カザバナ宴会部の例のごとく強制参加の飲み会で彼女は、ノン・アルコールのカシスオレンジの入ったグラスを手に握りしめて否定した。
「 喧嘩 じゃないわ」
「ははーん」
 と、八尋は合点がいったように相槌を打つ。
「どうりで長引くワケだ……変だとは思っていたけど、なるほどねえ」
「なによ?」
 ワケ知り顔で八尋がニヤニヤと笑ったものだから、なつきは不機嫌に眉を寄せてグラスに口をつける。
「喧嘩じゃないとすると……倦怠期かな? エッチはしすぎるとマンネリ化するからね」
「なっ!」
 あまりのことに真っ赤になってなつきは八尋を睨むと、「もう!」と呆れて息をついた。
 あからさまに面白がる、八尋の目。
 からかわれたと気づいて、頬が染まる。
「そうじゃなくって。千住くんが、分からず屋なだけなのよ」
「つまり、なつきは仲直りしたいのよね〜」
 と、いつの間にやら宴会部のメンバーに加わっていた四十万恵〔しじま めぐみ〕がなつきの横から顔を出す。
 彼女は、すでに二十歳を過ぎたと自称しているため真正のカクテルを口にして、ほろ酔い加減で頬を染めていた。
 肩のあたりまで伸びたまっすぐの黒髪に、思慮深い瞳がくすくすと笑う。
「まあ、分からなくもないわ。入学当初はどこがいいのか まったく 分からなかったけど……最近の千住くんの演奏なんてドキドキしちゃうくらい素敵だもの。なつきが惚れるのも仕方ないって感じ」
「……なに、失礼なこと言ってるのよ」
 目の端でチロリと恵を睨んで、なつきは力なく息をつく。
「そう。わたしだって、千住くんのそばにいたいのは山々なのよ。あなたみたいな俄〔にわか〕ファンが最近多いから」
 鈴柄愛だけはない。貴水が隠すことなくピアノを弾くようになって、一躍有名になるとそれまで存在すら認めていなかった女学生たちまでもが、彼に注目するようになった。それだけの価値が彼のピアノにあるのは確かだが、その才能に惚れ、つきまとう人間まで現れたものだから気が気ではない。
 元来、貴水は優しい。
 あからさまな彼女たちの変化にも気づいているだろうに、邪険に追い払うことをしなかった。
 それが、なつきには嫌でたまらない。
 もちろん、貴水が誠実なのは知っているけれど……。
「心配なんだね?」
「……ただの独占欲よ」
「小夜原さんらしい答えだな。でも、 それ なら彼にもあるハズだよ」
「え?」
 よく分からないと八尋へと顔を上げ、目を見開く。

「 独占欲 」

 ごちそうさま、とかすめるようになつきの唇に触れた唇で言って、一部始終を見ていただろう男に向き直る。
「俺からの挑戦状だけど、気に入ってもらえたかな? 千住君」
 醜悪な傷を白い包帯で隠した華奢な長身の彼は、ソファ席に座ったまま八尋を睨んで「殴ってもいいかな?」と物騒なことをポツリと呟いた。



 日間八尋と千住貴水のデュオ演奏の話は、瞬く間に噂になった。
 最近何かと目立つピアノ科の特異な容姿の彼と、ヴァイオリン科のプリンスと称される彼の組み合わせだけでも十分なゴシップだったが、それにくわえてその発端が特異な姿の彼の可愛い彼女……ピアノ科の気高き華である女学生の「唇」だったという色恋沙汰だったから、さらに無責任に囃〔はや〕したてられた。
 噂の中心となったなつきは、周囲の好奇の目に晒されかってないほどに不機嫌に八尋を非難した。
「引っぱたかれなかっただけ、感謝してほしいわ」
「案外、根に持つんだね。小夜原さんは」
 ギロリ、と睨まれ、八尋は口をつぐんで、あの日から近づこうものなら容赦ない攻撃を受ける自身に苦笑する。
 身から出た錆とはいえ、毎度毎度力いっぱい向う脛〔ずね〕をけられたり、足を踏まれてはたまらない。
 なつきから一定間の距離を保ちながら、損な役回りだと自覚する。
「でも、手を使わないのは彼の言葉があるからだろう?」

 あの時。

 なつきが八尋を引っぱたこうとしたら、貴水が静かに止めた。
「叩いたらダメだ、小夜原さん。君の手は、ピアニストの手なんだから」
「だけど、千住くん!」
 我慢ならないなつきは、落ち着きはらった貴水に不満さえ覚えて言いつのる。
 確かに、貴水の言葉はもっともだ。
 最初の呟きこそ物騒だったが、行動に移すほど彼は感情的な人間ではない。
 貴水らしいと言えばそうなのだが……言葉どおりに殴ってほしかったと思うのも、女心というもの。
(そりゃあ、千住くんの手で殴ってほしいなんて、本気では思わないけど)
 彼の言葉ではないが、ピアニストにとって手は「宝」。武器にするものではない。
「――報復は僕がする」
 と、ソファから立ち上がった貴水が告げた言葉になつきの思考は停止する。
「 え?! 」
 それは、つまり……。

 八尋の挑戦を、受けると表明したことにちがいなかった。

「だから、言ったんだ」
 黙りこんだなつきへ、心を読んだように八尋が複雑な面持ちで微笑った。
「独占欲は、彼にもあるってさ。それも、とびきり強力でやっかいな代物がね」


to be...


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