Moonlight Piano #11-2


〜風花音楽大学一回期・夏期休暇「約束の日」〜
 ♯11‐1 <・・・ #11 ・・・> ♯12



 病室で眠る、葉山水江を見下ろして貴水はポツリと呟いた。
「いつものことなんだ」
 と。
 だから、小夜原さんが気にすることはないんだ……とも、言った。
 いまだ握り締められた手を眺めて、なつきは肌を極力隠した特異な姿の彼を仰ぐ。
「千住くん」
「ごめん、僕はここにいない方がいいだろう。もうすぐこの人の目が覚めるから」
 と、彼は笑って病室から出て行く。
「こんな時まで、笑わなくてもいいのに」
 見ているほうが、痛いじゃない。
 なつきは愚痴って、手が束縛から解かれていることに気づいた。

「 本当にね 」

 と、水江は笑って「はじめまして、貴水の母です」と静かに名乗った。



〜 ノクターン2 〜


 貴水のマンションに戻って来て、なつきはピアノを弾いていた。
 「聴きたいんだ」と、彼が言ったから……驚いた。貴水がこんなことを頼むのははじめてだった。
 もともと、彼はあまり人に対して要求をしてくるタイプの人間ではなかったし、一人で何でもこなす器用なところもあったから、なつきに対しても何かを求めてくるということは、今までなかった。
 鍵盤に指を滑らせて、哀切とした静かなメロディを奏でる。
 光源を絞られた、薄闇のリビングでピアノの音色だけが響く。

「千住くん」

 ピアノを弾き終わったなつきがやってくると、ソファに腰を下ろした貴水が顔を上げる。
「ごめん、ありがとう。小夜原さん」
 小さく笑って、なつきのもの問いたげな眼差しに思案する。
「僕は、小夜原さんの優しいピアノ、好きだよ」
「――あのね、千住くん。ツライ時はツライって言った方がいいよ。でないと、しんどいでしょう?」
 屈んで、彼を覗きこむと、なつきは胸が苦しくなるのを感じた。
 闇の眼差しは細められ、こんな時でもゆるやかに優しく笑う。
「言えないよ、僕は」
「じゃあね、そういう時は眠るの。何も考えなくてもいいように」
 貴水は首を振って、「眠れないんだ、いつだって」と目をなつきからそらした。
 しかし、なつきがそれを許さない。
「大丈夫よ、協力する」

「協力って……小夜原さん?」

 怒ったような貴水の固く尖った声に、なつきはハッとした。
 バカだと思う。
(こんな時に何を考えてるのよ、わたしは……千住くんが、そんな気分になるはずがないのに)
 と、自嘲して思わず笑って誤魔化した。
「なんてね。冗談――」
 唇に何かが触れて、なつきは言葉を失った。
 千住くん――?
 目を見開いて、間近で彼を確認する。
 闇の瞳が、垂れ落ちる長い前髪の狭間から言った。
「小夜原さん、迂闊〔うかつ〕だよ。君は……冗談でも、そんなことを言ったらダメだ」

「……え? あの。ちがうの」
 冗談じゃないのよ、と伝えようとしてなつきは伝えることができなかった。
「もう、遅いよ」
 ふたたび、唇が重なってふかくなる。
 意志を帯びた貴水の手の動きに身体が慄〔おのの〕いて、抱きしめられたところから溶けるように甘い痺〔しび〕れが目覚めた。
 はじめてではない、感覚。それでいて、前よりも格段に順応した自身の反応に戸惑った。
 なつきの身体を衣服の上から触れていた手は、いつの間にかその下にもぐりこんでヒヤリとした低温の指先が、直接肌に触れる。
「 あ 」
 声が洩れて、なつきは身じろいだ。
 そうしている間にも纏〔まと〕っていた衣服は彼女を離れて、床に落ちる。
 何も着ていない自分の姿を真剣な貴水の目に映されて、流石になつきは恥ずかしくなった。
 ベッドに辿り着いたところで、抗〔あらが〕う。
「や……っ、千住くん!」
「だから、遅いんだよ。小夜原さん」
 やけに静かな彼の声に、なつきはムッと口をすぼめた。
「ち、がうってば。千住くんも脱いで欲しいの……全部――」
 なつきの訴えに、一瞬貴水はぽかんとした。
 省みて、呟く。
「ああ、そっか。気づかなかった」
 衣服を脱いで、全身の包帯を解く。
 醜悪な傷跡を露〔あらわ〕にした彼は彼女を襲って、組み敷いた。
「これで、いい?」
「 いいよ 」
 なつきは、上になる貴水を極上の笑顔で受け入れた。
 彼の首に手をかけたら、コツン、と額が当たって唇が優しく重なる。
 うっすらとした闇に響く、濃密な音色。
 下方に滑って、首筋やもっとほかのあらゆる場所にキスを受けて、返していくと、意識が次第に飛んであとは真っ白になった。


 次の朝に、貴水のピアノで目が覚めるまで――なつきはぐっすりとした心地いい眠りに落ちていた。


*** ***


「 おはよ 」

 と、シーツに包まった格好でやってきたなつきにピアノの前に座った貴水は呆れたように忠告した。
「迂闊だよ、小夜原さん」
「え?」
「朝から、そういう格好で刺激されると歯止めがきかない」
 何のことかと一瞬分からなくて、困ったような彼の眼差しとため息でようやく気づいた。
「……そうなの?」
「一応、僕も 男 だからね」
 さりげなくチクリと刺す厭味が貴水らしくなくて、よほど余裕がないのだなとおかしくなった。
「言わなくても、知ってる」
 微笑んで、優しく満ちる朝陽の中、ふわりとついばむようなキスをひとつ。

「着替えてくる」
「どうぞ」
 低く唸る貴水の声を背に聞いて、その後から追ってくるしっとりとした優しいピアノの音色に、なつきはすこしは自分の身体が彼の浮上に役立ったのかと思えて、嬉しかった。


fin.


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