「奈菜、俺――」
間近で見た、遥くんの思いつめた顔にドキリとする。
左頬と右の内腿を撫でる彼の指先が、ひやりとして熱い体と対照的だった。
こんな気持ち、ハジメテなの。これから、どうなっていくの?
遥くん。
考えると……ちょっと、怖い。
「 遥 」
瞬間、聞こえた冷静な伶先輩の声にわたしたちは飛び離れた。
乱れた服装を整える時間もなく、扉は開いて「あら」とやっぱり冷静な伶先輩の声。
ブラウスの前だけを手で合わせたわたしと、服装の乱れはないものの不機嫌な遥くんに、無表情な先輩の顔が覗く。
「最中だった?」
って、伶先輩!
こんな時まで、ごく普通に去っていかないでくださいっ。
思わず、手を伸ばしかける、わたし……。
「夕飯、すぐにできるから」
ああっ、もう! わかりました。
わかってますとも。
伶先輩にリアクションを求めても、ダメなんですよね。
わたしは外れたブラを元通りに身に着けて、服を整え……ボタンをとめていく。
「ごめんな」って遥くんが言って、ううんと首を振る。
気まずいけど。
むしろ、ホッとしたって言ったら……どう思う?
バタン、と扉が閉まって、キッチンまでやってきたのは西野先輩だった。
「いやー、白石ちゃんって可愛いね。男心について熱く語ってきたよ」
耳に残るいつもの美声でそう言うと、まるで自分の家のように空いていた椅子に座った。
「おー、今日は炊き込みご飯ですか。いただきます」
手を合わせて、食べはじめる。
「あの、西野先輩……よく、ここでご馳走になられるんですか?」
「ん? ……そうそう」
もごもごと口の中のモノを租借したあと、西野先輩は頷いた。
「伶のご飯も美味しいけど、遥くんも案外器用だからイケるんだよ……ホラ、両親がいないだろう?」
「西野」
「センパイ」
家の主である姉弟の二人に諌められた隣の住人は、肩をすくめた。
「……え。あの、訊いていいですか?」
伶先輩は静かに西野先輩を牽制していて、遥くんもどうしようかと迷っているようだった。
(なんだろう? コレって、訊いちゃイケナイことなのかな?)
でも、気になったら訊くしかない。
ほかならぬ、遥くんのことだし。
「ご両親って、亡くなられたんですか?」
沈黙。
やっぱり、ちょっとダメなことだったみたい。
空気が固くなる。
伶先輩がふぅ、と息をついて、西野先輩がそ知らぬ顔で告げる。
「黙ってても、いつかはバレるよ。伶」
「分かってるわよ……ただ、奈菜ちゃんには正直、気を遣われたくなかったから」
と、伶先輩は真向かいに座る弟へと視線を滑らせて頷いた。
「遥から、言ってあげて頂戴」
「わかった」
遥くんは神妙に言って、わたしの方を向いた。
そして。
明かされる、秘密。
「 行方不明なんだ 」
って、ええ?! 遥くんの両親ってどういう人なのさっ?
*** ***
「ごめんな」
奈菜に対して、いろんな意味を含んでの謝罪だった。
ううん、って彼女は頬を緩めたけど……いつか、俺、すっごく後悔するんじゃないかって思った。
今日のこと――。
両親が研究先の中東の密林で行方不明になったのは、姉貴が中学で俺が小学校の高学年の時だった。
その時すでにあまり感情が表にでなくなっていた姉貴は、さらに無表情になって親戚連中からの心配をよそに両親の帰りを待つため、このマンションに残ることを決めていた。
慣れない家事、近所との付き合いや必要な書類の提出など……中学生がするには荷が重過ぎるすべてを学校生活と両立させて、なんでもないことのようにやってのける姉貴を俺はずっと見てきた。
だから。
姉貴が俺を頼ってきた時、たとえそれが悪いことだと分かっていても協力したいと思った。
正直、嬉しいとも思ったし。
姉貴がセンパイの行き過ぎたスキンシップに寛容なのは、寂しさのあらわれなのかとも思える。
センパイも、姉貴のことは気にかけてる。
今のようなスキンシップになったのは、あの頃くらいからだったし……本気で好きなんだろうな。
姉貴の気持ちは、イマイチよく分からないけど。
「 行方不明なんだ 」
奈菜には、旅行中の出来事だって説明したけど、本当は違う。
両親二人だけの小規模な研究だったから、表向きはただの「旅行」だけど……俺たちの両親は「考古学者」で、あれは「研究旅行」だったんだ。
奈菜のスカートから盗〔と〕ったそれを、テーブルの上に置く。
「 あと、ひとつ 」
と、姉貴が言った。
固い表情の俺をうかがうようにチラリ、と眼鏡越しに確認して、涼しい無表情で釘を指した。
「当然でしょ? 「押し倒せ」とは言ったけど、「最後までしろ」とは言ってないわよ」
ああ、そうかよ。
俺だって、最後まで――いや、自信はあまりないけどさ。
やろうとは思ってなかった。一応な。
奈菜だって、ああは素直に体を預けたけど、逃げ腰だったし。
目が泳いでた。
「だからって、最中に入ってくるか? フツウ」
「遥が途中で止められる……っていう、確証がなかったし。奈菜ちゃんだって、あの方が気を遣わずにすむでしょ」
いや、すっごく恥ずかしがってたぞ。アレは――。
「高校生のうちに、 婚前交渉 なんて――お姉ちゃんとして、許すワケにいかないのよ。当たり前じゃない」
ちょっと、待て。
「 唆〔そそのか〕したのは、 姉貴 だろ! 」
いい加減、腹が立ってきた。
信用されてないうえに、まるで俺がケダモノみたいじゃないか!
「まあまあ、遥くん。途中で邪魔されたのは、辛かったかもしれないけど 役得 なんだから」
と、それまで傍観していたセンパイがのんびり「さきいか」を口にしながら笑った。
「奈菜ちゃんの柔肌に 生で 触ったワケだろう? あとで感想聞かせてよ」
「センパイ!」
「西野!」
ピシャリと、俺たち姉弟に一喝されて、ヤツは肩をすくめた。
「冗談だよ」
でなかったら、殴ってるよっ?!
奈菜の裸を想像して……つーか、ほぼ見てるんだけどさ。ツライよな、男って。
ため息をついたら、センパイに頷かれた。
(センパイに理解されるって、どうなんだ……?)
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