すこし前の話。
遥くんのファンクラブのみなさんに呼び出されたわたしは、さすがの大人数に怯えていた。
(ま、まさか。前の博物館での現場を押さえられてたりして……どうしよう)
とりあえず、あまり使用頻度のない階段の踊り場へと連れてこられて取り囲まれる。
「井元さん」
「はいい! アレは何かの間違いでっ」
身構えて、次の瞬間呆気にとられた。だって――。
「ごめんなさい!」
と、一斉に頭を下げる面々に「へ?」と間の抜けた声で訊きかえす。
「飛木くんの件、わたしたちの誤解だったから!」
「え? うん」
「迷惑かけちゃって、反省してるの。許してくれる?」
殊勝な彼女たちの態度に、逆に焦ってわたしはブンブンと頭をふった。
こんなにも深く謝られるほど、迷惑をこうむったワケではない。あくまで、彼女たちは節度をわきまえていたし……そりゃあ、大きな誤解ではあったけれど遥くんを好きなのは、ヒシヒシと伝わってきた。
「い、いいよ。誤解だってわかってくれたんだったら、それで。頭下げられても……困る」
「ホント、ゴメンね。飛木くん、「彼女」もういるんだって」
「―――え?」
わたしは聞いて、頭が真っ白になった。
「なのに、井本さんにお門違いなコト訊いちゃって」
「恥ずかしいわー」
と、口々に謝罪する彼女たちの言葉を耳だけで聞いて、わたしは自分でもどういうふうな顔をしているのか分からなかった。
けれど、ごく普通に「よかった」とか「ありがとう」とか言われているのを見ると、変な態度ではないらしい。
「じゃあ」
と、立ち去ろうとする彼女たちにわたしは思わず訊いてしまった。
だって、気になるよ!
「あの……は。飛木くんの彼女って?」
ふわりと笑って、ファンクラブの面々は肩をすくめた。
「さあ? 飛木くんに訊いてみたら、――どうかしら」
(……訊く?)
ぼんやりとした思考回路のまま、「超常研」の部室前まで来たわたしは人の話し声にノブを回す手を止めた。
( 西野先輩? )
ひそめられた声は、それでも耳に残る美声ですぐに誰の声かわかった。
『西野……なに?』
無表情な伶先輩の声がわずかに揺れて、衣擦れの気配。
小さな窓からちょっとだけ中を覗くと、西野先輩が背後から伶先輩を抱きしめていて、わたしは慌てて頭を引っこめた。
わわわ! どうしよう。
二人っきりの部室でそんなこと……先輩たち、いつの間にそーいう関係になっちゃったんですかっ!
『伶、どう?』
『どうって? ちょっと耳なめないでよ、西野?』
ガタガタと机とぶつかる音が響いて、低く西野先輩の声が響いた。
先輩、もしかして……押し倒した?
『遥くんも彼女ができたんだし、そろそろ考えてくれてもいいと思うんだよね』
『遥? 考えるって何の話よ』
『んー、とりあえずココから?』
言葉が途切れて、あとは少しの物音と息遣い。
でも、わたしの頭は西野先輩の発した本日二度目の単語だった。
「遥くんの彼女」……ファンクラブの情報を疑っていたワケではないけれど、やはり彼女たちから聞くのと、先輩の口から出るのとでは真実味がまったくちがう。
(やっぱり、いるんだ……?)
そう思うと、どうでもいいような気がしてきた。
案外、平気?
なのに――。
「 奈菜? 」
彼の声を聞くと、ダメだった。全然ダメ。
知らない間にこぼれた涙に、アイツの顔がびっくりしたあと強張った。
(やだやだやだやだ! 帰りたい!)
わたしはこれ以上恥ずかしい醜態を晒〔さら〕す前に離れようと、涙を拭ってその場を逃げだした。ハズなのに、なぜかアイツは離してくれなくて……それどころか、コレってキス?
目を開けたら怪盗はいなくて、相手はやっぱり遥くんだった。
「んー!」
相手が怪盗だったら、こんなにも傷つかなくてすんだのに――。
( ひどいよ、こんなの )
ドンドン、と小柄なのにしっかりとした胸板の彼を叩いてわたしはジタバタと暴れた。
ふっとゆるむ手首の拘束に、自由になった手で彼の頬を打つ。
「ってー」
顔をしかめる遥くんに、わたしは叫んだ。
声がかすれる。
「 バカぁ! 」
ムッと遥くんはしかめた顔のまま、わたしを睨む。
(なんでわたしが睨まれるのよっ、おかしいじゃない!)
「なによー、彼女いるくせに……」
「は?」
ぽかん、とした顔でわたしを見る。思わず、わたしはまた涙がこぼれた。
もう、やだ。
「バイバイ!」
「ちょっ、待て。奈菜!」
呼び止めるヤツの声が聞こえたけれど、今度こそわたしは逃げだして――二度とふり返らなかった。
*** ***
失敗した、と思った。
逃げていくポニーテールに胸がざわめく。後悔と、そんなものとは比べ物にならない歓喜が広がっていく。
奈菜は、俺を好きなんだ――。
(信じられないけど……)
呆然と立ちすくんで、でも絶対だと思う。
目に涙をためて訴えた彼女の言葉は、「彼女がいるくせに」だった。
(うわっ、どうすんだよ! スッゲー、うれしーんですけどっ)
「見守る会」の奴らに感謝すらおぼえる。俺ってゲンキンか?
問題はあるけど、今は彼女の気持ちがハッキリしただけで十分だった。
ポコン、と背後から頭を叩かれてふり返る。
「姉貴」
鉄面皮の表情で、姉貴は「馬鹿じゃないの」と凍るような冷たさで言う。
「女の子泣かせといて、何、ボーッとしてるのよ」
「分かってるよ、そんなこと」
俺だって、アレは失敗だったと思ってるんだ。
奈菜を泣かせたこと――問題は、どうやって誤解を解くか? なんだけど。
「ちょうどいいわ。クリスマスまでに告白するのよ、遥」
「なんだよ、ソレ」
そんなことまで姉貴に命令されるなんて、思わなかった。
「言われなくても、するに決まってるだろ」
「そう? じゃあ、コレ仕事ね」
そう言って、手渡したのは次の標的の図面と日取り。
「 クリスマス・イブ かよ」
俺の嘆きに、姉貴はそうよとアッサリと肯定した。
はいはい、やればいいんだろ。やれば。
告白も泥棒も、な。
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