盗のお仕事。1-3。「の予感?」3


〜甘品高校シリーズ1〜
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 井元奈菜を抱きしめて、俺は困惑した。

(なんでこんなことになってんだか……)
 はあ、と思わず息を吐いて、間近で顔を合わすワケにはいかないから彼女の動きを封じるために強く抱く。
 ふにゃりとした小柄な身体がすっぽりと腕の中に納まると、これまでのことが別段悪いコトではなかったような気がしてくる。
 俺としては、ケンカしたいワケじゃないんだし。
 照れて笑っちゃったり、茶化したり、ムキになる彼女が可愛いから思わず煽〔あお〕ったり……したけどさ。
 本当のトコロは、自分でも気づかなかったソレを指摘されて、どうしようかと思っただけなんだ。
 柔らかな猫っ毛に頬を埋めて、芽生えた気持ちを確かに感じる。
(そうか、俺って井元〔コイツ〕が好きなのか……)
 と。
 なのに、腕の中の彼女はと言うと不機嫌に無視をするから、ムカついた。
 雅弘には笑うくせに――。

 俺は苦く笑った。

(煽〔あお〕っておいてなんだけど)
 まさか、ここまで追っかけてくるなんて思わなかった。
 そのくせ、怪盗姿の俺を前にして動転して、椅子を蹴倒すんだからなあ。
(ヤバイよなあ、コレは)
 この温もりを放したくない、と切実に思うのに……「ごめん」と小さく囁く。
 ――今、バレるワケにはいかないんだ。
「へ? ……ひっ!」
 かすかな悲鳴を洩らして、井元の身体は力が抜けてぐったりと倒れこむ。
 意識を落とさせるだけの、技〔わざ〕。
 その身体を抱えて、俺はやっぱりどうしても彼女のスカートに手を出すことができなかった。
 彼女のそこは、俺にとって聖域みたいなもの。
「 ……… 」
 あー、俺。
 今ぜったい、顔赤いんだろうなあ。



 項垂〔うなだ〕れた俺の後ろから、姉貴が声をかけた。
「遥?」
「姉貴、見逃してよ」
 俺は、たぶん情けない声で頼んだ。
 とても、無理だ。
 ここから石を取り返すなんて……。
 冷たい叱咤が飛ぶと高〔タカ〕をくくっていた俺に、意外にも姉貴はため息をひとつついて「仕方ないわね」と了承した。
「あ、姉貴? いいの?」
 顔を上げた俺が見たのは、冷ややかな無表情。
 しかし、どこか物問いたげに見下ろしている。
 心境的には、たぶん(あんたが言ったんじゃない)とかいう視線なのだろう。
 感情の起伏のない姉のことなので、推測でしかないけど。
「いいことじゃないわ。でも――今しばらくは待ってあげる」
 思慮深い黒の瞳をまっすぐに俺に向けて、放つ。

「………は?」

 なんか今、すっごく不可解な言葉を聞いたような気がするんだけど……気のせいか?
「――待つ、ってなにを?」
「そのままよ、遥。あんたができなかったら、西野に頼んでもいいんだけど?」
「いや、だから……」
 俺は、言いながら嫌な予感がした。
 こういう時の姉貴は、容赦がない。
 無表情が次第に、冷徹に見えてくる。
「手が出せるくらい親密になれば、取り返せるでしょ、そうじゃない?」
 ……ちょっと、待て。姉貴。

 そんなことを、「可愛い」と豪語した(かなり、懐疑的ではあるが)ハズの弟にそそのかすな。

「伶、遥くんが固まっているって」
 くすくすと笑いながら、雅弘が姉貴の背後から現れた。
「しかし、まあ、俺はどっちでもいいけど。どうする、遥くん?」
(どうするも、何も……)
 その類稀な美声と端正な顔でのにこやかな脅迫に、残された選択肢はない。
 考えてもみろよ?
 井元なんて、簡単に雅弘の手管にひっかかるに決まってるんだ。今でさえ、この男には無防備なんだから。
「やる。――やれば、いいんだろ?」
「そう、よかった」
 無感動に応じた姉貴は、隣に来た雅弘をうかがって鉄面皮は鉄面皮のまま顔を曇らせた。
「雅弘は残念だったわね。やる気だったみたいなのに」
 たはーっと雅弘は脱力すると、困ったように笑った。
「そりゃないだろー、伶」
「なに? 暑いんだから、くっつかないでくれる?」
 ごく普通に、姉貴は背後から抱きついてきた雅弘に言った。

 ざまぁみろ。

 同情するより先に、そう思って腕の中の少女に視線を落とす。
 井元が自分にどういう感情を抱いているか、考えると頭が痛い。

 俺、ぜってー嫌われてるよな。

 そういう妙な自信があるあたり、前途多難だ。
 とは言え、雅弘に口説かせるなんて……許せるワケがない。
 傷つくのは、井元なんだから――。
 俺はふかく息をつくと、「俺にしとけよ、ペチャ女」。
 コレが、嫌われる原因なんだろうなーとか思いながら、口にした


   *** ***


「 んー…… 」
 揺り動かされて、覚醒した井元は俺の顔を確認すると寝ぼけ眼〔まなこ〕で数度瞬〔まばた〕きして、「飛木くん?」と「あれ?」が合わさった――不思議そうな顔で俺をマジマジと見る。
「目、覚めた? 井元さん」
 できる限り優しい声で訊くと、すんなりと彼女が「うん」と腕に寄りかかる。
 まだ、寝ぼけているにしても無防備な彼女にドギマギする。
 あんまり、こういうのは慣れてないからさ……困るんだけど。

「 ―――」
 俺の腕につかまりながら、井元はパチパチともう一度瞬きをすると、見る間に赤くなった。
 ようやく思考が回りはじめたか。
 俺が淡い喪失感を覚えるのと、彼女が飛びのくのはほぼ同時。

「 うえ! 」

 途中、軽くその辺の椅子とか机とかに後頭部とか背中をぶつけたりして、まくし立てる。
「ええぇ? が! あいた! な、なんで……、ほ、ホンモノの飛木くん?」
 おいおい、大丈夫かよ。
 と、心配になりながら。
 その真っ赤になった狼狽〔うろた〕え方があまりに可愛かったので、俺は笑ってしまった。
「そ、ホンモノ。井元さんを見失ったってセンパイから連絡があったんだよ、で捜索。発見。現在に至るってワケ?」
「………あ。うん、そ。そうか」
 本覚醒を果たした井元は、経緯を思い出して居住まいを正す。
 そして、たぶん俺からのイヤミを覚悟している顔をする。
 そりゃあ、そうだよな。
 今までの俺だったら、おまえのこういう顔が可愛くてからかったと思うし……今だって、そういう衝動がないわけじゃない。
「もしかして、怪盗に何かされた?」
「うえっ?!」
 過剰なくらいの反応で、顔を上げた彼女は俺の顔を見て口ごもった。
「さ、されてない。されてないよ、なにも」

 最後、蚊の鳴くような声で否定する井元に、少なからず俺は反省した。
 そりゃあ、怖いよな。知らない怪盗に抱きしめられて……あの場では仕方なかったんだけど、さ。
「悪い」
「へ?」
 思わず、謝ってしまった俺に井元は「なにが?」と首を傾げた。
「ああ、アレ。ムダとか何とか言ったから……おまえがムキになったのって、俺のせいだろ?」
 ぽかん、として、井元は「ううん」と首をふる。
 そして、少しだけ嬉しそうな顔をした。
「わたしも、メーワクかけちゃった。ムキになることじゃなかったのに……ごめん」
 ぺこり、と頭を下げて彼女は俺を見る。

「でも――なんか、変」

「なにが?」
 言いたいことは訊かなくても分かるけど、とりあえず訊いておく。
「ううん、いいや」
 ふるふると首をふって、いつになく無防備にふわりと笑う。
 誤魔化しのために謝ったとは言え、ちょうどよく彼女に伝えられて俺はホッとした。

 なんか、いい感触だし。

「じゃ、井元さん。帰ろう……姉貴もセンパイも心配してる」
「うん」
 初めて、お互いに微笑みあった。

 教室の窓を叩く轟音。
 外の嵐はまだ、続いている――。


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