「胸ペチャ」
あの「超常研」入部一日目から、飛木遙〔とびき はるか〕はことあるごとにその単語を口にする。 そりゃあ、自分でも分かってるけど、人から言われるのってまたちがう。なんか、じーっと自分の「ない」胸を見ては、ため息をついてしまう。 (やっぱり、そう見えるよねえ……) 放課後、部室に向かう道すがらそんなことを考える自分が、ちょっと情けない。 キライなヤツの言葉なんて、無視すれば楽なのに――。 「チビ」 と、応戦してしまうから、相手も調子に乗るのだ。 頭ではそう思っても、本人を目の前にするとダメ。なんか、口にしちゃう……アイツが、それを気にしてることも分かるのに。 なんて、イヤな性格。可愛くないよ、こんなの。 自己嫌悪に陥って、浮上できない。 (――別に、飛木くんに可愛いとか思ってもらいたいワケじゃないけどさ) 「こんにちはー」 グラウンドを横断して連立する運動部の部室棟に辿り着くと、その一番端に「超常研」……正式名、超常現象研究会の部室がある。 扉を開けると、西野雅弘〔にしの まさひろ〕先輩が雑誌を広げて、チョコロールを食べていた。 (カッコいい人っていうのは、得だなあ……) と。 思わず、入り口で立ち止まって思う。 「や、奈菜ちゃん。そんなとこに立ってないで、座れば? 伶は、「考古研」顔出してから来るってさ」 「そうですか……」 キョロキョロと、部室内を見渡してわたしは首を傾げた。 あれ? 確か、わたしよりも先にクラスから出たハズなのに――。 「遙くんは、助っ人でサッカー部に出てるよ」 「 ! 」 見透かしたように西野先輩は、笑った。 (いやん、笑ったらさらにステキですっ) とか、悠長に思ってる場合じゃないってば! わたしっ。 「ちがっ! 西野先輩、誤解ですっ。わたしはただ!」 パイプ製の簡易机に駆け寄ろうとして、思いっきり蹴躓〔けつまづ〕く。なんで、こんなところにアイツの鞄がっ?! 「きゃっ!」 「うわっ?! あぶな……って!」 机の角に突っ込みそうだったわたしの手を、咄嗟〔とっさ〕に引いた西野先輩は逆方向へ体勢を崩した。 一緒に、わたしもそっちへと転がる。 「ご、ごめんなさい。先輩……」 バサバサ、と落ちてきた雑誌の類やら教科書やらに埋もれて、謝る。 ちょっと、埃〔ほこり〕っぽい空気にケホケホと咳〔せき〕をする。なんか、涙まで出るし。 「いやいや、遙くんならもう少し、うまく助けられたんだろうけどねー。こっちこそ、ごめん」 下敷きになった西野先輩はそう言って、上体を持ち上げた。 「ははー、奈菜ちゃん。涙目になってるよ? 色っぽい」 埃を払うようにわたしの髪に触れて、「役得役得」と服とかスカートとかまで払ってくれる。 スカート……? ハッ! となって、わたしはスカートのポケットに手を入れた。 (あ、大丈夫みたい……割れてないや) 石の無事を確認して、ホッとする。 「奈菜ちゃん?」 不思議そうにわたしの顔を覗き込む、西野先輩。それくらい、わたしの顔には安堵が出ていたのかもしれない。 でも、先輩。 ちょっと、近すぎですっ! 「先輩、お世辞はいいですからっ! わたし、色っぽくなんてないし、胸だってないし!」 ああ〜、根にもってるのね。わたし。 自分の言葉に少なからず、落ち込んで飛び離れた……がこん、と頭に何かがぶつかる。 「痛ッ!」 後頭部に受けた衝撃に、わたしの面前に星が散って、またしても涙が浮かぶ。 (なんで、こんなところにバットが……って、またアイツ!) 「だ、大丈夫? 奈菜ちゃん」 西野先輩も、笑いそうになってるし! 後頭部を抱えながら、恨めしくバットを睨む。 (危ないじゃないさっ! 絶対、文句言ってやる!!) 「だ、だいじょぶです……」 「にしても、誰が言ったの?」 「へ?」 「胸ない、とか」 自分が真っ赤になるのが分かった。 先輩、そういうトコロに注目しないでください。 ぱくぱく、と口を動かすだけで声が出ないわたしの胸をじーっと見たまま、西野先輩はニヤリ、と笑った。 でも、全然やらしくないっていうのがすごいです。むしろ、爽やかかも……。 「遙くん、だろ?」 「俺が、何?」 体操服姿の飛木くんは、なんだか不機嫌そうに扉の前に立っていた。 なんで、そんな睨んでくるのよ。怒ってるのは、こっちだってばっ! ――なんて。口には、出せなかったけど。 だって、どうやって説明するの? 無理です。恥ずかしくって、わたしにはできません。
*** ***
ぽぅっとなった井元と楽しそうに笑っている雅弘に少なからず、俺はムカついた。 しかもだ。 俺がいることに気づくと、彼女は睨んできた。 邪魔するな、とばかりに――。 確かに、雅弘はカッコいいし、長身だけど……報われないぞ、と言いたくなる。言わないけど。 趣味だって変だし、性格もなんか変だ。 学年主席の姉貴にも、「理解不能」とか言われてるし。 「――で、奈菜ちゃんを助けたはいいけどひっくり返って、しかも奈菜ちゃん、そこのおまえのバットに後頭部ぶつけたんだぜ……謝っとけよ、遙くん」 「に、西野先輩! 言わなくていいからっ」 真っ赤になって彼女は、雅弘の口を封じようとする。 言われてみれば、二人とも服が白っぽかった。これは、二人して転がったせいなのだ。 「ふーん」 理由が分かっても、俺の気分は釈然としなかった。 だったら、なんですぐにそう言わなかったんだ? 彼女なら真っ先に俺を責めるはずだ。 (何かを、隠してる――) そう思うと、無性に腹立たしかった。
「え?」 と。 井元奈菜の提示した研究材料に、俺含む「超常研」のメンバーは固まった。 前の研究会で、「超常研」の活動について、「解明されていない謎」をそれぞれに研究するコトだと説明すると彼女は困ったように「考えてきます」と頷いた。 そして、今日――その、彼女の研究材料にどう反応すればいいか。 机の上に置かれた新聞には、小さくこう書かれている。 『――「トコロテン」の怪盗、現る』 地方欄に小さく載るような、ちょっとしたドロボーの話。 「………」 そうきたか……と、俺は思った。 「ダメ、ですか?」 彼女の不安そうな顔に、姉貴は無表情に首を傾げると静かに答えた。 「そんなこと、ないわよ。でも、そうね……西野」 「はいよ」 姉貴のご指名に、雅弘は手を挙げた。 「怪盗の研究となると、夜になっちゃうから女の子だけじゃ危ないでしょ? 補助してあげて」 「了解」 「西野先輩、すみません」 小柄な肩をさらに縮こませて、彼女は雅弘に頭を下げると嬉しそうに(少なくとも、俺にはそう見えた)、笑った。 「なになに、俺も「女体研究」させてもらうから、ね」 「はあ?」 「胸ないの、あんまり気にすることないってコト」 にやり、と口の端を上げる雅弘に、うかーっと彼女は赤くなる。そして、真っ赤に熟〔う〕れて、俺の顔を慌てて見た。 「聞いた?」 「あ? 何を?」 本当は聞こえたが、ムカついたので聞こえないフリをする。 見るからに、彼女はホッとして息をついた。ま、いいけど。 ぶすったれてマンガ雑誌に没頭していた俺に、雅弘が顔を寄せて声をひそめた。 ちらり、と井元の方を見ると、彼女は姉貴と何かを話している。 そうして、俺の目は雅弘の言葉に彼女の横顔から一点へと移る。 『例のアレは、彼女のスカートのポケットの中。――了解?』
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