12月31日、午後12時すこし前。
家の近所にある神社に入って、広之は志穂とお参りの列に並んだ。大して大きな神社ではないから、参列する人の数も多くはなく、テレビで見るような賑わいも、煌びやかな飾りつけもここにはほとんどない。
足の下からやってくる冷たい冷気と、肌を刺すかのような痛み。
息を吐けば、白く暗い闇を昇っていく……厳粛な閑けさが帳を降りてくる。
ポケットに繋いだ彼女の手の温もりが反応するたびに、優しく体が温まった。
列の向こう側に、焚き火をしている火の粉が上がっているのが目に映って、除夜の鐘がまたひとつ鳴った。
〜 除夜の鐘3 〜
「何回目、だと思う?」
「え?」
広之の問いの意味を理解できなかった志穂は、はーと息を吐いて彼を仰ぐ。
あどけないその顔に、微笑んで――。
「ひゃっ!」
と、志穂は真っ赤になって仰け反った。
唇を自由な方の片手で覆って、何かたくさんのことを言葉にしようとしてできないでいる。
最後は、困ったように俯いてしまった。
「除夜の鐘って、煩悩の数……だろ? 百八つ」
「う、うん……って、そうなの?」
(なんだ、知らなかったのか)と考えて、らしいよなと真っ赤な耳に囁く。
「煩悩って、何か知ってる?」
ふるふると首を振る無欲な彼女に、くすりと笑って広之は「たとえば……そうだな」と考える。
寝たいとか、食べたいとか……人間の満たされたい欲求はたくさんあって、手に入れれば手に入れるだけ、多く、どこまでも強欲になる。
けれど。
最後に残るのは、きっと この気持ち なんだろうと思う。
最後の煩悩が祓われる前に――届けばいい。
「 俺のこと、好き? 」
「……好き」
「 それが、煩悩だよ 」
と、言ったらきょとんとした目が瞬く。
参列の波が前に進み始めて、いつの間にか最後の鐘が鳴ったのだろうと広之に気づかせた。
「好きだとか、キスしたいとか、抱きたいとか、そういうの…… 煩悩 って言うんだよ? 今年もよろしく」
「ふぇ? え……ええっ?!」
動揺した志穂は、広之を見上げて……今年最初の 煩悩 を受け止めた。
賽銭を投げ入れて、ガラガラと鐘を振り鳴らすとパンパンと拍手を二回。
耳まで真っ赤になった(理由は解からなくもないけれど……)彼女は一生懸命に何かを祈っているらしく、一足先に終えてしまった広之はそんな横顔をじっくりと眺めてしまう。
後列も待っているのだから、本来なら自分だけでも先に抜けてしまえばよいのだが……彼女一人を残すのは躊躇われた。
(傍にいないと、逃げ出しそうだし……)
じっ、と眺めていたら、ようやく祈願を終えた志穂がハッとしたように広之の視線に気づく。
手を差し出せば、おずおずと重ねて「ま、待っててくれたの?」と申し訳なさそうに訊ねた。
「まあね」
しゅん、と見るからに萎〔しお〕れた志穂は、「ごめんなさい」と謝って俯いた。
べつに、俺は謝って欲しいわけじゃないのに。
(なんで、こいつって こう なんだろうな……)
たぶん、ついイラついて厳しいことを口にしてしまう広之にも原因はあるのだろうけれど……志穂の気弱すぎる性格も 問題 だろう。
(好きだ、ってあんなに解かりやすく言ってるのにさ)
自信を持っていないあたり、かなり広之からすれば 不愉快 だった。
「 志穂 」
イライラが頂点に達する前にきちんと言葉にしておこうと口を開いたが、広之の その 賢明な判断は聞き覚えのある旧友たちの騒がしい声に見事にかき消されてしまった。
*** ***
1月1日、午前0時15分くらい。
「 鳴海ー! 」
と、中学時代のクラスメートたちに呼ばれて広之はふり返り、志穂はビクリと身を竦めた。
つい、繋いでいた手を引っ込めて、自分のジャンバーのポケットにしまってしまってから彼と目が合って、居たたまれない沈黙が流れる。
「あ、あの……」
「いいよ。もう」
はー、と呆れたように彼は志穂から視線を外すと、高校に入ってからは あまり 会うことのなかった旧友たちに向かって手を上げて、歩いていってしまった。
「……鳴海、くん」
彼が名前を呼ばれる前。
何かを言おうとしていた気がした……けれど、気のせいだったのだろうか?
「うん……そう、だよね」
気のせいに、決まってる――。
男の子の集団は、怖くて、どうすればいいのかわからない。
広之と付き合い始めて、少しは頑張ろうと努力しているつもりだけれど……不意をつかれると、ダメだった。「誰も、取って食いやしないよ」と広之は言うけれど、志穂にとっては誰も彼も「男の子」だというだけで悪意の塊のように身構えてしまう。
志穂は、小学校の頃から大人しく地味なタイプの子どもだった。
小学校の頃の男の子たちは、簡単にそんな彼女を傷つけた。取り分けて可愛いワケでもなく、勉強もそれなり、言葉で反撃をすることも不得意な志穂は、集中的な暴力を受けたわけではなかったし、彼らとて そうと 意識した言葉ではなかったかもしれないが、幼い志穂の心は抉〔えぐ〕られて「男の子の集団」に対して苦手意識を抱くのには 十分 だった。
もちろん、今も彼らが心無い発言をしてくるとは思わないけれど……広之と一緒にいるところを見られて、どう思われるか、なんて考えただけで空恐ろしかった。
――似合わない。
狛犬に背中をつけて、ギュッと目を瞑る。
( そんなことは、わかってるもん )
しかし。
だからこそ、聞きたくない 言葉 だった。
「かーのじょ」
(え――?)
一瞬、志穂は それ が誰に向かって投げられたものだったのか、わからなかった。
>>>つづきます。
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