学校に来なくてもいい、なんていきなり言われても、唯子に許容できるワケがない。
「 純也先輩 」
うだるような暑さの中、蝉の声とともに学校にやってくると第二美術室にひょっこりと顔を出す。
「唯子」
純也は笑って唯子を出迎えてくれるけれど、本当には歓迎していないような気がして怖くなる。
「また、来ちゃった……邪魔じゃない?」
「構わないよ。僕は……唯子こそ、退屈だろう? せっかくの夏休みなんだから――」
むぅ、とふくれて唯子はそっぽを向いた。
「せっかくの夏休みだから、来たんだもん」
呟いて、ガサゴソと鞄から筆記用具を取り出した。
「ホラ、宿題も持ってきたし。全然退屈なんかじゃないよ」
「はいはい」
くすり、と笑って純也は木製の机にノートやら教科書やらを広げた彼女を横目に見守った。夏休みに入ってから、同じような問答が繰り返されるけれど……唯子が、最後まで宿題を 真面目 にやっていた例〔ためし〕はない。
眠ってしまうか、あるいは何かに興味を移すかのどちらかだ。
だから、本来。日中のほとんどをかけていれば終わっていそうな宿題も、いまだ残っているのだろう。
グラウンドからの歓声と蝉の声……すべてが遠く、ここは閉ざされていた。
〜 07.先延ばしにしてきた報い 〜
油彩の製作にかかってから、純也は唯子に作品を見せようとしなくなった。
優しい彼のことだから強く怒ることはしないが、それでも唯子を追い払うのには十分な強さで拒否をする。
どうして? と訊いたら、『途中経過はあんまり見せたくないんだ』とのこと。
水彩の下絵の時とどう違うのか、唯子にはわからない。
ただ、やんわりと彼のテリトリーから弾かれているのだろうと思う。
「 唯子 」
「ん」
瞼を開けて、薄暗い影に顔を上げた。
純也が逆光を浴びながら、唯子を見下ろしている。
「もう、そんな時間?」
唯子は重い目をこすりこすり呟いて、首をかしげる。
そんなに眠ったつもりはないが、下校時間になったのかと尋ねると、純也は「そうじゃない」と答えた。
じゃあ、なんだろう?
「今日はケリのいいところまでできたから、早めに切り上げたんだ」
「ふーん。先輩、作品見せてください」
「ダメ」
「ケチー」
何度このやりとりをしたか、唯子は机にへばりつき「じゃあ、いつ見せてくれるんですか?」と唇を尖らせる。
「そうだな、完成したら 一番 に――」
見せてあげる、と微笑んだ。
「 約束 ですよ?」
「はいはい」
くすくすと笑って、純也は唯子の頭を撫で……「そうだ」と唯子を改めて見下ろした。
「なんですか?」
「うん。唯子……デートでもしようか?」
この際、「暇」な唯子には拒否権がないようで腕をとられると、純也に引っ張られて第二美術室をあとにした――。
「あの、純也先輩」
駅前の商店街はそこそこに賑わっている。
さすがに学校の生徒は通常の時よりも少ないが、パラパラといる彼らの視線が唯子には気恥ずかしく思われた。
(そりゃ、付き合っているならこういうことも、あるだろうけど……)
だが、しかし。
名目、「恋人のフリ」である彼女には初めての コト だった。
連れ出された時から握られている、先輩に繋がれた手と手。
「ん?」とふり返った純也の表情に、頬を染める。
「デートって、なにをするんですか?」
「ああ、そうか」と彼は笑って、唯子の頭を撫でる。
「驚かせて悪かったかな……デートって言っても大したことは考えてないんだけど。「散歩」みたいなものだよ」
繋がれていた手が離れてしまって唯子は、少しガッカリした。
「散歩、ですか?」
「街に出るのも一つの手だけど、今日は時間もないし。手近にね」
(今日は……だって)
その「次」があるような純也の言葉に安心して、唯子は覗きこむ彼にふわりと微笑み返した。
*** ***
駅前から学校とは反対に小高い丘の住宅地があって、そこには広い公園があった。
中心には円形の噴水があって、木々の並んだ向こうには階段もあってもう少し登る場所があるようだった。
歩くだけでも、うっすらと汗ばむほどの陽気だが……太陽は傾いて暑気のピークは過ぎている。風も吹いて過ごしやすい時間になったせいか、プール帰りらしい子ども達がきゃわきゃわと駆け抜けていく。
「あっ、先輩。アイスクリーム売ってます!」
唯子は指をさして、純也に言った。
無邪気な様子に純也は笑って、唯子の手を引いた。
「ひとつ、ください。バニラで」
差し出されたそれに唯子は驚いて、目を上げ慈しむような先輩の顔に嬉しくなって受け取った。
「ありがとう、ございます」
「いえいえ」
出会った時と同じように優しく笑ったから、唯子は訊かずにはいれなかった。
「純也先輩、いつも優しくしてくれてありがとうございます。でも、どうしてなんですか? どうして、今日は――」
期待しても、いいのだろうかと錯覚する。
「唯子は……好きな人でもできた?」
「ぅ、えっ?!」
(ど、どうしてそれをっ!)
質問して、質問で返ってきて唯子は狼狽〔うろた〕えた。
しかも、その問いが核心を突いているからおいそれと答えを返すことができない。
口をパクパクと動かしていると、
「まあ。無理して答えなくてもいいけど」
(……って、どういう意味ですか?!)
「じゅ、純也先輩っ!」
真っ赤になって覚悟を決めようとした彼女を、純也の手が引いた。
「ここって、展望台があるんだ」
(いや、だからっ!)
「せ、先輩! わたしっ」
「いいんだ」と、彼は傾く空を背景に言った。
「今日は、僕の 思い出 づくり……君は君の好きな人のところに行っていいんだよ?」
って。
( ちがーうっ! )
>>>つづきます。
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