だまり Lover clap0-6


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 校長室の扉の横に並んだ それ に春日唯子は見入った。

「ね? ステキでしょ? 春日さん、三崎先輩に描いてもらえるなんて 彼女 の特権よね〜」
「いいなあー、わたしも描いてもらいたい」
「ダメダメ、春日さんだから描いてもらえるのよ。三崎先輩の 彼女 しかダメなんだから!」
「そんなこと知ってるわよ、有名だもん。ちょっと言ってみただけなのにー」



〜 06.「届かなくてもいい」なんて嘘 〜


 期末テスト一週間前。
 放課後のクラブ活動は全面自粛となったその日に、唯子はクラスメートである彼女たちに引っ張って来られ、そこで三崎純也の完成された作品を初めて目の当たりした。
 それもこれも、唯子が先輩の を観たことがないと答えたからだ――。
( 綺麗 )
 今まで彼女が彼から見せられたのは、すべて完成前の下絵のようなもので……こうして、一枚の完璧に仕上げられた絵を眺めると本当に先輩はすごい人なんだと思う。
 淡い色彩の中に、女の人が立っている。影と光のあいだ、深遠と天上に立っているような幻想的な表現は淡いのに色と色の深い重なりから生まれるものだろうか。
 ドキドキする。
(――この女〔ひと〕も、純也先輩の 彼女 だったのだろうか?)
 純粋に素敵な絵だと思うのに、どこからか胸にやってくる感情は唯子には見たくないワガママな気持ちそのものだった。
 絵の中の彼女の凛とした目の先に、先輩の姿が映っているようで苦しくなる。
 こんなこと、最初は考えもしなかったのに。
 どうして、今更……。

「唯子」
「正美……」

 一緒についてきた紺野正美が腕を組んで、唯子をかしましい彼女たちから遠のかせるとため息をついた。
「まったく、もう。そんな顔するくらいなら言っちゃいなさいよ」
 ふるふると首を振って、唯子は「ダメだよ」と頑なに拒否する。
「そんなことしたら、そばにいられなくなる――」
「そんなワケないでしょ!」
 やけに強く否定されたので、唯子は首をかしげた。
「……何とも思ってない 後輩 の家になんか、普通 お見舞い に行かないわよ」
「わかんないよ、だって純也先輩だもん」
「……ああ、もう! ぐだぐだ言ってないで、会ってきなさい。鬱陶しいから!!」
「 ひどい 」
 しくしくと肩を落としながら、背中を押されると自然に足は三年フロアに向いた。
(正美はああなると、会ってくるまで 本当に 口をきいてくれないし――ちょっとだけ)
 会いたい。
 三年の純也の教室までやってきた唯子は、ひょっこりと頭をのぞかせると本当は黙って見るだけのつもりだった。

「おーい、三崎。彼女だぞー」

(え?!)
 ビックリして、唯子は立ち尽くす。
「あ、あの。違っ! 用事じゃな――」
 予期せぬ事態に、狼狽〔うろた〕える彼女の声は教室が騒然となったことで掻き消された。
 教室の奥で教科書を片手に談笑していた純也がやってきて、なんだかんだと彼女にちょっかいをかける男のクラスメートから引き離した。特に、唯子の栗色の髪に触っていた相手の手の甲は手酷くはたいてみせる。
「ごめんなさい、純也先輩」
 そんな彼のクラスメートに対する牽制も目に見えてない様子で、唯子は縮こまる。
「用事じゃないんです」
 会いたかっただけなんです……とは言えずに、上目遣いで先輩を見る。
 くすり、と純也は笑って教室から廊下に唯子を促した。
「なんで、謝るの? 僕は構わないから」
 ほっと頬を緩める彼女に、身を屈め「それに」と悪戯っぽく耳元で囁いた。
「こういうのも 恋人同士 っぽくて、いいんじゃない?」
 くすくすと可笑しそうに先輩が笑うから、唯子も「そうですか?」と笑った。のちに、これが「キス」の噂になろうとは……今の彼女は、まったく思いもしなかった。

「一年のフロアまで、送るよ」
 と、純也に手を差し伸べられ、唯子はその手のひらに自分の手を重ねた。
 そうして、彼の教室を振り返った時に彼女の姿を見つけて、慌てて前に戻す。
 ――相田奈津子。
 純也の元彼女でモデルだった、人。

『純也はね、女が 本気 になったらおしまいなの。絵がすべてなのよ、作品が完成したら捨てられるから、覚悟しておくことね』

 大きくて優しい先輩の手。
(嫌――)
 この手を離したくない、と唯子はギュッと強く握り締めた。


*** ***


 期末試験が終わり、テスト休みに入って結果はさておき空気はすでに夏の長い休みの到来に浮き足立っている。
 第二美術室の開かれた窓からは、少し離れた場所にあるグラウンドからの威勢のいい掛け声が聞こえてきて、まるでもう夏休みに入ったような錯覚に囚われる。
 事実、テスト休みに入っているため登校しているのは部活のある熱心な生徒か……あるいは、受験を控えた三年生くらいだろう。
「……そろそろお役御免かな」
 スケッチに水彩で色を載せていた純也は呟いて、目を細めた。
 開放された窓の向こうを眺めている唯子は、ぼんやりとしていたのか顔を純也に戻すと不思議そうに目を瞬いた。
「純也先輩、なんか言った?」
「いや――」
 そう躊躇う彼にそばまで寄ってくると、彼女は目を瞠った。
「わあ、また 成長 しましたね」
 おだやかな微笑みの天使の寝顔は、ようやく唯子の年相応……か、少し幼い程度に輪郭がシャープに表情が大人びて見えた。
 絵筆をカシャンと筆洗いにつけて、純也は絵から視線を離さずに頷く。
「うん。そろそろ完成かな」

「……え?」

「 油彩に移ったら、僕だけで色は塗れるから 」
 だから、唯子は学校に来なくてもいいんだよ? と、彼は、優しく、突き放すかのように、言った。


 >>>つづきます。


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