放課後、べったりとそばから離れない唯子に純也が困ったように呼んだ。
「春日さん、描きにくいんだけど」
「………」
背もたれのない木製の椅子に座った純也の背中にくっついて、抱き枕よろしくくっついたままの彼女は首を振った。
純也は「どこにもいかない」と言ったが、やはり触れていないと 不安 だった。学年が違うからなおさら……午後の授業の間、ずっとそんな不安と懸命に戦っていた彼女は、だから放課後に純也と顔を会わせたら抱きついて、泣きそうになった。
「 ごめんなさい 」
小さく謝る唯子を、仕方ないなと諦めて前を向く。
母鳥を追う雛鳥のように、彼女はいつか飛んでいくだろう。
〜 03.もしもこの日常が壊れたら 〜
(――それで、いい)
「おっ! お邪魔だったか?」
ガラリ、と第二美術室の扉を開けた彼はそんな軽口を叩きながら、ずけずけと入ってきた。
「いいや」
と、座ったままの純也が答え、唯子が慌てたように離れた。
「金原先輩、コンニチハ」
立ち上がり、ペコリと頭を下げる彼女に、金原柚月〔かねはら ゆづき〕はよしよしと頭を撫でる。
手入れもせずに伸ばされた髪の狭間から、愛嬌のある瞳が弧を描いた。
「可愛いなあ、唯子ちゃんは。純也がいても告白されるワケだよ」
「え?」
「なっ! 金原先輩、どこでそれを……っ」
真っ赤になって、彼女は抗議し、純也を困ったように見た。
そんな彼女を見つめて、「そうなの?」と訊くとコクンと頷く。
「あの。でも……先輩がいるから、断るのも楽なんですよ。だから、わたし……大丈夫です」
「春日さん」
純也は自分の冷たい声に驚いて、彼女から顔を背けた。
「あのね、そういう時は僕に言って。でないと、いざという時助けられないし、君にモデルを頼んでいるのに何の役にも立たないんじゃ僕の立つ瀬がないじゃないか」
「そんなこと! 三崎先輩は十分助けてくれていますっ」
強い口調で言って、ふと純也が目線を彼女に向けると思いのほか近くに彼女の顔があった。
「わっ!」
「きゃっ!」
「おまえたちは、本当に 高校生バカップル か?」
製作中のキャンバスをガタゴトと出してきた柚月は呆れ、イーゼルの準備をしながら二人を眺めやる。
「だいたい、唯子ちゃんが告白されるのだって、そのよそよそしさからだろう? 純也――せめて、苗字呼びはやめろ」
むっ、と純也は柚月を睨み、(おまえに言われることじゃない)と思う。
あくまで、唯子とは「恋人のフリ」なのだし。
しかし、彼女の受け止め方は彼とは違っていた。
うんうん、と熱心に頷くと、
「そ、そうですよね! 金原先輩の言うとおりですっ、みんな、わたしたちがよそよそしいから認めてないんですよ。三崎先輩!」
「はい」
「頑張りましょう!」
「はい?」
「純也先輩で、どうですかっ!」
彼女の向こうで、柚月がぷくくと噴き出している。
(この子って、ホントに……素直なんだなあ)
思わず、笑みがこぼれる。
「いいんじゃないですか? 唯子」
握り拳をつくったまま固まった彼女は、しばらくしてボンッと音が聞こえるくらい一気に真っ赤になった。
コレはコレで、楽しいかもしれない。
「大丈夫? 唯子」
「は、はい。純也先輩」
俯いて、彼女は照れているのか以降彼を見なかった。
*** ***
シャッシャッとキャンバスを筆が走る音が響く。
日照時間の長い季節だから、もうすぐ下校時間になるのに空はまだ明るかった。
純也が淡い色合いの画風であるのに対して、柚月は極彩色の鋭い画風が持ち味だ。作成の工程もまったく対照的で、柚月の方は下書きも何もなくキャンバスに色を載せていく。
油彩の美点でもある立体的な質感が、生の息遣いを伝えてくる。
純也は水彩で色を載せ、いくつかのアングルを仕上げる下書きの段階だった。聞こえてくるのは、小さな天使の寝息だろうか。
「気づいてるか?」
と、筆を動かしながら柚月が訊いた。
「何が?」
キャンバスから顔を動かさずに、純也が答える。
「唯子ちゃん、本気だぞ。おまえのこと」
「まさか」
と、純也は笑った。膝の上で眠る彼女に起きる気配はない。
「懐かれてるとは思うけど、この子にとっては 父親 か 兄 みたいなものだろう」
「じゃあ、おまえは? もし本気で唯子ちゃんが自覚したら、どうする?」
少しの合間考えて、「そうだな」と静かに口に笑みを浮かべた。
「有り得ない」
>>>つづきます。
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