クラスメートの紺野正美〔こんの まさみ〕から、三崎先輩の噂を聞いた唯子は慌てて「本当ですか?」と確認した。
あの時の話では、恋人ではなく恋人の フリ 。モデルになるのは、彼の作品のためだと聞いていたからだ。
(た、たぶん。わたしの思い違いじゃなかったら……あんまり、自信はないけどっ)
そういえば、あの第二美術室にはじめて入った時の彼と彼女の雰囲気はただ事ではなかったような?
(あれってわたしのせいで先輩が彼女を振ったってコト? がーんがーん)
と、ようやく辿りついた考えに唯子は真っ青だった。
そんな彼女を純也は笑って、困ったようにため息をついた。
〜 02.惑いと共存する想い 〜
「半分ホントで、半分ウソだよ」
「え?」
まったく理解できなくて、彼を見上げる。
「モデルの子と付き合うのは 確かに 多いんだけど、べつに決まってるワケじゃないんだ。噂のせいで勘違いしてる人間も多いし、面倒だから否定もしないけど」
「……面倒、ですか?」
唯子自身、そういう 標的 になることが多い。だから、気持ちはわかるのだけれど……。
「で、でも。それって勘違いされたままだったら大変なんじゃ……?」
つまりは、モデルを頼んだらそのまま付き合うってコトになりかねない。いや、モデルと言ってもイロイロあるから女の子ばかりとは限らないワケだけど。
「まあ、悪くはないよ。僕は男だしね」
って。
( ど、どういう意味かしら? )
と唯子は思わず考えた。深く考えないほうが いい 気もするけど。
「そ、そういうもの、ですか?」
「 そう いうものだよ。だから、春日さんは「フリ」でいい。君の場合、偽物でも恋人がいないと大変そうだからね」
自嘲気味に微笑んで、最後は安心させるような優しい表情をする。
理解できないこともあるけど、やっぱりこの人は基本的に「 いい人 」なんだと唯子は感じた。
「三崎先輩、わたし頑張ります! なんでも言ってくださいねっ」
握り拳で宣言する彼女を彼は眺め、「ありがとう」と礼を言った。
「じゃあ、そこに座ってくれる?」
「はいっ」
やる気マンマンで座った彼女は、最初は頑張っていたが次第にイロイロなところに注意が向くようになってキョロキョロとし始める。そうこうしている間に、窓からは花の匂いのする風が入ってきてモンシロチョウもやってきたから、ソワソワとジッとするのも辛そうになった。
「春日さん、無理しなくてもいいよ。動いても構わないから」
「で、でも! 先輩の絵がっ」
「まだ、時間はあるし……君が楽しくなくちゃ僕も楽しくないからね」
そう言われてしまえば、唯子はしゅんとなるしかなかった。
「すみません」
「いいから。そうだ、ココの横って花壇なんだ……だからかな?」
言って、純也は美術室に入ってきたモンシロチョウを目で追いかける。そうして、肩を落としている唯子を元気づけるように背中を叩く。
「こんないい季節だし、外に出て日向ぼっこでもしようか?」
誘われるままに、外に出て唯子は純也と並んでコンクリートの裾に座った。
風が気持ちよくて、花の香りが優しかった。
ふわふわとやってくるモンシロチョウに目を奪われる。
「――ッ」
ハッ、と気づいた時には、日がだいぶ傾いていた。
「春日さん、起きた?」
頭上から聞こえる、優しい声。
「はっ、はい! 三崎先輩、すみませんでしたっ」
あわあわと彼の膝にコテン、と寝入っていた体を持ち上げ、ひれ伏す。
「いいって。ホラ、スケッチはできたし」
ビックリする唯子の前にスケッチブックを広げ、黒炭を握った純也はくすりと笑ってみせた。
「春日さんの寝顔は、そそられるよね」
「は……それほどでも」
意味もわからず照れながら、唯子はその絵を目にした。
「これ……天使、ですか?」
「そう」
「きれいですね。でも、なんで 子ども なんですか?」
黒一色の線画なのに、色鮮やかな色彩が目に飛びこんでくる。淡くのばされた線、輪郭と陰影が春の日差しの中、まるでそこに天使が眠っているような錯覚を映し出した。
食い入るように絵を眺める唯子に、純也は微笑んで「なんでだろうね?」と頬杖をついてみせた。
*** ***
それから、一週間ほど経って唯子はすでに日課となっている昼休みと放課後の第二美術室への訪問を待ち遠しく感じるようになっていた。
(三崎先輩、待ってるかな?)
私物入れのロッカーに大きな荷物を置いて、美術室のある校舎に向かう。
先輩に会える、そう思うだけで胸の中があたたかく守られていくようだった。
だから、「春日唯子さん」と呼び止められても……その声の主が、あの最初に第二美術室に入った時に顔を会わせたきりの女生徒だったとしても、なんだろう? と思う程度だった。
「あなた、分かってないようだから忠告してあげる」
彼女、相田奈津子〔あいだ なつこ〕はまっすぐな黒髪を肩から払って、唯子に言った。
「純也はね、女が 本気 になったらおしまいなの。絵がすべてなのよ、作品が完成したら捨てられるから、覚悟しておくことね」
「……そんなこと、知ってる」
俯いて、唇を噛む。
そう、わかってる。もともと本当の恋人じゃないし、優しいのも、助けてくれるのも、特別だからじゃない。
絵が完成すれば、きっと終わり。
「そう、だったらいいのよ」
面白くなさげに立ち尽くす唯子を眺め、彼女は去っていった。
「春日さん、どうかした?」
第二美術室に入ってきた唯子に、純也が声をかける。
ふるふると首を振って、唯子はしかし目からポロポロと涙をこぼした。
ビックリして駆け寄る彼に、首を振って「本当に何でもないんです」と一生懸命我慢しようと努力する。
(苦しい、苦しい――でも、どうして?)
わからない――わからないの。
ふわり、と抱きとめられて、その先輩の胸に頬を寄せると少しだけ楽になる。
「平気?」
優しい声。
「はい……」
目を閉じて、頭だけでなく悩みや痛みをすべてを彼に委ねたら安心した。いつか、離れるのかもしれない。
だけど、まだそばにいてくれる――それだけで、いいな。
(苦しいのに……気持ちいいの。三崎先輩……こういうの、なんていえば……いいのかなあ?)
ホッとした唯子はそのまま、夢の中に落ちた。
「……春日さん?」
しっかりと眠ってしまった唯子を見下ろして、純也は「そそる寝顔」と微笑んだ。
>>>つづきます。
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