だまり Lover clap0-1


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 第二美術室。
 木製のガッシリとした机と、絵の具に汚れた布巾、バケツ、ステンレス製の洗い場も色々な色彩に彩られ、今では芸術的にすら映る。
 遠く、予鈴の鐘が鳴って夏服の少女が「うーん」と目を開けた。
「もう、一時?」
「そう」
 少女を膝の上で眠らせていた彼は、筆を筆洗いにつけてパレットを机に置いた。
「相変わらず、よく寝てたね」
「うん。だって、先輩って安心するの」



〜 01.彼と彼女の一定距離 〜


 ふわふわと少女の栗色の柔らかな長い髪が窓からの生温かい風にそよいで、気持ちよさそうに揺れた。
 その幻想的な風景に目を細める。
「それは、よかった。僕も、君がいるとはかどるから」
「ホント?」
 うん、と先輩である彼が答えると、嬉しそうに少女は笑って「よいしょ」と身を起こす。

「でも。いつも思うんだけど、わたしってこんなイメージなの?」

 キャンバスに描かれた水彩画は、青を基調にしたやわらかな天使の眠り顔だった。その天使の容貌がどう見繕っても……五・六歳というのが彼女には不満でならないらしい。
「わたしって、そんなに子どもっぽい?」
 頬をふくらませる。
 あはは、と彼は笑って、少女の手を取った。
 パレットを手早く水洗いしたその男の人の手は、ひんやりと気持ちいい。
「いいんだよ、これで。僕は今のままで……君にはいて欲しいから」
「? よく意味がわからないわ」
 と、彼に手を引かれながら彼女は首を捻った。
「うん? そう? まあ、いつかわかっちゃう日がくるかもしれないけど……」
 それまでは、と呟く彼に少女はシッカリと腕を掴む。
「なに?」
「あ。ごめんなさい、だって先輩……どっかにいっちゃいそうだったから」
 不安な瞳に、くすりと笑って「大丈夫」と彼は頷いた。
「僕はどこにもいかない」
「ホント?」
 うん、と答える彼に安心して、少女は天使のように無邪気に笑った。


*** ***


 さて。
 三年の三崎純也〔みさき じゅんや〕と一年の春日唯子〔かすが ゆいこ〕の二人は校内で公認の恋人同士だった。

 出会いは、入学式があって間もない頃の今年の春。
(いーやーっ!)
 泣きそうになりながら、唯子が逃げこんだ先は第二美術室。
 ハァハァ、と息を切らせヤダヤダと頭〔かぶり〕を振った。そうして、床にへたり込み……目が合う。
 男の人と、女の人。どちらも制服だから、生徒だろう。ただ、ちょっとその衣服に乱れがあるような……?
 と、そこまで思考が回ったところで、美術室の扉が開いた。
 バンッ!
(ヒッ!)

「かっすがさーん! 逃げないでっ」
「べつに、とって食おうとか思ってませんからー」
「ちょーおっと、お話しませんかってお誘いしてるだけなんですから」

(イヤーイヤー、絶対、食われるーっ!)
 にこやかな彼らの声に、唯子は青くなる。
 彼らはまだ、唯子の居場所に気づいていない。今のうちになんとかしなけば……しかし、どうやって?
「悪いけど、君たちの探している子はここにはいないよ」
 固まっている唯子の傍らに立ち、静かな声が言った。
「残念だったね」
 相手が先輩だということもあり、あまり食い下がることもなく彼らはそこから遠ざかっていった。
「あ。ありがとうございます」
「いえいえ」
 にっこりと笑うその優しい笑顔に、唯子は自分の緊張が解けるのを感じた。
(こんな男の人、はじめて……)
「春日唯子さん? 今年の新入生の中でもピカイチの 美少女 だって有名だし、大変そうだね」
 「美少女」そんなふうに男の人に言われるのはよくあることだったけど、この人に言われると無性に恥ずかしかった。
「は。あの、いえ……ダイジョブ、です」
 真っ赤になる唯子に、彼は笑ってその手を取ると立ち上がらせた。
「僕は三年の三崎純也。よかったら、男除けになってあげるよ」
「え?」
「その代わり、春日さんには僕の絵のモデルになって欲しいんだけどね」

「ちょっと! 純也っ」

 唯子は忘れていたけれど、美術室にはもう一人女生徒がいた。その彼女がキッと唯子を睨み、仁王立ちして三崎純也を罵った。
「わたしをモデルにしてくれるって、言ったじゃないの! いきなり入ってきたこんな子に……馬、鹿にしないでっ」
「ごめん。でも、君より彼女の方が 可愛い よ」
 パンッ、と純也の頬を気の強い彼女の手が叩いた。
「あ、そう。覚えてて……絶っ対、後悔するわよ」
 ふん、と椅子に掛けていた上着を手にとって、彼女は純也の横を通り過ぎて美術室を出て行った。
 彼はそれを頬をさすって見送ると、向き直る。
「 さて。どうしようか? 」
 その場の展開についていけず、ポカンとなっていた唯子に彼は涼しげに訊いてみせた。

「ええ? あの……」

(どうしようかって、どうしようかって……どうすれば、いいのかなあ?)
 仰いで映った顔に、一生懸命考える。
 淡い黒髪に危うげな澄んだ眼差し、先輩の顔は優しくて痛々しい。
「頬っぺた、痛くないんですか?」
 一番最初に浮かんだ心配を口にしたら、目を丸くされた。
「うん、まあ、慣れてるし」
 なんか、いま。
( ものすごいことを 普通に 言われたような? )
 と、唯子が目を白黒させていると、にっこりと先輩が微笑む。
「僕のモデルになってよ、春日さん」
「……は、い」
 降るような木漏れ日の笑顔に誘われて、唯子はコクリと頷いた。


 彼が著名な絵画コンクールで賞を獲るほどの実力者であることも、その絵のモデルをいつも自分の彼女にしていることも、その恋人関係がまったく長続きしないこともあとで知った 事実 だった。


 >>>つづきます。


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