だまり Lover clap1-3


〜NAO's clap〜
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「わたし……職員室のトコロの先輩の絵、観ました」
 唯子のそれに、純也は「ああ、うん」とつとめて平静に応じた。
 それだけで――彼女が 何を 言いたいのかがわかる。

「あの人……先輩の、彼女だった人ですか?」

「………」
 そうであって、そうでない。
「彼女、と言えば彼女だったかもしれないけど……」
「……先輩」
 責めるような眼差しで唯子は純也を睨んで、唇を尖らせた。
「わたし、別に先輩に 前に 彼女がいても怒ったりしませんよ。そんなに心狭くない……つもりです」
 ただ、気になるだけなんですから! と抱きついて訴える。
「唯子……本当に、そういうんじゃなかったんだ。彼女とは――君が、僕のことをどんなふうに考えているのかはわからないけど……僕は、君が思うほど いい 人間なんかじゃないんだよ」
「そ、そんなことないです」
 驚いた唯子は、目を見開いて顔を上げ彼を擁護した。
 が。
 純也自身は、自分を擁護する気にはならなかった。

「 僕は、君に好かれる資格なんて、ないんだ―― 」

 唯子を抱いたあとで、こんなことを打ち明ける 自分 に嫌気がさした。



〜 03.砂糖菓子のような笑顔 〜


 彼女に――野田那智〔のだ なち〕にモデルを依頼したのは、一年の入学して間もない頃だった。


 早朝。
 授業が始まるよりも、一時間早く登校して美術室に向かう純也が聞いたのは体育館から響く、バンバンというボールが跳ねる音とそれがネットのような何かに触れる音だった。
 覗きこむと、そこには一人の背の高い人影があり……ショートパンツに体育着を来たその凛とした眼差しがバスケットのゴールを見据えていた。
 ゴールの下にはいくつかのバスケットボール。――そして、真っ黒のショートの髪がよく似合う純也のクラスメートが立っていた。
「野田さん?」
 彼女は、ふっと声のした入り口をふり返り、ビックリしたように目を見開いた。
「三崎君」
 少し低めの、落ち着いた女の子の声は教室で聞く他の女生徒の中では一番好ましかった。
「朝練?」
 と、訊くとそうと頷いて、彼女は不思議そうな表情を純也に向けた。
「三崎君は……美術部だったよね? でも、美術部って朝練ってあるの? うわっ、わたし、失礼なこと訊いてる?」
 慌てたように「ごめんごめん」と謝って、純也を見た。
 ちょうど、彼女と純也は背の高さが近く、目線が同じくらいだった。
 純也は笑って、「いいよ」と彼女に言って「朝練じゃないし」と見つめ返す。
 彼女の姿や目の色、髪の質感を焼きつける。
 純也のその行動は彼のいつもやってしまう仕草の一つだったが、彼女の方は頬を染めて戸惑った。間近で男の子から見つめられるなんて経験は、きっとあまりなかったに違いない。
「な、なに?」
「うん。野田さん、僕の絵のモデルになってくれないかな?」
 純也からすれば、純粋な創作意欲からだった。
 だから、彼女が――自分に 特別な 感情を持っていると告白されてもピンとこなかった。

「ご、ごめんね。三崎君がわたしのこと、そんなふうに思ってないの知ってるのに……」

 ほろり、と那智の瞳から涙がこぼれて、純也は困惑した。
(野田さんに、涙なんて似合わないのに……)
「野田さん、……いいよ」
「え?」
「僕も、好きだと思うから。君のこと」
 たぶん、好きになれる……そう、思った。那智は知っている女の子の中では 一番 話しやすいタイプだし……なにより、絵のモデルを頼んだのは自分だという負い目がある。
 それがなければ、きっと彼女を苦しめなかったはずなのだ。
「……三崎君」
 驚いた彼女の瞳から涙がひいて、純也はホッと胸を撫で下ろした。
 けれど、本当は那智にこんないい加減な付き合い方をしてはいけなかったのだ。

 好きになれる、と思った。
 でも、それは。
 結局――自分の傲慢でしかなかった。

 絵が完成して、夏の展覧会で金賞という大きな賞を受賞してから彼女は純也に「ありがとう」と言った。
「それは、僕が那智に言うべき言葉だよ」
 唐突な彼女の感謝に、戸惑う。
 ふるふると首を振って、彼女は笑った。吹っ切ったような、彼女らしい笑顔だった。
「ううん、感謝してるの。純也にあんなふうに描いてもらって……だから、それに見合う わたし でありたいと思う」
「……どういう意味?」
「わたしね、病気なの。本当は……純也にモデルを頼まれた時から、治療するように言われてたけど逃げてた」
 どうして……と問う彼の瞳に、真面目な那智の表情が映った。
 けれど、本当には彼女の言葉は純也に届いていなかった。
「怖かったから。だって、足を切らなきゃ治らないって言うの……そんなのってない。わたしからバスケを取ったら、ただのデカイ女じゃない? それなら、死んだほうが マシ だって思った」
 幻滅した? と笑って、那智は呆然とする純也に「いいんだよ」と言う。
「わたし、入院するから。二学期からは学校にいないと思う……治療に何年もかかるってハナシだし、お別れだね」
「那智」
「純也、わたし入院したらすっごく弱くなることもあるかもしれない。愚痴るわたしを見れる? 暴れたり、泣き喚いたり……純也に見せても、平気? あの絵とはちがうわたしでも……」
 伸びてきた縋〔すが〕るような彼女の手を、純也は無意識に払ってしまった。
 あ、と罪悪感の浮いた彼の表情に、那智の悟ったような声が言った。
「純也、わたし……あなたに嫌われたくないの。あの絵のように凛とした 強い 少女のまま、生きさせて欲しい。そして、そんなふうに戦い抜けたら戻ってくるから――だから」
 それまで、さよなら。
 最後の言葉は、那智の優しさだったろうか。
 それとも、純也に対する哀しいほどの恋心だったろうか。


 夏が終わって、彼女は学校から姿を消した。
 当初、「休学」だったそれは二年の中ごろに「退学」になって、名簿からも彼女は消え……そして、戻ってこなかった。


*** ***


「――僕は冷たいんだ。唯子、わかったろう?」

 苦しげに吐露した。
「先輩……」
 ぎゅっ、と純也の胸に抱きついて唯子は首を振る。
「やっぱり先輩はすごい、人です。だって、先輩の絵が那智さんに生きる勇気を与えたんだもの……先輩が純粋な人だって、那智さんも知っていたと思います」
 だから、たぶん先輩に背負って欲しくなかったんだと、思う。
 人生を――。
「ね? 先輩……あの 絵 の人はそんなに弱い人じゃありません」
「唯子……」
「わたしはそう思います」
 ふんわりと許してくれる彼女は、砂糖菓子のようだった。
 乾ききった心の奥に沁みて、癒される。
 はたはたと純也の目に涙があふれて、唯子の頬に落ちた。
 泣き顔をあまり見られたくなくて、抱きしめ、彼女の小さな額にキスをする。
「先輩……せんぱい……泣いて、るんですか?」
 唯子の繰り返される呼びかけに安心して、純也は流れるままに涙をこぼしてゆっくりと頷いた。


 >>>つづきます。


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