ゾクリ、と広之の背中に悪寒が走った。
気になってふり返ると、そこには志穂と一緒に澤嶺祥子がいて目が合うと、有名な童話のあるネコを思わせる不気味な笑みを浮かべた。
(気持ち悪いな……)
とは、思うものの彼には祥子の隣にいる彼女の方がずっと気にかかる。
可愛くて。その 存在 がたまらなく愛しい、と思う。
広之にとっては 目立たない 彼女の存在こそが……だからこそ、逆に目がいって知らず追いかけてしまうのだ。
そのくせ、その 彼女 らしい弱気な態度が広之をひどくいらつかせた。
( 分かってるんだ、本当は )
あれが、志穂の精一杯なんだってことは、十分に――。
〜 夢見るウサギ、恋するオオカミ3 〜
夕飯が終わって、居間でテレビを観ていたら電話に呼ばれて出ていた母親が奇妙な顔をして戻ってきた。そうして、開口一番に「広之、志穂ちゃんに何か悪さしたんじゃないでしょうね?」と厳しい声音で問いただすから、息を呑む。
していないと、答えれば嘘になる。けれど、責められるほど無茶なこともしていないつもりだ。
(これでも、俺は志穂を大事にしたいと思ってるんだ。疑われるなんて、気分が悪い)
「どういう意味だよ?」
ムッ、と声を低くして母親を睨む。
「電話、志穂ちゃんからだったんだけど……」
「ふーん、で? 様子がおかしいのか?」
ソファーから腰を上げて立ち上がった広之に、彼女は慌てて言った。
「だから。あなたにかわろうとしたら切られちゃったのよ! なんか、すっごく動揺してたみたいだから」
「………」
「もう! あんまり苛めちゃダメよ……いくら可愛いからって。志穂ちゃんは 本当に 一生懸命なんだから」
「うるさいな」
あの馬鹿、とひとりごちて広之は、訳知り顔で忠告してくる母親に辟易とした。
(言われなくたって、志穂が 一生懸命 なのは知ってるんだ)
不器用なほど優しくて、考えすぎるほど頑なになる。呆れるほどの、後ろ向き。
それが、広之をひどくいらつかせることもしばしばで、彼女はそのたびに落ち込むのだ。
「なによ、その目……心当たりがないワケじゃないんでしょ?」
もちろん、心当たりなんてありすぎるほどに、ある。
今回の場合は、十中八九……というか、100パーセント終業式の日のことが起因しているのだろう。あの日から、志穂とは顔どころか話すらしていないし。
広之の場合、そうだと知っていてあえて動かないのだが。
「気持ちを ちゃんと 口にすればいいのよ。ほかのことは要領いいくせに変な子ねえ」
( 簡単に言ってくれる )
ふたたび電話が鳴り、広之は居間を出る。背中に聞いた母親の楽観的な言葉にやれやれと肩を竦めた。
言葉にするくらいで、彼女が自信を持つのならどんなにいいか。どんなに言葉にしても、伝わらないこともある。
広之が志穂に対して、上手く伝えることができない……ということも 確かに あるが――。
受話器を取って、確かめる。
「志穂?」
電話口の彼女の慌てぶりと言ったら、なんと表現したらいいだろう。
『ッひゃっ!』という奇声を上げて、受話器を落としたらしい彼女からの応答をしばらく待ってみたが諦めた。この様子では待ったところで、まともな答えは期待できないし……少し、間を空けた方が彼女も落ち着くだろう。
何より、この月末には海の 約束 があるし――仲直りをする機会にはこと欠かない。
と、広之は笑みを浮かべて受話器を置いた。
*** ***
志穂らしい、と言えば志穂らしい。
あまりに可愛すぎて、笑ってしまうくらい……だから、あのことについての広之の苛立ちはとうの昔に冷めていた。
(俺は、もう怒ってないんだけど)
何か問いたげに見上げてくる、頼りない眼差し。
広之が少し見返すと、反射的にそらして縮こまる。彼女は知らないのだろう、と思うと可哀想だったが、どうしようもない。
ほんの少し、苛めてみたくなるのは 彼女 のせいだ。
「な、鳴海くん」
「なに?」
抑揚のない言葉で返すと、当然のように志穂は怯えた。
「あ、あの……」
震える小さな声で、ギュッと胸に鞄を抱きしめて「な、なんでもない」と逃げるように踵を返す。走り去っていく背中を眺めて、広之は(成長しないよな)と自らを嫌悪して深くため息をついた。
>>>つづきます。
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