彼がここにいる理由は、小槙には痛いほど解かった。
「祐介くん」
ビクッ、と肩をふるわせた彼は小槙の方を見ずに一呼吸を置いた。
「なんだ、役立たずの弁護士さんか――なんか用?」
顔を上げる生意気な表情は、小槙には小さな獣の子どものような印象だった。何かを必死に守ろうとしている。
「祐介くん、わたしが頼りないからだね……ごめんね」
「! うぬぼれんなっ」
少し動揺した祐介は、困ったように睨むと慌てたように電信柱に隠れる。
「? どうしたの?」
「わっ! バカ。声を出すなっ」
と、自分の方がよほど大きな声で小槙を叱咤した。
祐介の目が交差点を向いているのを確認して、小槙はそこに手を合わせる中年の女性の姿を見つけた。
〜 blog4‐2 〜
「あの人がどうかしたの?」
ニブイ女だな、と祐介は憮然と小槙を仰いだ。
「あのオンナ、毎日ここに来てるんだ。アヤシイ、と思ってさ……よく言うだろ? 犯人は現場にもどるって」
「……犯人って」
小槙は至極、真面目な少年の言い分に(それはないと思う)と心中で呟いた。
「きっと、アイツと共犯なんだ!」
「……祐介くん」
アイツ、というのは祐介の父親が信号無視をしたと証言している被害者の彼・榊真人である。
共犯、というのは荒唐無稽だが……小槙は頷いて祐介に言った。
「 わかったわ。祐介くん、一緒においで 」
すみません、と小槙が声をかけると、手を合わせいた彼女はハッと顔を上げた。
名刺を差し出して、「弁護士をしています」と頭を下げる。
「ここで遭った事故について、二三お訊きしたいのですが……よろしいでしょうか?」
「え……あの。いえ、わたしは何も――」
と、彼女は首を振る。
「何でもいいんです、何か……見てはいませんか?」
「見てません。飲酒運転の信号無視だって――警察の方も」
どうやら、警察に聞き込みを受けたこともあるらしい。
「 お父さんは、信号無視なんかしない! 」
目にいっぱいの涙をためて、祐介は言った。
「しないんだ、お父さんは」
堰〔せき〕をきったように訴えて、ポロポロと涙を流す。
「祐介くん……」
小槙の手を痛いほど握って、泣きじゃくる少年を抱きしめる。
「大丈夫、大丈夫だから……お父さんは」
ふるえる体を抱きしめて、伝える。
「不安なんだよね」
「そ……んなんじゃ、ないやいっ」
しゃっくりを繰り返す祐介は、次第に落ち着いてきた。小槙の鞄の中に入っていた携帯がブルブルと震えて、着信を知らせる。
「はい、仁道です」
電話に出ると、相手は事務所の所長だった。
「お疲れさまです、ボス……はい。はい、祐介くんならここに……わかりました。すぐに向かいます」
祐介の背中を叩いて、小槙は静かに伝えた。
「祐介くん。お父さん、気がついたって」
「え?」
真っ赤な目を上げて、祐介はぼんやりと小槙を見つめた。
小学生らしい、あどけない表情だった。
「祐介くんを待ってるって」
「ほんとうに?」
「うん。だから、病院に行こ」
頷く小槙に、コクンと少年は素直に従った。
「すみません、声をかけておいて……」
ぺこり、と小槙が丁寧に頭を下げるのを、驚いて立ち尽くしていた中年の女性は口元に手をあてて首を振る。
「これから病院に行くことになってしまったので、また何か思い出しましたらご連絡ください」
「……わかりました。あの……その男の子って、あの?」
「はい。息子さんなんです、お父さんが目を覚ましたんで連れていってきます」
小槙が祐介の手をひいて背中を向けると、彼女は見送っていたが意を決したように「弁護士さん」と呼び止めた。
*** ***
病室の扉を開けると、高見健介がベッドに横になったまま入り口の方に顔を向けた。
「 お父さん! 」
少年が駆け寄って、抱きつく。
ベッドの横にはボスが立っていて、小槙を出迎えた。
「高見氏は信号無視はしていない、と言ったよ。仁道くん」
「はい。証人を見つけてきました……祐介くんが探してくれたんです」
目を瞠る泉所長に小槙は答えて、「今、事務所で真城さんに詳しいことを聞いてもらっています」と唇を引き結ぶ。
「そうか」
ホッ、と息をつく泉の横を過ぎて、小槙はツカツカとベッドの際まで歩いた。
「高見さん」
彼女にしては、かたい口調。
「「いずみ弁護士事務所」の仁道小槙と申します。事故の件で、あなたの証言通りの証人を確認しました。今、詳しい話をうかがっています」
「そうですか、……よかった」
「ですが、わたしはあなたを許せません。確かに、今回の事故ではあなたは被害者です。証人もいます。でも、飲酒運転をしていたのも 確か です……それが、どういうことかお分かりですか?
今回は確かに証人がいて、あなたは業務上過失致死傷の罪からは免れることができます。それは、とても運のいいことなんですよ。もし、目撃されていなかったら……あなたは飲酒運転をしていて、信号無視もしていたことになったでしょう。お酒を飲んで、車を運転するべきではなかった……事故を起こして苦しむのはあなただけではありません、家族だって巻き込むんですよ。
道路交通法違反は免れませんから。――反省してください」
ピシャリ、と言うと、祐介が小槙と父親の間に立ちはだかった。
「 お父さんは、悪くない! 」
キッ、と小槙を睨む。
「祐介くんが 心配 していました」
「……そうですか」
横になったまま頷いて、「ごめんな」と盾になる息子の頭を不自由な手で撫でた。
もし、お酒を飲んでいなかったら……車を止めることができたかもしれないと健介は言った。
そうすれば、あの場所で事故は起きなかった。
相手側の女性も、死ぬことはなかった――。
もう、二度とお酒を飲んで運転はしないと、約束した。
たった一人、息子の目を見つめて。
>>>つづきます。
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