至極真面目に、耳に届いた輝晃の言葉に小槙は間の抜けた声で反応した。
「 へ? 」
「だから、「結婚」。俺は「不安」でたまらへん。おまえが、俺以外の誰かを好きにならんか、とか。今回みたいに会ってくれんようになったら、どうしたらいいか分からんようになる……小槙かて、結婚したら今回みたいなガセネタで不安にならんで済むやろう?」
「……それは、そうやけど」
輝晃以外の誰かを云々は別にして、週刊誌の報道に一喜一憂することは少なくなるかもしれない。
しかし、かといっていきなり「結婚」は飛躍しすぎではないか。
「小槙は、イヤか? 俺と結婚するの」
真正面から訊かれると、小槙は(ずるい)と輝晃を見上げた。
「そんなことは、ないよ。わたしかて、結婚するなら輝くんがいいもん」
ただ、それが今かと問われると――ちょっと違和感がある、それだけだ。
〜 blog3‐2 〜
(どないしよ……)
と、小槙は頬杖をついた。
あのあとの彼はと言うと、上機嫌で歯止めがきかなかった。
「 仁道くん 」
と、事務所の机でぼんやりとしている小槙へ、落ち着いた声が降ってきた。
小槙は背筋を伸ばして、立ち上がると「お疲れさまです」と礼をする。
「いずみ弁護士事務所」のボスは、そんな彼女に笑って応え、不思議そうに訊いた。
「何か、心配事かい?」
普段から、おっとりしている小槙のことだが、机の上でぼんやりするのは案外めずらしい。
こんなふうになる原因は、一つしかないと泉所長は知っていた。
「え? いえ。べつに……たいしたコトではないんですけど」
しかし。
難しい裁判に弁護に立つよりも、やっかいなことではある――と小槙は思った。
相手が、輝晃なだけ心配になる。
ああは簡単に言うけれど、今、ようやく軌道に乗り始めたばかりの 八縞ヒカル という俳優業に影響が出るのは確実だ。もちろん、彼の魅力は顔だけではなかったが……易々と演技派だけで売っていけるワケでもない。
彼には 絶大な 女性人気があるのも、確かな事実だった。
彼女たちを、敵に回すのは得策ではない。
(野田さんは、尽力してくれると思うけど……事務所とか 絶対 反対するやろうに、どうするんやろ)
無理をするのではないか、と思った。
そういうトコロ、輝晃は省みずなので――煽るような報道に「不安」を覚えるのも確かだが、それよりも小槙は今の「しあわせ」が崩される方が怖かった。
今は、まだ「恋人」でいいと思う。
誰にも言えない関係だけれども、それでも一方通行だった頃よりも満たされて、会って気持ちを伝えることができる。
無理をして、離れ離れにされるよりはずっといい。
( そうや、輝くんにもそう伝えたらいいんや )
と、小槙は「そうやそうや」と頷いた。
「答えが出たらしいな」
そばでおかしそうに見守っていた泉所長は彼女の頭を、かいぐりかいぐりと撫でると戸惑う彼女をその場に残して自分のデスクへと入った。
まさか、ボスが(さて、子どもができたか、結婚か――)と下世話な勘繰〔かんぐ〕りをしているとは思っていない小槙は、呆然と見送って止まっていた書類の作成に執〔と〕りかかった。
*** ***
おっとりとした小槙の決意よりも、輝晃の行動の方が早い。
まずは、朝一番にマネージャーである野田にその件を伝えた。
「え? ……結婚ですか」
流石に、野田も八縞ヒカルのその話に絶句した。
「それは、ちょっと――」
ヒカルの表情が険しくなるのを知りながら、野田はどうすることもできなかった。
ヒカルの所属する事務所は 比較的 自由な社風だが、それでも現段階で「八縞ヒカルの結婚」という話が俳優としての彼のプラスになるかどうかを考えると、やはりいい顔はしないだろう。
確実に人気は落ちるだろうし、ようやく軌道に乗った仕事は失速を余儀なくされる。
事務所としても、マネージャーの野田としても望まない結果だ。
「 どうして? 」
と、いい返事をしない……半ば、予想通りの野田の反応に、ヒカルは不機嫌に低く訊いた。
あのヒカルの予期しなかったスキャンダルが報道されてからというもの、彼の態度は剣呑だった。自由に否定をするのも止められ、意思を曲げて口を閉ざしたのは事務所の方針に従ったからだ。
それが、いまだ尾を引いている。
「野田さん。俺はコレでも 譲歩 しているつもりだよ……本当は、ずっと口にしたかったのを我慢しているんだから」
小槙に誤解され、「会いたくない」と言われた時のヒカルのうちひしがれた表情を知っているだけに、野田も無碍〔むげ〕にはできなかった。勝算は薄いが、事務所に掛け合ってみるか……と思う。
「わかりました……でも、あまりヤケにはならないでくださいね。ヒカル」
「 努力する 」
不穏な笑みを浮かべて、ヒカルは野田を不安にさせた。
フラッシュが焚かれて、いくつものマイクが突きつけられる。
あの人騒がせな記事が載って以来、報道陣の数はこんな感じで彼についてまわった。
「真相はどうなのか?」とか「本当に付き合ってないのか?」とか……相手の、西加賀葵側が「仲のいい友人」だとかほざいているから余計に始末が悪い。
八縞ヒカルが「仕事上の付き合い」だと伝えても、連日同じような問いが飛んでくる。
結局、彼らは答えを期待しているワケではないのだ。
(さて、いつ小槙のことを匂わそうか……)
と、事務所の返事を待つ気もなく、頃合を見計らう。
無言で報道陣の波を通り過ぎながら、「ヒカル君」と呼ぶ声に聞き覚えがあるような気がしてサングラスをかけた目を向けた。
「 ……… 」
そこにあったのは、懐かしいと言うには直接の面識はあまりない 高校の生徒会長 だった男。
小槙が懐いていた、坂上学〔さかがみ まなぶ〕が立っていた。
>>>つづきます。
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