「カッコよかったよ……嘘やない」
運動会の閉会式後の、医務用テントの中は差しこむ夕焼けの赤い色に染まっていた。
電光のない薄暗いそこで、保健委員長である彼女は後片付けをしている最中で……やってきた俺にイヤな顔ひとつせずに招きいれた。
本当は嬉しかったんだ。
「気休めやろう、あんなんカッコいいわけがない」
運動会最後のリレーで、アンカーだったのは二回目。軽く見ていたバチが当たったと思った。
こけて擦りむいた膝によくしみる薬をぬってほしかった。
けれど、対応した彼女は優しくて無性に腹がたった。
「気休めなんかやないよ。だって、最後までカッコよかった」
真面目な彼女が、一生懸命言う言葉に癒された。
「うそつき」
悔し涙が、出そうになってつい言わなくてもいい憎まれ口をたたく。
彼女は、ビックリしたように震えて急に立った俺を見上げた。
「馳くん、ホンマやから。わたし、嘘はつけへん」
だろうなあ、と思う。
頬をぬぐって、俺はどんな顔をしたのだろう。
自分ではわからない。
「知ってる。けど、 一番 になりたかった」
「 なれるよ、馳くんなら 」
頑〔かたく〕なに言って笑う彼女……仁道小槙〔にどう こまき〕は真っ赤に染まった空気の中で馳輝晃〔はせ てるあき〕の「 特別 」になった。
ほかの誰が言っても、疑ったにちがいない。
生真面目な、馬鹿がつくくらい素直で厭味なほど頭がいい彼女。
纏〔まと〕う空気は冷たく近寄り難いのに、話しかけたら案外人懐っこくてハラハラする。
普段は、遠くから見るしかなかったから、気が気じゃない。
小・中・高と一緒だったくせに……驚くほど接点がなかった。
特別なことがない限り、繋ぐモノがないんだ。
俺たちには――。
「さようなら」
転校の日に何気なく発せられた彼女の言葉に、「繋ぐモノ」が本当になくなるんだと予想外に動揺した。
小槙の手を取って、引き寄せる。すぐそばまで。
これ以上、近づけない……その限界点まで彼女を寄せた。
ガタガタと机が派手にぶつかり合う。
誰もいない教室は、あの日の夕焼けに似ていた。
小槙が小さな悲鳴を上げて、唇でその声を塞ぐ。
「繋ぐモノ」、この時はコレしか思いつかなかった。あとで、落ちこんだりもしたけれど、後悔をしたことは 一度も なかった。
それは、今も変わらない――。
〜 blog1‐1 〜
腕の中で言った頑なな小槙の言葉に、輝晃は「なんでだよ」と一人ごちた。
が、耳元で口にしたものだから、アッサリと彼女の耳にも届く。
「わたしは、弁護士。馳くんは、クライアント! けじめはシッカリせんとね!」
輝晃の胸を躊躇いもなく押す、融通のきかないお堅い彼女が憎らしくもあり、変わらないその生真面目さが嬉しくもあって、ホッとする。
「分かったよ、「仁道」。じゃ、この件は保留ってコトで異論は?」
「ないわ」
くしゃり、と前髪をかきあげて輝晃は天井を仰いだ。
そして、彼女から離れるとソファへ座ることをすすめる。
「そこでちょっと待ってて、持ってくるから」
「持ってくる?」
って、何を?
と。すぐに繋がらなかった小槙は、明らかにニヤニヤとした輝晃の表情に顔をしかめた。
「手紙。確か、取りに来たんだよね? 弁護士サン」
「……イジワルやねんから」
ぽそり、と上目遣いで呟いた。
「仁道」
「え?」
差し出された手紙を受け取って、小槙は真っ赤になった。
故意に重ねられた手をそのままに、テーブルの向こう側にあるソファに座った輝晃に抗議する。
「は、馳くん!」
くすくすと笑った彼は、やっぱりカッコよくて悔しいけど一枚の絵のように小槙の目を奪った。
そらせない。
輝晃の逃げのないまっすぐな眼差しが向けられて、さらに顔の熱が上がったのがわかった。
「安心した。まだ、免疫がないんやな」
よく意味が分からなくて首をかしげると、腰を上げた彼にアッと思う間もなくキスをされた。
唇と唇が触れ合うだけの、軽いキス。
けれど、小槙にはそれだけで十分だった。
「な、な……なにするん??」
チカチカと、目の前が光のプリズムで点滅する。
「あの時、邪魔が入ったから……心配してたんや。なあ、俺に予約させろよ」
「よ、予約って、なんの?」
「だから、あの日の続き。仁道のハジメテを全部、俺に頂戴」
「は、なっ……やぁっ!」
小槙はこれ以上ないくらい動揺して、真っ赤になり、やらしく絡みつく彼の手を振り払うと立ち上がった。
にっこり、笑う輝晃に恥ずかしくて目を合わせることもできない。
「ホンマに、「男」に免疫ないなあ? 仁道」
可笑しがる彼の口調に、悲鳴のように叫んで応戦した。
「もう、もう! 知らないっ。こんなんセクハラやっ!」
「なに? 訴えるの? ええよ、弁護士サン」
勝ち誇ったような彼の態度に、小槙はググッと唇を噛む。
「でも。セクハラで 俺を 訴えたところで、顰蹙〔ひんしゅく〕を買うんは仁道やからねえ。そう思わん?」
八縞ヒカルのファンが、黙っているとは思えないと彼は言う。
確かに、反論はできなかった。
「……なんで、そんなにイジワルなん? 馳くん」
昔はそんなことなかったよね?
言うほど接点はなかったけど……と思いつつ、小槙が泣きそうな気持ちで力なく訊くと、輝晃はそ知らぬ顔で答えた。
「そりゃあ、イジワルもしたくなるわ。好きな女に「おあずけ」くらわされたらなあ」
その目が、誘うように色っぽくて小槙は目をそらすと、逃げるように部屋を出る。
輝晃の呼んだタクシーに乗って、後部座席に落ち着くと、ドッとイロイロなことが思い出された。
「 あかん、胸がドキドキする 」
本気になったら、あかん相手やのに。
手にした手紙の内容を確認して、小槙は調査する事項を頭の中で整理するため、ひとつ頭を振ってため息をついた。
*** ***
ここ最近の撮影現場の日常がやってきた。
2時間ドラマ『相方』のスタッフは、彼女が足早にやってくるとそんなことを思う。
「おっはようございます、仁道弁護士」
「あっ! おはようございます」
声をかけると、律儀に立ち止まって礼をする。そんなところが新鮮だった。
しかし、そんなおっとりとした彼女にも、そろそろ疲労の影が浮かんでいる……ように見えるのは、たぶん気のせいではない。
「可哀想なことをするなー、ヒカルも」
「なにも毎日、日に何度も呼び出さなくても……彼女もかいがいしく来るものだから、調子に乗ってるんじゃないか?」
誰か止めてやれよ、と言いたげなスタッフの言葉に違うスタッフが苦笑した。
「アレは、好きだからだろうけどねえ」
「ああ! わかる。好きな子を苛めちゃうってヤツだね!!」
「まさに、ソレだな」
遠く去っていく弁護士の背中を見つめて、一同は頷いた。
「 馳くん! 」
八縞〔やしま〕ヒカルの控え室へとやってきた仁道小槙は、今日こそは意を決して開口一番非難めいた声で彼の名を呼んだ。
「ヒ・カ・ル……だって、言わなかった?」
控え室の大きな鏡の前で準備を早々に整えた彼が、小槙を映して静かに言った。
「ご、ごめんなさい。ヒカルくん……や、なくて!」
キッ、と改めて睨むと、小槙は懇願した。
「お願いやから、あんまり呼び出さんといて。仕事がでけへんやないの!」
ヒカルは意外そうに口の端を上げて、
「仕事? だから、俺のそばに呼んでるんじゃないか。そうだろう? 野田さん」
ヒカルの傍らに立っていた野田マネージャーが、頷き、憐れむように小槙を眺めた。
「仁道さん、ヒカルの言うことももっともなんですよ。何しろ、相手は 八縞ヒカル の「ストーカー」ですから」
「……それは、そうなん、やけど」
小槙もそれを言われると、弱い。しかし、それは果たして弁護士の仕事なのかどうか、疑わしかった。
「なに? 不服?」
「そうやないけど……居心地悪いねん」
呼び出されるたび、ヒカルに好意を寄せる共演の女優やら、スタッフ、ファンの集団の中へと放り出され……時には、彼の悪ふざけに付き合わされた。
あからさまに投げかけられる眼差し。
「あんた、誰よ? ヒカルの何?」とむき出してくる勝ち気な彼女たちの敵意に萎縮する。
そんな慣れない空間の中で、ヒカルは小槙を引き寄せて挑発した。
「 俺の恋人。小学校からの幼馴染なんだ 」
と。
一応、すぐあとで「って言うのは冗談で、幼馴染の弁護士さん。今はね」と舌を出す。
相変わらず、こういうトコロは愛想がいい彼らしかった。
そして、今日も呼び出されたからには、相手がいるハズだった。
キョロ、と周囲に注意をはらって訊く。
「――で、今日の人はどういう人なん?」
「プロデューサーの娘。俺のファンなんだって、しつこいんだ」
「また、そんな言い方して……可哀想やないの」
めっ、と小槙が睨むと、ヒカルは一瞬、輝晃にもどって肩をすくめ、
「 可哀想なんは、俺や 」
と、悔しそうに笑った。
コンコン、と控え室の扉を叩いて入ってきた奥田奏子〔おくだ そうこ〕はヒカルを見つけてパッと笑顔になり、ほかの誰もがしたように小槙の姿に表情を険しくした。
(また。思いっきり睨まれたんやけど……気づいてるんやろか。この人)
と、恨みがましげに隣で愛想笑いを演じる 彼 へと顔を向ける。
「 俺の恋人。小学校からの幼馴染なんだ 」
(あー、 また 。言うてるし……)
いつもの挑発を口にして、小槙の腰を抱き寄せると……ヒカルは いつも とは違ってさらに近づいた。
( え? ちょっ…… )
そして。
ペロリ、と小槙の耳たぶを、舐めた。
>>>つづきます。
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