白いカーテンが翻る。風が、汗ばんだ頬を撫でた……放課後を覚えてる。
教室という、鬱蒼とした森。立ち並ぶ机と椅子の木々の狭間で、壁に背をつけた仁道小槙〔にどう こまき〕のすぐ上に窓があった。ちょうど、夕暮れの焼けた赤い日が差して馳輝晃〔はせ てるあき〕の顔を染める。
少し長めの前髪はやわらかそうに揺れて、小槙を映す眼差しはどこまでも静かだった。
している行為はともかく、カッコいいと単純に思う。
ガタガタと時々、机があたって音を立てた。
(どうして?)
と、不思議だった。
彼とは、小・中・高と同じ学校という幼馴染だとはいえ……親しいか? と訊かれれば、言葉を交わすていどにはと答えるような希薄な間柄だ。
馳輝晃は、演劇部のホープで。
仁道小槙は、生徒会役員だった。
そして。
この日は、彼が転校する日。
ここからいなくなるのに……どうして今、半ば無理矢理にこういうことになっているのか解からない。
「は、せくん?」
セーラーの前を手で合わせた小槙は呆然と呟いた。
なぜか、イヤではなかった。しかし、だからと言って許せるわけでもない。
キッ、と睨むと、夕闇になった周囲の影に彼の表情が沈む。
「仁道……俺――」
言いかけた彼の背中に、廊下を走ってくる足音が響いた。
「てるー! ねえ、まだ学校にいるってホンマなん?」
「確かよー。だって、まだ下履きがあったやん」
女生徒の話し声は段々と近づいて、教室をひとつひとつ開けて確認しているようだった。
小さく、彼は舌打ちして乱れた制服をととのえる。
慌てて、小槙も足を揃えて正座に近い姿勢になる。
抗う小槙の手を握ると、何も言わずに立ち去った。
遠く、彼を見つけてはしゃぐ女の子たちの声が聞こえて、あしらう彼の変わらぬ愛想のよさがうかがえた。
小槙は、失望しつつスカートの埃〔ほこり〕を払って、手に握らされた紙片に視線を落とした。
紙の中から転がるボタンは、校章の入った金ボタン。
「 ……… 」
走り書きされた携帯番号に、先ほどのハジメテの余韻が疼いた。それから、小槙はその紙を捨てることもしないくせに、なぜかかけることもできなかった。
馳輝晃は、「八縞ヒカル」として俳優デビューを果たし、次第に有名になっていく。
そんな彼の活躍をぼんやりと見守って、仁道小槙は弁護士になった。
パスケースの中に入れた古ぼけたその紙片を眺めて、彼女はもう二度と「彼」と会うことはないだろうと漠然と、思った。
〜 プロローグ 〜
クライアントの相談を受けるために入った控え室の一室で、仁道小槙は立ち尽くし……同行してくれた事務所のボスに注意を受けるまで、一言も言葉を発することができなかった。
「仁道くん」
「あ! はいっ、失礼しました」
小槙は二度と会わないだろうと思っていた、馳輝晃との再会後の第一声がこんな言葉だったことに少なからず落ちこんだ。
(わたし、カッコ悪い……)
チラリ、と目の前に座る輝晃を観察する。
相変わらず、カッコいいな。ううん、前よりもずっと……大人になった。
きっと、彼はあんなことなど忘れている。
「はじめまして、担当の仁道小槙です。よろしくお願いします」
そう、思うと小槙はかっての幼馴染に 初対面のような 挨拶をして、頭を下げた。
八縞ヒカルの相談というのは、人気が出ればありがちな「ストーカー」問題だった。
(……ずっと、不機嫌そうなのは気のせい?)
相談を受けながら、小槙は当事者でありながらもっぱら傍観を決めこみ、話し役をマネージャーに任せたヒカルがどうも自分を睨んでいるような気がしてならなかった。
「わかりました。それでは、その手紙を見せていただけますか?」
「いいけど……持ってきてないから、マンションまで取りに来てくれる? 仁道さん」
「は? いえ。明日用意してもらえれば……いいですよ?」
「ダメ。取りに来て」
有無を言わさない微笑みで、ヒカルは言って立ち上がった。
「こういうことは早い方がいいだろ。じゃ、撮影があるからまたね」
ヒラヒラ、と手をふる。
「場所は、野田さんに聞いといて」
野田さん、というのはヒカルのマネージャーの名前。彼からマンションの簡単な地図を受け取って、そこに書かれた注意書きに目を疑う。
マネージャーは憐れむように小槙を見て、ぺこりと頭を下げた。
『今日の夜、11時厳守のこと』
(……なんでやねん)
「仁道くん、どうかしたかね?」
ボスの声にハッ、として頭をふり、
「いえ、何も」
と、なぜか隠してしまった。
*** ***
「どうぞ」と促されて入った、高層マンションの一室に息を呑む。
部屋の広さが半端じゃない……中心に置かれた標準よりもかなり大きめの革張りのソファが小さく見える。それに、スリッパがないがために感じるフローリングは、ぽかぽかと暖かい。
「床暖房?」
「そう。仁道、憧れてたやろ?」
末端冷え性だったから、確かにそんなことをよく学生時代言っていたけど。
「いやや! 変なこと覚えてないでよっ……って、馳くん?」
「なに」
やはり、あまり機嫌はよくない声で彼は答えた。
表では、あまり口にしない関西なまりに 確かに 彼なのだと実感する。
「……覚えてるん? わたしのこと」
「残念ながらな。仁道は忘れてたみたいやけど?」
「そ、そんなんじゃないやい」
もごもごと口を動かして、小槙は恨めしげに輝晃の顔を見上げた。思わず見惚れそうになる、整った顔にとくんと鼓動が跳ねた。
「俺、怒ってるんやけど。知ってるか?」
手首を掴まれ、壁に追いやられると小槙は輝晃に居竦まれ、目を放すことができなくなった。
(やっぱり、怒ってたんだ……)
と。
身動きのとれない状況に陥りながら、小槙は暢気なことを考えた。
「なんで、電話くれへんかった?」
「なんで、って……」
「あのこと、無理矢理やったからか?」
うっ、と唸って、小槙は息を止めた。
それも、否定はできなかった。
けれど。
やわらかな軽い色の黒髪と、憂いを帯びた眼差し。
「俺のこと、嫌いか」
( ずるい… )
と、小槙は困惑する。
確かに、強引だった彼を嫌悪した。しかし、最後は合意だったとも認めている。
「怖いけど、嫌いやない」
首をふるふると振って、ため息とともに口にする。
「怖い?」
「だって、ハジメテやったのに……あんなのひどいわ」
「 小槙 」
ギュッ、と抱きしめられて、耳元の囁きに緊張する。
(って、いきなり呼び捨てやし)
「今度はゆっくりする。約束するから……頷いてくれへん?」
「え?」
「 俺と付き合って欲しいんやけど 」
いや、と考えるよりも早く首をふって、小槙は自分で自分の答えにビックリする。
(そうか。わたし……馳くんのことが好きやったんや。ずっと)
と、彼の胸にすっぽりと納まりながら、ようやく自分の気持ちに追いつく。
(……でも)
「 クライアントとは、付き合わない。 」
付き合うわけに、いかない。
裏腹な言葉とともに、小槙は静かに瞼を閉じた。
>>>つづきます。
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