鳥之段.飛翔T


「なに、つまんなそうな顔をしているんだ? 恒牙」
 中央通りは皇城に続く大通り。青薇一の商店街通りである。反乱が起こってからは、その活気も下火ではあったが。
「だぁってよお。せっかくあの舞台バカが折れたっていうのに、もうひとりが折れないでは話にならないだろ?」

『この国がどうなろうと、僕には関係ないからね』

 そう勝ち気に瞳を光らせる少年。
「情がない……っていうよりは、ありすぎるんだろうな。彼は」
「まったくだ。子供のくせに変に頑固で」
「……なるほど」
「なんだよ?」
 笑いをおし殺して、瑞は口を開く。
「おまえがつまんなそうにしてたのは、そのせいであの方に強く出れないから……なんだな?」
「ぐ……ッ」
 見事、図星らしい。
「ま、気長に待つことだよ」
 くすくすと笑いながら、彼の背中を叩く。
「分かってるさ」
 すねたように眉と眉の間に皺をよせる恒牙。
 ふと、瑞は訝しげにふり返る。
 ひとつ、ふたつの店は営業しているらしいが、ほとんどの店がのれんを下げている。それも、今ではめずらしいことではないが……。
 「静か」だ。
 町一番にぎやかなこの通りも、今はひどく静かだ。

 「静か」すぎる…?

 どこかで、衝突が起こっているのか……。
「 ! 」
「く〜〜〜〜〜」
 殴られた顎を、恒牙は言葉もなくさする。グーで殴られては、それもいたしかたないだろう。
「おまえはどうして、そう脈絡がないんだ? 恒牙」
「……いや、抱きつきたくなったから」
 そう返す恒牙の瞳は涙目。
「だからって道を歩いている時に抱きつくヤツがどこにいるっ!」
「道端でなかったら〜〜〜〜」
 ふたたび、恒牙は顎を押さえた。
 瑞は口より手の方が達者だ、と恒牙はうずくまりながらひとりごちる。
 それにしてもグーはないだろ。グーは。
 訴える恒牙の瞳を、瑞はさらりと無視した。
 彼の瞳が、なお一層情けない様子で瑞を仰ぐ。
 この背の高い青年の行為は、偽狼時代から本当に脈絡というものがない。
 そう感じるのはまとう黒の闘衣のせいか、はたまたその結構端正な面立ちのせいか。
「……ったく。冗談にしても程度ってものを考えろよ」
 いつもは高い位置にある恒牙の顔を睨み下ろし、瑞は彼を殴った右手のこぶしをいたわる。
「……冗談じゃあ、ないんだけどねぇ」
 そう呟いた恒牙の声は、静けさの中に溶けて消えた。
「何か言ったか?」
「……いんや、なんにも」
 彼らの頭上を激しく雲がいきかう。
 町は沈黙を守り続ける。

 破る時期をはかるために。



 誰もいなくなった戦場で、プスプスと燻った煙が音を立てる。
 木の焦げる匂い。それにまじって何の匂いだろうか、鼻をつく異物。
 雨がポツポツと降りはじめていた。

「七郎……」

 瑞は何か言いたくて、言葉をなくす。
 一体、何が言えるというのだろう。
 自嘲するように自らの行動に問い返す。
 ここは、森のあった場所。今はもうない。
 もう、何も…。
 次第に雨足は強くなる。
 痛みを感じるほどに、大粒のしずくが空から身体を叩きつけた。
 けれど、少年は動かない。なにかを、誰かを待っているのだろうか。

「瑞」

 後ろで恒牙がゆっくりと首を振った。
 そっとしておいてやれ。
 そう彼の柔らかな瞳が語る。
「………ああ」
 そうしたほうがいい。
 瑞は少年を残して、その場所をはなれた。雨のなか、まだ幼い背中が濡れて、よけいにちいさく、細く見えた。
 七郎、俺たちとともに戦おう。
 これ以上の無駄な死が……悲しみがおこらないように。
 こんな想いを誰もせずに、いられるように。
「泣けよ、七郎」
 雨がすべてを隠してくれる。
 涙も、声も、姿さえも。
 瑞はどんよりと重い空を仰ぎ、呟いた。



 七郎はガクリと膝をついた。
「うく……うっ……う……っ」
 彼の頬を流れるのは、雨のしずくか、それとも……。嗚咽は耐えるように閉ざされた唇から、あふれるように洩れでる。
 どうして守りたいものは、すぐこぼれてしまうのだろう。
 指と指の間から流れ落ちる砂のように。
 地面の、今はドロとなった土をかたく握りしめる。
 七郎の手のひらで血が滲んだ。
 空高くから猛鳥の羽が、七郎の足へヒラリと舞い落ちる。

 明日も雨。


*** ***


 西の森が燃えた日から、雨は三日三晩降り続き、四日目にしてようやく雲間が切れた。
 それでも秋の雨はひんやりとした冷気をおび、やがて来る厳しい冬を予感させる。

「その日から彼の姿が見えないんですか?」

「そういうこと」
 希昂の問いかけに、恒牙はかたい表情のまま後ろをふり返る。無言で瑞は頷き、柱にもたれている翠連はそしらぬふうに窓の向こうを仰いでいた。
 奇妙な感じだった。
 ただ、そうして立っているだけで、翠連には役者としての華がある。しかし、それは整いすぎた容姿のせいであって、けっして金に近い黒髪のせいでも、深く碧い瞳のせいでもない。
 すべては圧倒的な彼の存在感に取りこまれ、なんの違和感ももたない。派手に見えがちな芸人風の鮮やかな服と同じように。
「……仕方ありませんね。もう時間もありませんし……」
 希昂が妥協の様子を見せた、その時。
 ふと、翠連の唇から笑いが洩れる。
「……俺たちだけでする必要はないみたいだけどね」
「何言っ……!」
 バサッと鳥の羽音が窓ガラスを揺らした。
「! この鳥は……!」
 窓の向こうには一羽の猛鳥。こちらをうかがうように鋭い瞳が瞬く。

「カイ、こっちへおいで」

 少年の声。その中には大人びた響き。
 彼は窓の向こうに立つ木立の枝に座り、肩に猛鳥を従える。
「僕は森の守護者だからね。あれの報復は、きっちり大元に返させてもらう」
 ニッと勝ち気な笑みを浮かべ、さながら野生の獣のようにしなやかに、開けはなたれた窓から部屋の床へと降り立つ。
「君たちには、ひとつそれに協力してもらうよ」
 そう言い、七郎は黒い瞳に大人びた輝きを見せた。
 何があっても、口の減らない少年である。
 四人を前に、希昂はふっと笑みをこぼし、おだやかに指を組みなおす。
「これで、ようやく本題に入れるというワケですね」
「まったくだ」
「素直に喜んどけよ、恒牙」
 瑞がからかうように恒牙の腰を肘でつつく。それに乗じて七郎も。
「そうだよ、僕が戻ってきて嬉しいくせに」
「な、誰が!」
「おまえが、だろう?」
 翠連の声が静かに言う。碧い瞳が見透かすように深く澄む。
 それに思わず恒牙はぐっと言葉を呑む。
「ふん、なかなか息が合ってますね」
「どこを見てほくそ笑んでやがる。くそ官吏ッ」
 文句たれるは、恒牙ひとりなるばかり。


*** ***


 戸口が泣いた。
 肌寒さを増した空気。それも夜の冷えきった外気が、愛蓮の透き通るような白い肌をさす。けれど、そのことに彼女は少しも自分の身を守ろうとはしない。
 薄い肌着の他には防寒着になりそうにない、薄い肩掛けを引っ掛けただけで、愛蓮は開けた戸口から一歩足を進めた。彼女の肌が微かに震えている。
 凜と光る黒曜石の瞳を伏せると、ほのかに赤みの射した唇がわななく。それは、寒さのせいか。それとも……。

「青貴姫様」

 ハッと瞼を開けると、愛蓮はその瞳に一際鋭い光を射して声の向きに顔を上げた。
 この闇にまぎれるような静かな声は。
「淵静祈〔エン セイキ〕か」
 彼女の繊細な美しい声が夜の空気をあたためる。
 薄墨をたらしたような、鉛色の瞳が闇の中から彼女を見上げていた。光のかげんでそれは銀杯色にも見える。
「まだ、殺らぬのですか?」
「時期ではない……まだ」
 そうして、扉の向こうに眠る治敬帝〔オトコ〕に残酷なまでに冷たい眼差しを投げる。

「あれにはもっと……もっとふさわしい死に様がある」

「御意」
 強い意志とともに発せられた彼女の言葉に、淵静祈はひざまずいたままで礼の形を取る。その唇には冷酷な笑みをのせて。
 彼が気配を消した後、愛蓮は宙〔ソラ〕を仰いだ。
 月は見えなかった。すべてが闇に覆われ、生けるものもまた、死に絶えているようだ。

 ……そうならば、どんなにいいだろう。

 闇にその身を委ねるように、愛蓮は瞼を伏せた。



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T EXT
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