3-12.恋う心と雪の空
ガキン。
と。幾筋かの一閃が交わったあと、対抗した二人はそれぞれに舌打ちをして交差する剣と鎖鎌の狭間で視線を交わした。
「 ああ…… 」
と、その中。
侠がため息のような声を吐いて榛比の顔を興味深げに眺め回す。
「そうか。宮中を騒がせていた刺客っていうのは、おまえか?」
ハッ、と榛比は息を呑んだ。
「……どうして、そんなことを」
月山という偏狭にいて、宮中からの触書〔ふれがき〕が届いているとは思えない。
事実、「北松」の里人たちにその話題はのぼっていなかったし、「虎北」の輩〔やから〕もまったくそれには触れなかった。
「たまたまだがな。触書を見たことがあるんだ――そうか。だったらあの触書の事柄とは少々内実が違っているワケか?」
侠が今まで確信しなかったのは、触書の内容と彼らの関係があまりにかけ離れていたせいだ。 清葉、現皇帝の嫡子・荊和〔ケイカ〕の花嫁を入内当日の夜に攫ったという、宮中の刺客。
公の発した情報からすれば、花嫁は元・皇帝付きの女官で、攫われる際に刺客によって深い刀傷を負ったとのことだが……彼らが恋仲とは知らせていなかった。
確かに、皇太子の花嫁が刺客と駆け落ちとは公表できないだろうが。
「なるほどな」
虚実の触書を配る気持ちは解かる。
「アレは、おまえへの嫌がらせってワケだ」
「……知るか」
しかめっ面の元・刺客は、それを暗に肯定すると飛びのいた。
「春陽への嫌がらせだろう? 俺はあの時、この女を攫〔さら〕う気なんてサラサラなかったんだ」
しびれる体で何とか上体を起こした元・女官は、彼の責めるような視線を感じて唇をすぼめる。
「仕方ないわ、ああするしかあなたを止められなかったんだし……実際、殺す気だったんでしょ? わたしを」
「当然だ」
カチャリ、と愛剣を構えなおしながら、榛比はあっさりと言った。
「おまえがあんなことをしなければ、全員殺していたものを」
宮中の刺客として、暗躍していた頃を思い出して榛比は心がざわめいた。
忘れることなどできるものか。
今でも、あらゆる死の感触を覚えているのだ、この手が。
この愛剣が血の味を覚えているように――。
ユラリ、と本能的に榛比は侠の放ってきた鎖鎌を払い、逆に喉元へ剣を突き出した。
ドンドンとたてつづけに響いた爆音は、一時の静寂を破った。
くぐもった音でありながらすぐそばで、しかもかなりの深刻な状況を知らせる。
「 ――― 」
パラパラ、と天井が崩れてくる。
侠の喉元に切っ先を突きつけて、止めた榛比が踵〔きびす〕を返して春陽を抱き上げた。
「時間がない」
「うん」
その首に腕を巻きつけて、春陽は微笑んだ。
「あなたも、早く脱出したほうがいいわ。じきに来る――」
「 ……… 」
春陽に勧められて、侠は「何が?」とは問わなかった。
小さかった崩れが、次第に激しさを増しているのが分かる。
それだけで十分だった。
「……悠長にしている場合じゃない、ってコトか。くそっ!」
寝ている才を叩き起こして、走り出す。
「かしら、おかしらっ! 一体、コレは何が?!」
殴られた首元をさすりながら訊いてくる才に、侠は苛立たしく足を速めた。
「さぁな。しかし、大事〔おおごと〕なのは確かだ」
と、腸〔はらわた〕は煮えくり返っているというのに、どうしようもなく心浮かれる衝動に舌打ちした。
*** ***
崩れだした天井に、「虎北」の中の混乱は最高潮に達した。
すでに侵入者を気にしている場合ではなくなり、狭い通路を外に向かって一目散に走っていく。
ぎゅっ、と首にしがみつく春陽に榛比は低く告げた。
「目があった」
「え?」
目を閉じていた春陽はうっすらと開けて、首を傾げる。
すると、榛比が顎で先を示した。
「あの男に見覚えがあるんじゃないか?」
顔を向けて、春陽は「ああ」と頷く。
「ここの、総領よ。名前は雅東」
眉をひそめて、耳元で囁く。
「 ……だったかしら? 」
「そうか……」
一体、何をしたのかは知らないが、四肢のあるゆるところに物騒な傷をもつ男が春陽を見る目は尋常ではない。
左腕から鮮血を舞い散らせて、向き直る巨漢。
「厄介になりそうだ」
と、榛比が言うと、春陽も同意した。
「同感だわ。でも、――サッサと済ませてしまいたいわね」
「………」
その言葉の意味はどういう意味やら、榛比は肩をすくめて右手で剣を引き抜いた。
「離すなよ」
「うん」
彼の首に巻きつける腕に力をこめて、春陽は目を閉じる。
雪山の身を刺すような外気が足元から這い上がってきて、澄んだ空が出口に覗く。
陽が射す空から、名残りのような雪がいまだに落ち続けていた。
「北松」の若い衆におぶられた瑞果は、木陰に身を潜めながら息を吐いた。
「 先生だ 」
榛比に抱えられた春陽が飛び出してくるのを目で追う。
「虎北」の根城である、月山の山肌に造られた横穴が崩壊しつつあるのは明らかだっただけに、中にいた彼らが無事に姿を見せたのは本当に嬉しいことだった。
しかし、同時に事態が決して楽観視できるものでもないことも確かだった。
憤怒を怒号と態度で示した「虎北」の総領、雅東が彼らを追って出口から躍り出てくる。
獰猛な野獣と化した山賊の頭は、血を滴らせ人語ではない言葉を発して彼らに突進していく。
「ダメだ」
と、瑞果の傍にいた年近い少年の夏朱が呟いた。
「うん」
瑞果もそれは気にかかった。
(――おかしいよ、先生。だって、そっちは……)
「 谷だ 」
と、侠は崩壊間近の根城を眺めて目を興味深く細めた。
「頭」
才がそう呼ぶことを彼はもう、咎めなかった。
「才、どう思う?」
「自殺行為、ですかね。たぶん」
くっ、と頭を抱えると侠は冷えた幹で体重を支えて声を出して笑った。
吐く息は、白い。
「ああ、俺もそう思う」
笑いながら上げられた眼差しは、決して笑っていなかった。
むしろ、怒りに近い。 「 頭……訊いていいですか?」
「なんだ?」
「頭が、なんでそんなに怒ってるのか教えてください」
「……ふん」
侠は才の案外鋭い問いに顎ひげを撫で、もうすぐ来るだろう終焉に目を閉じた。
*** ***
崖側に春陽と榛比を追いこんだ雅東は、恍惚とした表情で春陽を仰いだ。
「もう、逃げられんぞ。小娘ぇ!」
「……残念ね。諦めてくれれば、助かったのに」
「何を、ほざいて……」
春陽の慈愛に満ちた台詞に、訝しく唸った雅東はその傷だらけの顔をハッと強張らせた。
背後に反り立つ月山の山肌をふり返る。
地の底から沸きあがるような地響きは根城が完全に崩壊したことを知らせ、また――違う絶望を彼に与えた。
「こ、小娘! 一緒に死ぬ気かっ」
「 まさか 」
ふわり、と笑う女の笑みに青くなる。
「そんな趣味、あるワケないじゃない」
ようやく謀られたことに気づいた大男はそれを回避しようと逃げ出した。が、時はすでに彼には遅すぎた。
山肌が崩れたことによる表層の雪崩〔なだれ〕が巨漢をアッという間に押し流す。
同時に。
崖にあったはずの三つの影は、視界から忽然と消えていた。
十一.苛立ちの理由へ。 <・・・ 3-12 ・・・> 結.その後へ。
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