3-10.苛立ちの理由


 ほとほと疲れて榛比が重い腰を上げた。
 春陽に惚れている男には、心当たりがある。
 「虎北」の一賊員、あの「侠」とか名乗った男。
 彼女に急所を蹴り上げられ、懲りたと思ったが――。
(また、物好きが……)
 自嘲気味に思い、座りこんだまま仰いでくる少女を見放した。
「自分のことは自分で、何とかしろよ。瑞果」
 ほんの少し和らいだ榛比の雰囲気に、緊張しっぱなしだった瑞果は驚いて目を見開き、次におずおずと頷く。

「……うん」
 と、小さくはにかんだ。

「 あ 」
 消えた男の背中に、瑞果は「どうしょう」と土に膝小僧をつけて笑った。
「立てないよ、先生」
 今更ながらに緊張が足にきたらしい、震えて立てない。
 この場所が死角とは言え、へたり込むには早すぎる……けれど、晴れ晴れしい気持ちになって少女は裸のままの岩肌を見上げた。
 世界の足元が抜けて落ちた先は、案外悪くない。
 まるで、柔らかな土の上に根付いたような感触だった――。


*** ***


「卑、怯者っ!」
 と、組み敷かれた春陽は自由にならない口を精一杯動かして抗議した。
 クッと上になった男は笑う。
「心外だなあ、これでも 紳士的 に扱ったつもりだが……もちろん、 山賊の中では という範疇〔はんちゅう〕で」
 唇を噛んで春陽は自らの誤った判断を悔いた。
 「虎北」の中では比較的人道を解する男だからと言って、非道を嫌うとは限らない。むしろ、侠のようなタイプは、自らの信念でそれを使い分けることができる分躊躇〔ためら〕いもない。
 貞操の危機を感じて平静を装えるほど、春陽は大人ではなかった。
 何とか振りほどこうと足掻〔あが〕くが、逆に強く押さえつれられる。

「 それに 」

 才の下した吹き矢の毒によって運動神経を侵された彼女が、強く睨みあげてくるのを侠は一種の快感で答えた。
 手中にするだけでゾクゾクする相手というのもめずらしい。
「先に、約束を破ったのはおまえだろう? 春陽」
「約束、な、んてしてないじゃないっ! 卑怯者!!」
 春陽の喚きに大仰に肩をすくめて、侠は嘆いた。
「やっぱり手札は放すもんじゃないよなあ、逃げられるのが関の山だ」
「だから、「約束」してない、でしょ!」
「ああ……だから、こっちも力ずくでモノにするつもりだ。いいだろ?」
 射すくめるように女を見下ろして、訊く。
 身体のしびれに必死に抵抗しながら、春陽はキッとさらに強く侠を見返した。
「いい、わけ……ないじゃないっ! 全然、よ、くないわよ!!」
 絶望的に思いながら、絶叫した。

「 ハル、ヒっ――…! 」



 ふと、視界に影が射して侠は身構えた。
 次にくる衝撃を交わすことはできないまでも和らげることはできる。
 が。
( 才め、油断したな)
 先にやられただろう仲間に、苦笑する。
「 ……ぐっ」
 低く蹴り上げられ、侠はゴロゴロと受身で転がった。
 頭部を押さえながら顔を上げると、そこには予想していた男が鋭い攻撃とは裏腹な静かな表情で立っている。
「 榛比っ! 」
 春陽が喜々と彼の名前を呼んだ。
「春陽は――返してもらおう」
 陰気な男が、前と変わらぬ声色で言った。
 しかし、その瞳は確かに陽気な男への殺気を帯びている。
 静か過ぎる殺意を――。

「嫌だと、言ったら?」
 挑発に微笑んだ無精ひげの男を、榛比は見返した。
「その時は……」
 帯剣した腰に手を添えて、不穏に低く吐き捨てた。
「――俺が、相手になってやるよ。物好きめ」
 憎々しげに闘志を顕わにした。
 スラリ、とした銀色の刀身を眺めて、侠は片眉を上げてみせる。
 目を眇〔すが〕めて、立つ男を見上げた。
「やけに、前と態度が違うじゃないか。もしかして、できあがっちゃったのか、この期間に?」
「 ……… 」
 侠の目のそばで剣の切っ先がわずかに揺れた。
 それを機に、侠はジャラリと素早く腰から取り出し、身を引いて鋭く突いてきた切っ先に巻きつける。
 鎖鎌〔くさりがま〕、と呼ばれる武器だ。
 目の前で鎖を交差させ、榛比の剣をギリギリのところで押しとどめた彼は緊迫を解くように笑う。
「なるほど、図星か」
「 放っておけ 」
 低く唸ると、榛比は一度体を引いた。
 立ち上がった侠と対峙する。
「 貴様には関係のない話だ 」
「 そうか? 」
 戦意の浮かんだ眼差しで榛比をとらえて、構えた。
「まあ、できあがろうがなかろうが関係ないと言えば関係ないな……毛頭、惚れた女から手をひくつもりはない」

「物好きめ」
 榛比何度目かの吐き捨てに、侠は「なんだよ、それ」と不満顔で抗議した。
「それを言うなら、あんたもだろう?」
「ああ。だからこそ……」
 苛立たしげに斜めに睨む。

「 ――俺、みたいな物好きが他にいるのは気分が悪いんだ 」

 言うと、榛比はダンと一気に踏みこんだ。



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