3-9.真実のなみだ


 才によって導かれた春陽がその部屋を訪れた時、目の前で繰り広げられた光景に眉を顰〔ひそ〕めた。
「悪かったわね、お邪魔して」
 仁王立ちになった春陽は、見るからに不機嫌で声もことさら低い。
 いつもの彼女が穏やかなだけに、貫禄がある。
 しかし、瑞果も不機嫌では負けていなかった。
「キライ、べつに嘘じゃないんだから言ったっていいでしょ! 先生なんか……大ッ嫌いだっ」

「 瑞果 」

 そっぽを向いて、本日二度目の台詞〔せりふ〕を吐露する少女を、師は突き放すように呼んだ。
 ビクリ、と肩が揺れる。
「みんな、心配してるわ」

「 ……… 」

「 あなたのこと を、心配しているのよ、分かるでしょ?」
 苦い気持ちがせりあがって、瑞果は顔を歪めた。
 そっぽを向いているのは、まっすぐには先生の顔を見ることができないから。
 それでも、視線を彷徨〔さまよ〕わせてしまうのは、その目をどこかで望んでいるからだ。
 そろそろと、瑞果は春陽に顔を上げた。

「分かるわよね? これはあなたの父親――樹琳の最期の心残り。あなたのこ とを本当に 心配 していたのよ」

 だから、と春陽は手を差し出した。

「 生きて、帰ろう 」

「 ……ッ! 」
 崩れ落ちそうになった瑞果を、「おっと」と侠が支えた。
 というよりは、腕をとって逃げないようにつかまえた。
「そう簡単に離すなんて思うなよ、お嬢さん」
「! やだっ、離してぇえッ。先生!」
 涙を流して、少女は懇願した。

 ――ごめんなさい。とうさん!
 ――ごめんなさい。

 ボロボロと崩れて、世界の足元は抜けた。
「ごめんなさい、……わたしが。わたしが バカ だったからッ」
 その瑞果の言葉を聞いて、春陽はふわりと微笑んだ。


*** ***


「 安心したわ 」

 師の微笑に、瑞果は「え?」と思う。
「それなら、わたしがいなくても帰れるわよね?」
 瑞果は涙に濡れた目を見開いて、言葉の意味を一生懸命に考えた。
「先生?」
「あなたの代わりに、わたしがここに残るから……瑞果、躊躇〔ためら〕わずに逃げなさい。いい?」
「せ、せんせい!」
 それは、つまりこの男の意に副〔そ〕うことにほかならない。
 瑞果の腕をとっていた侠が、ヒューと口笛を吹いた。
「願ってもない話だが――手札を放しておまえが逃げない保証がどこにある?」
「さあ? でも、どちらにしても同じことよ」
 鮮やかに笑って、春陽は侠を見据えた。
「その娘〔こ〕を放さなかったら、力ずくでもそうさせる。ねえ、どっちが賢明かしらね?」
「 なるほど 」
 と、侠はおかしそうに無精ひげの顎を撫でて、瑞果の腕を放した。

「では、……俺も力ずくでおまえをモノしていいわけだ?」



「 きゃっ! 」

 と、瑞果が叫んだのは、根城の狭い道を必死に走っていた最中だった。
 追っ手の数は、思いのほかに少ない。賊たちの統制に乱れが生じているせいか、あるいは複数の問題に直面した際の処理機能の障害とも受け取れた。
( 複数? )
 それが、何を指すのか……考えて、首を傾げる。
 まずは、瑞果本人の乱入事件。
 それに続いて、春陽の襲撃とかく乱。
 ここまでのことで確かに賊内は混乱するだろうが、それでも何かが決定的に足りなかった。
 何かが――。

 どん、とぶつかった人に瑞果は反射的に飛びのいた。
 身構えて、緊張する。
 身が震える殺気を感じたからだ。
「 ッぁ! 」
「 ――― 」
 彼は少女を確認すると、億劫そうに彼女の背後を見た。
 追っ手があると見て取ると、舌打ちし素早く細い腕をつかんだ。
「来い」
 低い声で瑞果に言うと、慣れた案内で死角に導いた。
「声を出すな」

「 ハルヒ? 」

 追っ手が通り過ぎていくのぼんやりと見送って、少女の口から名前がこぼれた。
「 ? 」
 漆黒の瞳に黒髪、人を極力避けるふうの陰気な男はそんな瑞果の言葉を奇妙なモノでも見るように凝視する。
 彼が春陽以外に、名前を呼ばれることなどそうはない。
「助けて――」
 震えるか細い少女の声に、榛比は躊躇いもなくさらに妙なことを言う、と訝〔いぶか〕しむ。
 キュッ、と彼の服を掴んで瑞果はお願いする。
「先生が、わたしの代わりに!」
「なんだ、――そんなことか」
 慣れないことに強張っていた榛比は、息を吐く。
「あいつが 簡単 にどうにかなるような女か?」
 いかにも面白い冗談を耳にした、と喉を鳴らす。
 ……半分は、複雑な諦めのようでもあったが。
「でも! アイツ、先生に惚れてるのよ」
「……あのな」
 陰気な男が明らかに困惑したのが、瑞果にも分かった。
 だから、なんで「ソレ」が重要なんだ? と。
 しかし、瑞果にとっては重要でハラハラと涙を流して嘆願する。

「 先生を、早く助けて 」

「………ああ、分かってる。分かってるけどな」
 十分一拍間を空けて、榛比は答えた。
(――あいつの信奉者が、またひとり……)
 と、顔を少女から逸〔そ〕らして、この状況の奇妙さに何とも言えない顔をした。



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