3-9.囚われたこころ


 瑞果は誰に訊くともない男の問いに、眉をしかめた。
(……誰のことを言っているの?)
 要領を得ない男ではあるが、ひとつ良いことがある。
 とりあえず今のところ、命と操の危険はない……ということだ。

「 お頭 」

 注意深く扉を開けてスルリ、と入ってきたスキンヘッドの男は、目の周りに痛々しい痣があった。
「 才 」
 と、先ほどの緩んだ顔つきとは打ってかわった剣呑な声音で名を呼ぶ男に、才は苦々しく言い直した。
「侠、乗りこんできたのはあの手練の女だけだ」
「戦況は?」
 淡々と訊く男の口の端がおかしそうに上がった。
 情けない顔をして、才が答える。
「今、雅東の頭が人質にとられてる――まるで猛獣みたいに威嚇するものだから、周りのヤツらは手を出せない。助かったとして、頭に殺されるのは目に見えてるからな」
「はっ!」
 くっくっくっと笑って、侠は胡坐〔あぐら〕をかいた膝に肘を置いた。
 その手に顎を乗せて、上目遣いで才を見る。
「まあ、時間の問題だな。――で、こっちの捜索は?」
「続いてる、お頭……侠が殴りつけた連中がしつこく探してるよ。仲間がいたって、すごい剣幕だ」
 最後の言葉は、彼なりの厭味〔いやみ〕であるらしくすげたらしく侠を見た。
 そして、
「何も、殴りつけることはなかったんじゃないですか?」
 もっと、穏便にことを進めることも可能だったと才は言う。
「 まあな 」
 侠は素直に認めた。
 反省の色はなく「だってなあ」とのんびりとした言い訳を口にする。
「傷物にしたら、嫌われるだろ?」
「 ……… 」
 誰に、とは聞くだけ野暮だ。
 スキンヘッドの男は、そんなことで……とあからさまに顔を強張らせる。
「 お頭 」

「惚れた弱味っていうんだろうけどなあ……」
 チラリ、と転がったまま彼らの話を聞いていた瑞果の方を愛しげに見る。
 しかし、それは瑞果本人を映してはいない。
「 春陽。あれはいい女だ 」
 目を見開いて、瑞果は息を呑んだ。

 全身が総毛立つのが、分かった。


*** ***


 雅東の首に剣先を突きつけたまま、春陽は眼下の光景に苦笑をのせて活目して威嚇を続ける人質に声をひそめた。
「 ねえ 」
「なんだ?」
 不機嫌な男の口は、剣を突きつけられているせいか存外に軽い。
「先客って、どんな人だったの?」
「ふん」
 雅東はさらに気分を害した。
「とぼけたことを……おまえが攫ったガキに決まってる」
「………」
 そうだとは、思っていた。
「あれは、俺の命を取りにきた人身御供だ」
 傷だらけの顔の不穏な瞳が、歪んだ。
「だから、父親をなぶってやったんだ。娘には俺じゃない男連中をあてがった……寝所で首根っこを狙われるのは御免だからなあ」
 仰け反って笑う雅東を、春陽はとんだ臆病者だと戦意が落ちるのを自覚する。
 チラリ、と周りを見れば、彼らも胸の内は同じらしい。

「 同情するわ 」

 と、つくづくと口にする。
「小娘が……何か言ったか?」
 本能的に悪口を言われたと捉〔とら〕えて、ふたたび不機嫌に低い声で男が唸った。
 その小娘に捕らえられている現実が、次第に怒りに転じてきているのかもしれない。
「ええ、気になることがひとつ」
 そろそろ潮時か、と巡らせながら春陽は訊いた。
「その 先客 は、捕まったの?」
「 ―――ッ 」
 雅東の顔が無表情になり、一気に爆発した。
 春陽の持つ細身の刀身を片腕で弾くと、血飛沫〔ちしぶき〕が飛んだ。
 ブュッ、という重い空を切る拳に春陽は飛び退〔すさ〕った。
 直撃をくらえば、致命傷。
(臆病者の馬鹿力、ね……タチが悪いわ)
 間合いをつめて構えた春陽は、腕から血を滴らせて睨み上げてくる物騒な臆病者に困惑する。
 必要な情報が、まだ少し足りない。

「よほどのヘマをしたようね、小娘一人を取りこぼすなんて」

「知るか! バカ者どもめがっ、仲間がいたとほざきに来よったわ。背後から襲われたとな!」
(なかま……?)
 雅東が飛び掛ってくるのを、春陽は身を低めてかわすとその脇をすり抜ける。
 時間稼ぎになるだろうか?
 考えるのと、空いた男の足元を引っ掛けるのとはほぼ同時。
( ――仲間ですって? )
 ひっくり返った大男を置いて、春陽は「まずいわ」と口にした。
 戦意の落ちた賊たちの間を縫って、退路を見定める。
「瑞果、あなた誰に捕まってるの……?」
 後方の騒ぎには気を置かず、春陽は窟内を闇雲に走って少女の姿を探した。


*** ***


(この人――先生を、好き?!)

 信じられなかった。
 確かに、外見は可愛いが中身は普通の男よりも強くたくましいあの先生を……。
「ふー、むー!」
 趣味悪い、と瑞果は猿轡を噛まされた口で訴えた。
 が、侠は片眉を少し上げた程度で、目をそらす。
「あの男に独り占めさせるには少々勿体ない女だ、そう思うだろう?」
「俺に訊かないでくださいよ」

 目の周りの青痣と相まって、同意を求められた才は情けない顔をした。
 バンダナを頭に巻くと、部屋を出て行く。
「 ! 」
 予告もなく、猿轡を外された瑞果は男を睨み上げると言い放った。
「ムダよ、先生には 彼 がいるわ」
「 知ってるさ 」
 飄々と侠は答え、拗ねたような少女を見下ろすと、屈〔かが〕んだ。
 クイ、と上向かせる。
「それは、そうと」
 ニヤニヤと笑う。

「――その先生と 喧嘩 でもしたのかな? お嬢さん」

 ん? と真っ赤になった瑞果を首を傾げてからかった。



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