3-5.より そう つき


(おい……。)

 出迎えるなり、いきなりキスを仕掛けられた榛比は身を引く。しかし、それはしっかりと彼女によって阻止された。
( 動かないで。 )
 と、春陽が口だけを動かした。
 そして、また唇を寄せてくる。
 視線だけを絡ませて、背後の気配に注意を払う。
(追ってきたのか。)
 榛比は少女とすれ違ったことを思い出して、あの時に気取られたのだとしたら……無様な話だと自分に向かって吐き捨てた。
(――どうする?)
 すると、さらに深く春陽は榛比に口づけた。
「 ……… 」
 ガタン。
 壁に彼女の身体を押しつけて、支える。
 強引なそれに仕方なく応えると、いたたまれなくなったのか背後の気配が遠ざかっていく。

(行ったか。)

 春陽の身体を抱いたまま、榛比は注意を解いた。
「 あ 」
 無理やりはがされた春陽が不満そうに声をあげた。
「遊んでる場合か、春陽」
 それどころじゃない、と榛比は素っ気ないほどにあっさりと抱擁から彼女を放り出して、冷ややかに促した。

 榛比には、ムードがない。
 春陽はそんな場合ではないと頭では理解しながら、現実的な彼の背中が名残惜しかった。
 しがみつきたい衝動。
「 春陽? 」
 と、榛比が訝しく彼女を呼んだ。
 なんとなく気配を読んだのかもしれない。表情が固い。
 慌てて彼に従うと、春陽はその腕に寄り添った。


*** ***


 北松〔ホクショウ〕の里長――里人には「松長〔しょうぢょう〕」と呼ばれる年長の老人はフゥと息をついた。
 早朝。
 空気が冷たく凍って朝日にキラキラと反射する外の 幻想的な 風景とはべつに、暖かに保たれた室内は 現実的に 張りつめている。
 彼の家に集まった里の主要な大人たちが囲炉裏〔いろり〕を囲んで、その動向を見守った。
 囲炉裏の炭がパチパチと鳴って、沈黙を強調する。

「 客人に頼るわけにはいかない 」

「しかし、松長さま!」
 五日前に初めて里にやってきた旅装の二人は、強い。
 だからこそ、期待した。
 松長は首を振って、頑として言い放った。
「彼も強かったではないか――我らのことで迷惑はかけられない」
「………」
 彼、とは里の用心棒をしていた樹琳〔ジュリン〕のことだと里人たちはすぐに口を噤〔つぐ〕んだ。
 じつは、あの男も里の人間ではない。
 赤子だった瑞果を伴って里を訪れた……旅中の民だった。
 その彼が、死んだ。いや、殺されたのだ。
 自分たちのせいで――。
 そう思うと、なけなしの良心が痛んだ。
 こうなることを考えなかったワケではないのに……それでも、一条の希望に望みを託したくて無理を言った。
 躊躇〔ためら〕う父親を懐柔して、娘を焚きつけた。
「――我らはどうかしていたのだ」
「松長さま……」
 後悔をあらわにする里長。
 里の皆も、一様に沈鬱な顔になる。
「とは言え、彼らを匿〔かくま〕うのにも限界があります」
「致し方なかろう……もともと、我らの問題に巻きこまれただけのこと。彼らの非ではないのだから、代償は――」

「 有難いお話ね 」

 と。背後から聞こえた女の声に、ビクリと里人たちはふり返る。
「わたしたちを逃がせば、あなたたちがただじゃすまないわよ」
「 お客人! 」
 ぎょっ、とした声で彼女を見た。
 細い華奢な体つきでありながら、しなやかな四肢をもつ少女はにっこりと笑って腰を抜かした彼らを見渡した。
「何かしら? 驚かれるようなことしたとは思わないんだけど」
 ちゃんと、玄関から入ったわよと胸を張る。
「 いや、十分だろ? 」
 と、傍観を決めこんだ「こういう場面は苦手」な榛比は春陽の自己評価に修正を加えて静かに柱にもたれた。



 春陽の申し出に、里長が躊躇った。
 願ってもないことだ――しかし、先の樹琳のようなこともある。
 どんなに腕が立ってもあの数を前にしては及ばないのだ、といい加減諦めねばならない。
 そう、それが現実だ。
「客人。それは……正直本当に心強いお言葉です。しかし、もうよいのです」
 一度来た「虎北」の使いに、嘘をついた時から選択肢はなかった。
「大丈夫よ、こっちから乗りこんでやるから……あなたたちが匿っていたなんて思うハズもないわ」
「 ! 」
 鮮やかな女の微笑みに、老人だけでなく里人みなが度肝を抜かれた。
「 それは、しかし 」
 自殺行為だと、誰もが思った。
「たぶん、あなたがたが思うよりもわたしは彼らに狙われているの。だったら、仕掛けられるより仕掛けたほうが分〔ぶ〕がいいじゃない?」
 と、肩をすくめて笑う。
 柱に寄りかかったまま立って待つ榛比は、息をついた。
 その姿は、途方に暮れている。
「怒らせすぎなんだよ、一体何をやらかしたんだか……」
 血眼になって春陽を探す賊らを目の当たりにしてきた榛比は、つくづくと呟いた。
「あれは。……不可抗力よ」
 春陽は言って、頬をわずかに染める。
 ポカン、と自分を見る里人の面々に軽く告げた。

「ね。わたしは好きで行くんだから。――だから、安心してちょうだい」



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T EXT
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