3-3.志願するこころ


 翌日の朝。
 それは、死んだ男が荼毘〔だび〕に服す日でもあった。

 遠く空の彼方へと上がる白煙に雪道を歩いていた春陽が顔を上げた。
 まるで一時、空が晴れたような陽が射してすぐに翳〔かげ〕る。後ろを行く榛比をふり返って、くすりと笑う。
「 まだ、気にしてるの? 」
 榛比はそんな春陽をチラリと見て、息をつく。

「――呆れてるだけだ」
 まさに、彼は呆れていた。
 今朝、目が覚めた瞬間に見た光景は……悪い夢のようだった。
 瞬間息を呑んでいた。
「……ッ!」
 内着姿の春陽が寝息を立てて、自分の肩にもたれている。あまりに驚いて腕にしがみついていた彼女の腕を乱暴に引き離す。
 と、春陽は手前に崩れてゴツンと落ちた。
 ゴツン?
「 ……… 」
 ぼんやりと覚醒すると、床に転がった彼女はすぐに彼を見つけた。
「 おはよー 」
「………」
 手痛い目覚めをしたハズの春陽よりも、榛比の方がなぜか憮然として彼女を空恐ろしい形相で睨んでいた。
(おはよー、じゃねーよ)
 と、彼が思っていたのかどうか――朝からとにかく機嫌が悪い。

「無防備すぎて、呆れる」
「何よ、今更」
「……うるさい」
 それを言われると、榛比も何も言い返せなかった。
 問題はそこではないのだと……実感が頭をもたげたところで口には出せない。絶対に。
「おまえにだけは……言いたくない」
 と。
 獰猛〔どうもう〕に唸〔うな〕った榛比に、春陽が不思議そうに首を傾げた。
「だから、何をそんなに怒ってるのよ?」
 不機嫌な彼の瞳は、ただ睨んで答えない。
「気になるじゃない」
「気にするな」
 低く言って、首を振る。

「 俺も忘れる 」

 春陽はそんな榛比を眺めて、ブゥと唇を尖らせた。
「忘れるも何も、わたしは何も聞いてないじゃない」
 だから、覚えとく。
 と、そ知らぬ顔でふわりと笑う。
 榛比はみるみると渋面になって「くそったれ」と口汚い悪態をついた。


*** ***


 不機嫌で物騒な男を連れて里に戻ってくると、ちょうど父親の埋葬がひと段落ついたのかワラワラと歩いている里人に出会った。
 その中には、いまだ打ちひしがれた様子の少女が里長に肩を抱かれて何事かを口にしている。
 客人二人が、月山の山道から下りてきたのを見て立ち止まる。
 引き止める里長。
 しかし、瑞果はイヤイヤと手を払いのけて春陽の傍までやってくる。
「春陽さん!」
 その尋常ならざる様子に、少し後ずさる。

( ? )

「お願い、先生。わたしを弟子にしてください」
 深々と頭を下げる。

「先生って……」
 そんなには年の違わない少女に、「先生」と呼ばれて春陽は困惑した。
 あとからやってきた里長の方を見る。
 里長は貫禄の長い髭〔ひげ〕を撫でて、首をふる。
 切迫した表情の少女は、グッと唇を噛んで訴えた。
「――強いんでしょう? だって、……あの「虎北」のヤツらの根城から逃げて来られたんだもの。わたし、分かります」
 涙が枯れた瞳は赤く充血して、瞼もぷっくりと腫れぼったい。
「だって。――だって、わたしの父はここの用心棒だった人です」
「……そう」
 春陽は、なんとなく合点がいったふうに頷いた。
「そんな気はしてたけど。でも、……」
「少しなら父から習ってます! 護身程度ですけど」
 言いよどむ春陽に、瑞果はたたみかけるように続けた。
 強く、見上げてくると、ギュッと春陽の手を取った。
 ギリギリ、と締めつけるそれに、春陽は笑った。
「教えるのは簡単よ。でも、――どうかしら? 時間がかかるわ」
 後ろに控える榛比をふり返って、首を傾げた。

 めずらしいこともあるものだ。

 と、連れの男は顔には出さずに不審に思う。
(――いつもなら、こんなことは俺の意思など無視して勝手に受けるに決まってる。なぜなら……)
 わらわらとやってきた里人たちも、揃って頭を下げる。
「 瑞果の心意気を買ってやってください」
「あの「虎北」から身を守るには、並大抵の強さじゃダメなのは分かってます。でも、この娘の父親は強かったし……この娘も父親譲りで腕が立ちます」
「このまま眠らせているよりは、あなた方のような本当に強い方に教えてもらった方が伸びるでしょう。この娘のためにもその方がいい」
「それに。――今は立てこんでいるので無理ですが、落ち着いたらあなたがたの 祝言 もさせていただきたいですし……まだ、なんでしょう?」
「え? ええまあ……」
 「祝言」の一言に、春陽は頬を染める。
「………」
 息をつき、榛比は顔を曇らせた。
 躊躇〔ためら〕っていたのが嘘のように、彼女はウキウキと態度を軟化させる。
「じゃあ、その間だけ♪」
 と、困ったように笑いながらやけに弾んだ声で頷いた。

( またかよ )

 榛比は、幾度となく訪れた展開に顔を背けて、項垂〔うなだ〕れた。



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