3-2.宴の夜


 雪深い月山の麓の里「北松〔ホクショウ〕」に入ると、里人がわらわらと少女に集まってきた。
 朦朧〔もうろう〕とした彼女は、ぼんやりと見上げて俯〔うつむ〕く。
「瑞果、戻ってきたのか……でも、どうして?」
 戻ってきたことに安堵しながら、どこか罪悪感を含んだ笑みを浮かべる。
 「瑞果〔ズイカ〕」と呼ばれた少女は、唇を噛〔か〕んだ。
「――それに、父殿は?」
「 ……… 」
 首を振って、瑞果はつい先刻〔さっき〕聞かされた真実を反芻する。
「……死んだの」
「なに?」
「あいつらに……「虎北〔コホク〕」の奴らに殺された」
 少女の肩は震えて、固く拳を握り締めていた。
 集まった里人は、それに呆然と口にする。
「なんてことだ――それじゃあ、どうやっておまえは戻ってきたんだ?」

「 助けてもらったの 」

「誰に?」
 まるで信じられない、とでも言うように彼らは瑞果に訊く。
 それほど、彼ら月山の里人にとって月山の賊「虎北」は脅威だった。
 里だけでは、どうにもできないほど――巨大化した賊集団。
 言わば、彼らは一つの国に近い。その内には「統制」があり、「懲罰」があり、「王」がいる。
 無法者の国に入って、どうやって助けられたというのか。
 よほどの多勢か、あるいは――。
「あの、旅の方に」
 そこで、ようやく「北松」の里人は里の入り口に立ついわくありげな旅装束の二人に、気がついた。

 ――あるいは、よほどの手練〔てだれ〕か。

 雪雲の合間から、一筋の光明が射しこんで薄暗かった世界を照らす。
 それは、希望なのか。それとも嵐の前触れなのか……ただ、何かの予感めいた一瞬だった。


*** ***


 一時の宿にと主のいない一軒家に案内された「恩人」の二人は、やはり誤解されていた。

 春陽の「計画的」に誇張された法螺〔ホラ〕話に里の人々はいたく感銘を受けたらしい。
 妙な厚意からちょうどよくほかの家とは離れた場所を二人に気前よく紹介すると、しかも簡単な掃除までして空け渡してくれた。
 その見返りと言おうか。
 彼ら里人の弔〔とむら〕いの宴に半ば強制的に「珍客」として参加を勧められ、ちょうどいい肴〔さかな〕となった。
 元来、――「弔い」とは逝く者が寂しくないように賑やかに送りだすことを言うのだと、彼らは笑った。

 心もとない一つの光源に照らされた天井。壁。
 中を見渡した榛比は顔をしかめた。
 それは、人が住んでいなかったがための目につく家の傷みや疲弊、里人に生じた不本意な誤解のせいではない。
 もともと野宿に慣れている彼らにとって泊まる場所を選り好みする趣向はないし……最近は周囲の誤解を気にするのも疲れてきていた。
 正直、やっている事実だけを挙げれば確かに完璧な「誤解」とも言い難い上に、否定をすれば墓穴を掘ることになりかねない。
 春陽はそういうことにはしっかりと言明する女だから。


「 ――気に食わないな 」
 なので、この榛比の言葉も里人たちの誤解を指しているワケではなかった。
 ちなみに夜の宴でしこたま酒を注〔つ〕がれた彼だったが、もっぱら酒には強いタチなのでまったく普段と変わらない。
 彼らと一緒に飲んでいた若衆は、現在宴の会場である里長〔さとおさ〕の家で酔い潰れて高イビキの最中だ。
「なにが?」
 そういう意味では、彼女も榛比と同類だった。
 ただ、少し違うのはこの元・女官の場合、多少頬が上気して普段以上にゴキゲンだというところ。
 喜々と寝間の準備に入った元・女官に対して、元・刺客は立ったまま荷物だけを置いた。
 昔の仕事柄、里人の眼差しには見覚えがあった。
 アレは、何かを期待している目だ。刺客の仕事を依頼する相手の目に、嫌というほど似ている。
 だからこそ、榛比は確信していた。
「春陽、ヤツから何を聞いた」
「ヤツ?」
「当然、あの骸〔むくろ〕に決まってる。最期、何か言い残していただろう」
 この里に下りるまでは、あの「瑞果」という名の少女のことだと思っていた。
 父親が山賊に攫〔さら〕われた娘を最期に想うのは、至極当然のなりゆきだ。
 しかし。

「 ……… 」
 春陽は黙り、チラリと仰ぐ。
「聞いてどうするの?」
「どうもしない……」
 ただ面倒臭そうに榛比は息を吐いて、彼女から離れた壁際に腰を下ろすと背中をもたれさせた。
 愛剣を片手に抱くのは、いつものことだ。

「単なる事実確認だ。厄介事なのは解〔わ〕かっている」

 そう、それは嫌なほど。
 そして、この元・女官がそういう死出際の頼みごとに、めっぽう弱いことも知っている。
「――じゃあね、教えるから……榛比?」
 黙った彼に四つん這いで近づくと、春陽はその顔を寄せる。
 しかし、その誘いは彼の手によって止められた。
 春陽の額を手のひらで受け止めると、榛比は参ったように首を振る。
「 ソレ との交換条件ならやめておく」
「なんで?」
 首を傾げる元・女官に、ニヤリと元・刺客は笑みを浮かべた。
「俺はお前ほどタフじゃない」
 くいっ、と受けていた春陽の頭を後方へ押すと、彼女の体は意外にたやすくよろめいた。
「 ほら、見ろ 」
 昨夜は例の賊と大立ち回りをやった上に、冷えきった体を温めるのに朝方までかかった。
 そして、夜が明ける前にはかの洞窟を出立しているのだ。
 榛比もだが、当然、春陽も相当に疲労している。

「――昨夜のアレで疲れてるんだ、眠らせてくれよ」
 と。
 剣を抱いて彼は低く呟いた。
 その言葉が、彼の分かりにくいなりの思いやりなのか。それとも、単に本当に疲れていたせいなのかは、分からない。
 だから、春陽はビックリしたまま、しばらく彼を眺めていた。
「 寝たの? 」
 訊いてみる。灯篭ひとつの薄明かりの中で、無言の返事だけが戻ってきた。
 ズルズルと布団の中から毛布を引っ張り出して、春陽は彼に掛け自分も一緒に包〔くるま〕った。
 あふっ、と欠伸をすると、壁に寄りかかって彼の体温を感じて……そのまま、泥のような眠りに落ちた。



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