3-1.目覚め

■ 本編「月に棲む獣」の続編本章です ■
この「月の泪、星に落つ」は、
本編「月に棲む獣」の続きであり、
序章「賊に挑む獣」直後の話です。
「賊に挑む獣」を通過してご覧になることを
オススメしちゃいます。

 身支度を整えた榛比〔ハルヒ〕が、洞穴の入り口から夜明けの空を仰いだ。

 白みゆく曇天からは音もなく雪が落ちてくる。
 一晩吹雪いたことで前日の血生臭い匂いは消えて、今はいっそ清清しい雪の気配しかしない。
「 早くしろ、春陽〔シュンヨウ〕 」
 ひとつのムシロを肩に担いで、ふり返る。
「麓〔ふもと〕の里まで、送り届けるんだろう?」
 悟りきった言い方は、相手を不本意ながら知りすぎているがために躊躇〔ためら〕いがない。
 にっこりと笑う女の顔は、見なくても分かるから見ずにおく。
 ただ、彼女の背負った幼さの残る少女に目をやって、息をつく。
「そうよ。この娘〔こ〕のこともあるし……放っとくワケにはいかないじゃない?」
(だと思ったけどな――)
 いつものことながら、春陽の世話好きには呆れ返るしかない。
 いまだ昏々と眠り続ける少女を背中に抱えて、彼女は榛比を促〔うなが〕した。


*** ***


 氷の下で流れる――水の声が聞こえた。

「 ……ん 」
 身じろぐと、春陽の背中で意識を失っていた少女はパチリと目を開けた。
 清葉〔せいは〕の二大大河のひとつである西江〔さいこう〕の源流が、ふかい雪と木々の遥か下方に流れている。見知らぬ山中で川沿いを辿るのは、無為な遭難を避ける基本だった。
 ――ザン!
 次に、すぐ傍らの木から落ちる雪の音。
 刺すような冷気といまだ降り続く雪が風と共に当たって、急激に彼女を現実へと覚醒させる。
「気づいたのね?」
 ずっと傍で響いた若い女性の声よりも、少女は視界に移る影に反応した。
 降りしきる雪の中で影はわずかに少女をふり返った。
 黒髪に、陰気な雰囲気の若い男だ。まるで、人を射〔い〕殺すような鋭く暗い眼差し。
 見覚えのある、最後に見た男の顔。
「! っん、ゃやぁっ!」
 バタバタと暴れる手足に、春陽が慌てた。
「わわっ、ダメ! 危ないからっ!! 落ち着いて」
 少女はビクリ、と身体を硬直させて呟いた。
「だ、誰?」
 その瞳はまだ、春陽よりも先を歩いていた榛比に注がれている。
「や、あ、いつらの仲間じゃ……ない、の?」
 愛想のない榛比の表情に、少女の疑心は消えない。しかし、傍で響く女の声は安心できた。
「仲間じゃないわ。良かったわね」
 ふふ、と笑う春陽の顔を間近で見て、少女は首を傾げた。
「でも、どうして? どうやってあいつらから逃げられたの? だって……」
 信じられないと、少女は首を振って現実を否定した。
 きっと、これは夢なのだと。信じたらいけない 願望 の夢なのだと。
「まあ、その辺は里に下りてから説明するわ。それより――」

 上目遣いで少女を仰ぎ、春陽は安心したと目を細める。
「本当に良かったわ。まだ、間に合ったのね?」
「間に?」
 女の意味するところが分からない少女は問い返す。
「無粋な心配だったけど……賊に襲われるっていうのは、そういうことだから。特に若い女だと、ね?」
 身体のことよ、と小さく告げる。
 真っ赤になった少女は、チラリと榛比の方をうかがって彼がそ知らぬ様子で先を行くのを確認すると、頷いた。
「暴れたから、しばらく放置されたみたい」
 目を可笑しそうに見開いて、春陽は訊いた。
「暴れたって一体、何したの?」
「イロイロ。引っ掻いたり、噛みついたり……あそこも蹴ったかも」
 真っ赤な顔のまま、真顔で言う少女に思わず春陽は笑ってしまった。
「ごめんなさい。でも、素晴らしいわ! いい心掛けね」
 コロコロと笑う陽気な彼女に、「おいおい」と彼が半ば困惑したように低く呻〔うめ〕く。
「相手の自業自得とはいえ、よく殺されなかったな。 おまえ みたいじゃないか? 春陽」
 くっとその口元が、笑った。
 笑うしか仕方ないというふうに。

「 ! 」

 突然、少女は「あ」と口を開いた。
 不審そうな男の顔に、首を振る。
「どうしたの?」
 と訊く春陽にも首を振って、黙ってしまった。

「 アレも夢じゃなかったんだ…… 」

 二人には聞こえない小さな声で、前夜の場面を思い出した少女がポツリと呟いた。



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T EXT
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