2-4.賊に挑む獣・其の四


「俺の名は、侠〔キョウ〕。――この女の身体を独り占めしているとは、羨ましい話だな」
 よく日に焼けた大きな身体を揺すって不穏に笑うと、侠はジロジロと春陽〔シュンヨウ〕を舐めまわす。
 やけに、彼女に固執するあたり……案外、本当に気に入っているのかもしれない。
 「羨ましい」とまで言われた榛比〔ハルヒ〕は、妙な顔をしたまま春陽に目線を合わせた。
 腰まで伸びた癖のない黒髪。キメの細やかな柔肌にしなやかに伸びる四肢。
 顔は、その身体能力とは裏腹に繊細な印象で、確かに可愛い部類かもしれないが――。
「 まさか、羨ましがられるとは思わなかった 」
 ポツリ、と呟く。
 と。
「酷〔ひど〕い男もいたもんだわ」
 春陽が、頬を膨らませて彼を睨〔にら〕んだ。
「その わたし に、あーんなコトやこーんなコトまでしておいて、往生際が悪すぎやしない?」
「……だから」
 自由のきく左手で、頭を押さえて榛比は複雑なため息をひとつ吐く。
(そういうトコロが、問題なんだってどうして気づかないんだ?)
 と、つくづくと思うものの、彼女からの無言の圧力についには負けた。

(――まあ、いつものことだしな)

「……春陽は俺のだから、返してもらおうか?」
 低音で静かな榛比の声に、春陽が反応した。


*** ***


「 吹雪になる―― 」

 ザッザッザッ、と闇の中、新雪を蹴る二人の足跡をふたたび降りはじめた雪が消していく。
 まだ、チラチラとした降りではあったが、じきに昨晩と同じ大雪となるだろう。
 そんな確実な予感を秘めた曇天〔どんてん〕の空には、星どころか月さえない。

「春陽、麓〔ふもと〕まで下りるのは諦めた方がいい」
 気を失ったまま深い眠りに入った少女を抱えて榛比が言うと、
「 そうね 」
 と、春陽が同意した。
 内着姿の彼女の格好は雪山の下〔もと〕でなくとも寒々しいが、動きは軽快だった。
 上機嫌と言ってもいい。
「でも、この雪は助かるわ。あいつらもこれじゃあ、深追いできないだろうし♪」
「確かに、な」
 しかし、当座の問題は屈強な追手よりも自分たちの凍死を免れる安全な場所だった。

 と。
 そうは切実に思うのだが、榛比には それ を彼女に対して訊く勇気はなかった。
 嫌な予感が、先刻〔さっき〕からの彼女の様子で次第に現実味を帯びてくる。
「 どっち? 」
 春陽が訊くので、榛比は無言で指示をした。
 夜の雪山で道標〔みちしるべ〕となるのは、春陽が残した榛比の元・商売道具だ。
 それは、特殊な植物の絞り汁を煮詰めたモノで、独特の匂いを短時間だが放出する。独特と言っても強烈な刺激臭などではなく――どちらかと言うと、他の匂いに紛れやすい生活臭に近い。
 夜の仕事を専門にしていた榛比は、それで標的の場所を把握し、逃走経路も確保していた。
(それが、まさかこうも役に立つとは思わなかったが――)
 使い慣れた匂いを頼りに、強くなりはじめた雪の山道をくぐっていく。
( しかし )
 その事実が、榛比の嫌な予感を、さらに強くした。
 この匂いの終着点があの洞窟だとすれば、逃れようがない。

「 ――榛比? 」
 洞窟が視界に入った時、春陽が呟いた。
「解〔わ〕かってる……解かってるよ」
 ほとんど諦念の面持ちで彼女を見ると、笑う。
「 温めてやるよ 」


*** ***


「かしらっ! しっかりしてくださいっ!」

「 おかしらっ! 」
 目のまわりに、青痣をつくったスキンヘッドの男が必死の形相で昏倒した侠〔キョウ〕を揺さぶった。
「あー、うるさいなあっ」
 寝起きのようなトロンとした眼差しを開けると、のろのろと上体を持ち上げる。
 月山の山賊の中でも大きな勢力を誇る「虎北〔コホク〕」の一成員であるはずの侠は、自分を頭〔かしら〕と呼ぶ若い男に剣呑な眼差しをつくり牽制した。
 そして、
「雅東〔ガトウ〕の頭に、こりゃあどやされるなあ」
 と、悪びれもせずに頭をポリポリと掻〔か〕く。

 侵入者を最悪の形で取り逃がしてしまったのは、「虎北」の総頭・雅東の逆鱗に触れるだろう。

 まさか、あの少女があれほどの手錬〔てだれ〕だったとは想像していなかった。
 いや――これは嘘だ。
 ただ、困ったことに見惚〔みと〕れてしまったのだ。
 あの、花がほころぶような笑顔に……そして、その顔のまま、自分〔敵〕との間合いを詰め、急所を的確に蹴り上げてきた時には、感動さえした。
(自分が本気で「負ける」女がいようとは……)
 一昔前に世間を騒がせた「偽狼〔ギロウ〕(注、1)」一派のひとつ「牙雲〔ガウン〕」の頭・侠はニヤリ、と笑うと苦々しく顔を顰〔しか〕めている男のガックリと落ちた肩を叩く。
「まあ、失態は俺たちだけじゃないしさ、殺されはしないだろうよ? 才〔サイ〕」



 少女が目を覚ました時、そこはまだ暗い洞窟の中だった。
 誰のモノとも知れない毛布にくるまって、ゴツゴツとした石の感触が頬を冷たく刺激する。
「 ん 」
 体中に嫌な疲労感があった。
 そして、すぐに身の上に何があったかを思い出す……乱暴を受けたそこかしこが鈍い疼痛を残している。
 頭の後ろもなんだか痛い……。
(――ここは?)
 鮮明な記憶を放棄して、少女はおぼろげな世界に目を向けた。
 この薄暗い洞窟の中は、どこか見覚えがあった。

『 ハルヒ…… 』

 と。
 その甘く掠れた女の声に、ようやく自分以外の蠢〔うごめ〕く人影に気づく。
 男と女。
 目を向けて、すぐに真っ赤になる。
(ちょ! ちょっとちょっとちょっとぉぉぉっ! 人が寝てる横で何してるのよぉぉぉっ!!)
 心中で羞恥に激しく絶叫しながら――しかし、彼女は身を起こすことも、視線を外すこともできなかった。
 それは身体が気だるかったせいかもしれないし、あるいは別の理由なのかもしれない。

『 黙れよ 』

 男の囁き。
「………ッ」
 暗闇の中、外からの雪明りでうっすらと浮き上がる二人の姿は、生々しく……それゆえに、深遠で染み入るような感情が伝わってくる。
 せがむように伸ばされた女の腕がその首にかかると、彼は静かにキスを落とした。
(……キレイ)
 ぼんやりとそんなことを思い、少女はふたたび意識が眠りへと引きずり込まれていくのを感じた。
 ――この時。
 彼女は気づいていなかった。
 その男の方が自分を失神させた 張本人 だというコトを……。



注釈1・・・>傭兵軍団。善悪関係なく、お金で雇われる強靭な兵力の軍団だったらしいが……「清葉」混乱時、分裂した模様。



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T EXT
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