2-3.賊に挑む獣・其の三


 駆け抜けていく男たちの足音に、息を潜めた春陽は祈るように見送った。
 もし、ここで見つかれば間違いなく大規模な戦闘になる。自分ひとりでは、ここの山賊全員を相手にするには体力が持ちそうになかった。
(――誤算だったな。……まさか、こんなに大きな賊だとは思わなかった)
 ふっ、と胸元に目をやって乱れたそこを、縛りなおす。
 それでも、下着の内着だけという、何とも心許〔こころもと〕ないあらわな姿ではあったが――。

「 ひゃっ! 」

 後ろから羽交い絞めにされた春陽は、思わず声を上げそうになって口を塞〔ふさ〕がれた。
 ビュッ、と彼女の鋭い手刀が飛ぶ。しかし、彼は難なく交わして、疲れたように息をつく。
「……俺を殺す気か? 春陽」
「 ! 」
 初めて、相手をまじまじと見る。
 どうやら、自分は思ったよりも緊張していたらしい……「彼」の気配にまったく気づかず、あまつさえ攻撃するなんて。
 不覚を通り越して、薄情だ――。
「榛比……」
「なんだ?」
 春陽の妙な眼差しに、榛比は反射的に身を引いた。
 しかし、彼女がそれを許さない。
 ギュゥゥ、と彼の首にしがみつくと嬉々として言った。
「ゴメン。生きて、ここを出ようね」
 ふふ、と無邪気に笑う元・女官に、元・刺客はゲンナリとなる。
「そのつもりだ――最初から、な」

「――それで、気になってるんだけどこの娘〔こ〕は何?」
 少し、拗〔す〕ねたように上目遣いで榛比を仰ぎ、その背中の少女を見る。
 まだ、十の年を過ぎてそうは年が経ってないあどけない娘だ。
「ああ、おまえが探してた娘だろう? おそらくな」
 どことなく死んだ男の面影を宿した少女は、青白くぐったりとしている。
 春陽は少女の前髪に触れて、安堵する。
「良かった……生きてるね」
「それはどうかな。どうやらコトの後だったらしいから、案外生きる方が地獄だ」
「――それでも」
 強い意志の春陽のこの眼差しに、榛比はもう慣れていた。ただ、素直にそれを受け入れるワケにはいかないというだけで……そっけなく返すしかない。

「生きていればいい、か。しかし、――おまえほど誰もが強くはないぞ」

 とは言うものの、この自分の背中でぐったりとなっている少女が、案外強いかもしれないことを榛比は知っていた。
 なにしろ、春陽の騒ぎに乗じて助けに入った榛比を山賊の仲間と信じて、歯向かってきたくらいなのだ……説得が面倒なので、昏倒させたのは元・刺客の彼らしい選択だった。


*** ***


 山肌に作られた山賊たちの根城。
 元・炭鉱であるらしいその狭い通路を駆け抜ける二人の侵入者に、山賊たちは躍起になって行く手を閉ざし、逃げ道を塞いだ。
 しかし、彼らには不運なことに……その狭すぎる通路と入り組んだ構造が、侵入者には好都合だった。
 狭すぎるがゆえに多勢に無勢という数の上での絶対的な優勢が発揮できず、入り組んだ道は恰好の目くらましに利用された。

「くそっ!」

 山賊の一人が苛立って毒づく間に、一人また一人と彼らの仲間が倒されて転がっていく。
 それらを踏みつけにして、山賊たちは侵入者に止め処なく飛び掛る……その繰り返し。

 春陽〔シュンヨウ〕は、飛び掛ってきた新手に身体を躍〔おど〕らせると、一蹴〔いっしゅう〕してわずかに空いた突破口にすかさず滑り込ませると、呼んだ。
「 榛比〔ハルヒ〕! 」
「分かってる、先に行け」
「 イヤ 」
 疲労に息を乱れさせた春陽は、それでも素直には応じなかった。
「馬鹿か? おまえのその格好は目立ちすぎるんだ……俺はどうとでもなる」
 開けた突破口は、すぐに閉ざされるだろう。
 榛比は当たり前のように自分を待つ少女に、呆れた。
 それは、自殺行為に近い。
「早く、行けよ」
「ダメ。榛比だって、その娘〔こ〕抱えてたら同じじゃない……ホント、嘘下手なんだから。使っても無駄よ」
「……ほっとけ」
 心の赴〔おもむ〕くままに、向かってくる山賊の一人に八つ当たりの鉄拳を食らわせながら、低く呟く。

 と、榛比はハッとした。
 彼女の背後に影が見えた。
「 春陽! 」
「え?」
 と、振り返るよりも影の方が早かった。
 内着姿の春陽を、顔の見えぬ腕が死角へと引きずりこむのと同時に、榛比の視界は白い煙に覆われた。



 横穴に引きずり込まれ、春陽は何とか腕を振りほどこうと抵抗する。
 まずは、肘鉄。それから、蹴り。身体を低くして、相手を投げ飛ばそうと腕を取ろうとするが、相手は巧みにそれをかわした。
(――まずい)
 と、内心春陽は焦り、次にギクリと身を硬くした。
 乱れた内着の合わせ目が、見事なまでに緩んでいる。
 そして、くにゃりと背後から掴まれた。両方のふくらみは相手の掌中〔しょうちゅう〕にある。
「……ひゃっ!」
 容赦なく触れられて、春陽は思わず声を上げた。救いは、まだ内着の上からだという事くらいか――。

 わきわき、と弄ぶような指の動きに春陽は、怒りを覚える。
「この――っ、人の胸になにすんのよっ!」
 一際鋭い手刀を背後に突き出すと、相手は先ほどとは打って変わってアッサリと春陽を解放した。
「人の胸で遊ぶなんて! 最低よ」
 殺意のない相手に油断したとは言え、胸を好きに触られたのは予定外の失態だった。相手は、榛比ではない。
 それが、一番重大だ。
 どうせ遊ばれるなら、彼がいいに決まってる。というか、なかなかそうは動いてくれないのが悲しいくらいだというのに。
 春陽を出し抜いた男は、無精ひげを撫でてみせニヤニヤと笑った。
「前払いだ。おまえたちを逃がしてやろうってんだから、それなりの報酬はいただかないとなー」
「……無断で何、言って――」
 あまりの悪意のなさに春陽は気を殺がれた。そして、次に映った相手の顔に目を瞠〔みは〕る。

「顔を合わせるのは、二度目だな。春陽」
 彼は、春陽をここまで連れてきた山賊の頭角。
「何のつもり?」
 くくく、と男は低く笑うと、楽しそうに言った。
「どうやら、頭からのおこぼれは期待できないらしい。そんなワケで内職でもしようかと思ってな……いい話だと思わないか?」
 春陽の乱れた内着姿を舐めるように眺めて、一点で目を止める。
 その男の目の先に何があるかを知ると、春陽は目を細めて冷たく言った。
「やらしいわね。――折角だけど、わたしの身体はそこを含めて榛比のモノよ」

「 何の話だ? 何の 」
 と。
 春陽の言葉に呆れたように呟いて、横穴の扉をあけて白い煙幕から逃れてきたのは榛比だった。
 昏々と意識を失ったままの少女を背負い、右腕では目のまわりに立派な青痣〔あざ〕をつくった山賊の首をギュウギュウと締め上げる。
 その姿は、どこか途方に暮れていた。



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