2-0-3.女たちの砦



 侵入者を捕り逃がしたと分かると、大麗は榛比を呼びつけて訊いた。
「女、だったの?」
 暗に黙して肯定を示すと、苦慮の表情を浮かべて榛比を見る。
「剣を交えただけ?」
 その問いに、榛比は違和感を覚えて「どういう意味だ?」と低く問う。
「いいえ。何か思い出さなかったか……と思っただけよ」
「………」
 質問を終わらせるような口調で言いながら、彼女は榛比からの返事を諦めていなかった。執拗に探る彼女の視線に無関心を装って「何も」と答える。
 彼のそれにわずかに眉根を上げ、大麗は「そうか」と頷く。

「ただ、会って分かったこともある」

「なに?」
「あの女は確かに……俺の だった。いけ好かない 手錬 には違いない」
 口にしながら、「迎えに来る」と言い放った姿が目に浮かぶ。仮にも用心棒である彼を馬鹿にした言い草も、ここまでくるといささか笑える。
(彼女らしい、とでも言うべきか――)
 ふと、そんな思いが浮かんで……榛比は自分の手に女の指が滑るのを感じた。
 間近に大麗の瞳が微笑んで、腕を絡める。
「……わたしが何を考えているか、分かる?」
 榛比は彼女を見下ろして、抑揚のない言葉で答えた。
「知る、必要はない」
「どうして? わたしはおまえが何を考えているのか、知りたいよ……榛比」
 男の腕に頬を寄せねっとりと絡みつく 女 の視線にゾッとして、彼は早々にここから離れようと考えた。
 腕を取る女の手を払って踵を返す。
 「どこへ行く?」という大麗の問いに、「見張りに」とだけ告げて榛比はふり向きもせずに退散した。



「見張り、ね」
 大麗は微笑んで、誘惑に乗らなかった榛比に払われた手をおかしそうに眺める。
 大抵の男は、コレで落ちたものだが――。
「だが、そんな手にかかる男どもは信用に足る人物ではない。わたしたちの子種となる男は、もっと高貴な心の持ち主でなければ……」
 初めて二人を見た時から、ただの旅人ではないと感じていた。同行している女との関係や強さ、見え隠れする愛情の深さにこの男なら叶うかもしれないと思った。
(彼なら、わたしたちを裏切らない 夫 となってくれる?)
 しかし、忘れ草を行使しても彼の記憶を完全に消し去ることはできなかった。それだけ愛情が深いのか、単に薬に強い体なのかもしれない。

( どちらにしても、手放すには惜しい )

 高い戦闘能力も。
 躊躇いのない他人への非情さも。
 無自覚な情の強〔こわ〕さも……自分たちにはないものだから。

 大麗は仲間全員を呼び集めると、彼を絶対に逃がさないよう監視を強化するとともに、忘れ草を絶やさないように言いつけた。


*** ***


 榛比はこういう 雰囲気 は苦手だった。
 すぐにでもこの場所から離れなければ……と思うのだが、どうやら相手はそう易々と逃がしてくれるつもりがないらしい。
 ここにきて、ようやく彼女たちが仕組んだことなのだと確信めいた 勘 が働いた。いまだ記憶は混濁としたままだったが、それにさえ疑心が浮かぶ。
(ハメられたか――)
 用意された食事を目の前に、榛比は目をすがめた。
 少量ずつ服用させれば、薬の効力を持続できるのだ。たとえば、記憶を失わせる薬があるとすれば……失った記憶を失ったままに補強することはできるということ。
 いつも一人で食事をするからその彼の様子を訝しむ者はいない。が、辺りをうかがえば彼の動きをつぶさに監視する人の気配がいくつかあった。
(食べないわけにはいかない、か? 仕方ないな)
 不審がられない程度に腹を満たして、残りは裾に隠した。空〔カラ〕になった皿を放置して、榛比はここから逃れる方法を真剣に吟味し始める。
 実力行使でいくのなら、簡単だった。
 相手を動けないようにすればいいだけ。女と年老いた人間しかいないこの集団なら、榛比が躊躇わなければすぐにでも出て行ける。
 剣の柄に手を添えて、舌打ちする。
「邪魔をするか、春陽。俺は……おまえを ほとんど 思い出せないんだがな」
 どれほどの記憶なのか、と口の端を曲げて榛比は歪んだ笑みを浮かべてみせた。
 朝の――清々しい時間、だった。



 ズサッ、と春陽は鬱蒼とした樹海の真ん中にひっそりと建つ屋敷の門の前にやってきて、門の前にいた若い女にニッコリと笑った。
「門を開けてくださる? 中の人に用があるの」
 サッ、と顔を強張らせた女が慌てて門の横にある小さな出入り口に入っていくのを確認して、それほど高くない門扉を見上げた。
 軽く跳躍をすれば、中に入ることは簡単だ。
(――先の夜に大体の位置は確認済みだし)
 扉が開く気配はない。そうと理解すると、春陽は軽く助走をつけて跳躍し、門の屋根へと手をつけて反動を利用して体を背面へジャンプさせ、屋根の上へと舞い降りる。
 すでに、門扉の近くには屋敷の人間が集まりつつあった。
 くすり、と紅ののった唇を笑みの形にして口にする。

「 約束通り……迎えに来たわよ、榛比 」



二.記憶の中の星の数へ。 <・・・ 2-0-3 ・・・> 四.謀略と愛情の果てへ。

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