2-0-4.謀略と愛情の果て



 ガキン、と剣を合わせて春陽と榛比は視線を間近で絡めた。
「 分からないわ 」
 と、彼女はさも理解できないと首を振った。
「どうして、そんなに怒っているのか……教えてくれない?」
 頑丈な彼の剣とやり合うのは、細身の剣を使う春陽としては避けたいことだった。ピンッ、と剣を弾くと、飛び退って間合いをとる。
 榛比は不機嫌に唸って、片手で剣を構えなおした。
「俺は 約束 なんかしていない。昔のことは 忘れた んだ」
 ぼそり、と呟くと、「本気で来い」と殺気を帯びた眼差しで見据える。

「――春陽」

「望むところ」
 喜色満面の笑みを浮かべて、彼女は両手で剣を構え地面を蹴った。


*** ***


 しなやかに女の体は宙を舞って、重い男の太刀筋をかわし距離をもって着地する。
 二人の戦いが始まってそれほど時間は経っていないが、すでに数えられないほどの攻防が繰り広げられた。周囲にいる女たちも加勢を目論みながら、手をこまねくしかない。
 そのスピードに目が追いつかない。あるいは、目で追うことで精一杯で無理に手を出せば、逆に相手の勝機を呼ぶ危険さえあった。
 黙って見つめるしかなかった、というのが正直なところか。
「はっ!」
 榛比の重い剣を何度目かに受け止めた春陽が少し、顔を歪めた。
 まともな彼の力を剣で支え、支えきれずに体を傾ける。それでも、何とか体勢を戻して地面を蹴る。
 身軽な彼女が彼の肩に足をかけ、背後へ飛ぶ。
 すぐに背後へと構えなおした榛比は、荒い息を少し整え……ニヤリ、と笑った。
「疲れてきたか?」
「――さあ、どうかしらね」
 肩口が裂けた着物から、赤い血が滲んでいた。先程の流しきれなかった剣による、傷だ。続く攻防の中、少しずつ増えていく傷口は、剣によるものばかりではない。
 身体能力を行使する彼女の戦闘スタイルは、時間が長引けば長引く分だけ不利になる。
 擦れた膝小僧や、外に出た腕のあちこちに泥がつき、赤黒く汚れいてる。
 対して、時間が長引けば有利になるのは 彼 だった。
 身体能力は五分五分、スピードはやや彼女の方が上回るし、柔軟性も高いため動きを制することが重要になる。無闇に剣をふるえば、彼女の思うツボだろう。
 頬を拭った榛比は、そこにかすり傷があることに今になって気づいた。
(……いつの間に?)
「少しは思い出した?」
 満身創痍の風体でにこりと笑う。
 黒髪、黒の目……幽霊なんかじゃない生身の女は、手強い。

「ああ、少しだけ」

「じゃあ、コレが 最後 よ――榛比」
 言って、突進してくる春陽に榛比の剣が動いた。

「春陽」

 彼を巧妙に避けた彼女の剣はだらりと脇に垂れて、彼の剣は赤く血に濡れていた。
 彼女の胸に裂け目がある。
 春陽の唇が囁いた。
「わたしが死ななかったら、また 約束 して。誰も殺さないって……わたしと共に、生きて」
「……あんな 約束 は、二度としない」
 榛比は答えて、彼女はぐったりと目を閉じた。



 「よくやったわ」と労いに来た大麗を一瞥して、その腕を払う。
「まだ、生きてる。せいぜい 寝首 を取られないよう……気をつけることだ」
 と、意識を失った春陽の体を回収する女たちに視線を投げる。
「あんな状態で、どうやって?」
 まったく考えられない、と大麗は意に介さなかったが、榛比の様子が気になった。
「そういう、食えない 女 だからさ」
「思い出したというの? すべてを――」
「いや…… すべて じゃない」
 すべてじゃないから、もどかしい……と榛比は首を振る。
( 何か ひとつ が足りない )

「………」

 だから、それが……どれほどの記憶だというのだろう。関係ない。
 自嘲して口端を上げると、榛比はそこに興味を失って背中を向けた。


 ――あんな約束は、二度としない。
 一度すれば、十分だ。



三.女たちの砦へ。 <・・・ 2-0-4 ・・・> 五.傷だらけの囚人へ。

T EXT
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