2-0-4.謀略と愛情の果て
「――春陽」
「望むところ」
しなやかに女の体は宙を舞って、重い男の太刀筋をかわし距離をもって着地する。 二人の戦いが始まってそれほど時間は経っていないが、すでに数えられないほどの攻防が繰り広げられた。周囲にいる女たちも加勢を目論みながら、手をこまねくしかない。 そのスピードに目が追いつかない。あるいは、目で追うことで精一杯で無理に手を出せば、逆に相手の勝機を呼ぶ危険さえあった。 黙って見つめるしかなかった、というのが正直なところか。 「はっ!」 榛比の重い剣を何度目かに受け止めた春陽が少し、顔を歪めた。 まともな彼の力を剣で支え、支えきれずに体を傾ける。それでも、何とか体勢を戻して地面を蹴る。 身軽な彼女が彼の肩に足をかけ、背後へ飛ぶ。 すぐに背後へと構えなおした榛比は、荒い息を少し整え……ニヤリ、と笑った。 「疲れてきたか?」 「――さあ、どうかしらね」 肩口が裂けた着物から、赤い血が滲んでいた。先程の流しきれなかった剣による、傷だ。続く攻防の中、少しずつ増えていく傷口は、剣によるものばかりではない。 身体能力を行使する彼女の戦闘スタイルは、時間が長引けば長引く分だけ不利になる。 擦れた膝小僧や、外に出た腕のあちこちに泥がつき、赤黒く汚れいてる。 対して、時間が長引けば有利になるのは 彼 だった。 身体能力は五分五分、スピードはやや彼女の方が上回るし、柔軟性も高いため動きを制することが重要になる。無闇に剣をふるえば、彼女の思うツボだろう。 頬を拭った榛比は、そこにかすり傷があることに今になって気づいた。 (……いつの間に?) 「少しは思い出した?」 満身創痍の風体でにこりと笑う。 黒髪、黒の目……幽霊なんかじゃない生身の女は、手強い。 「ああ、少しだけ」
「じゃあ、コレが 最後 よ――榛比」 「春陽」
彼を巧妙に避けた彼女の剣はだらりと脇に垂れて、彼の剣は赤く血に濡れていた。
「………」
だから、それが……どれほどの記憶だというのだろう。関係ない。
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