1-4.よる、つき、接触?
「 ふあ…… 」
昼間。榛比と春陽はそれぞれ同じようにあくびをした。
刺客は清薇〔セイラ〕にあるおのれの寝床のひとつで、女官は後宮の奏姫の目の前で……という場所は少々ちがっていたが。
刺客は布団にくるまった状態で身を起こし、トロンとしたままの目をこすった。
なにしろ彼がここに戻ったのは、明け方を過ぎてほとんど朝だったのだ。
(ダメだ、もう一眠りするか)
ムーとした顔のまま、粗末な寝床に撃沈する。
女官はというと、元気な皇女からの質問責めである。
「なぁにー? ねむたいの、ねえさま」
「はあ…いえ、ちょっと…」
ほんの少し、立ち直った幼い皇女〔ひめ〕は、支えとなってくれる女官に多大な信頼をよせている。
心配そうに顔をよせ、訊いた。
「ビョウキじゃないよね?」
と。
女官はその真剣な様子に困惑した。
(……ちょっと、遊びすぎましたとは言えないな)
しかも、相手が相手であるから、奏姫への配慮も複雑になる。
この二人の夜更かしの理由は同じ、であった。
毎夜、榛比は春陽の寝床に現れるようになった。
こう言うと、少し「色っぽい」感じがする。しかし、現実の姿はと言うと……。
「 甘い! 」
ペシリ、と忍び足で自分の剣に近付こうとした榛比へ、春陽の容赦ない平手が飛ぶ。
刺客(のはずである)の手の甲は赤くなる。しかして、彼が顔を思いっきりしかめたのは、その痛みからくるものではない。
カラカラと女官(のはずである)は笑った。
「さあ! 今日も榛比の負けよ。座りなさい」
仕方なく榛比は床に腰を下ろした。
部屋にある窓からは、月明りがほんのりと差しこんでいた。
彼が座ると、春陽も向き合う形で座りこむ。
ウキウキと腰から花札を取りだし、配りはじめる。
「………」
すでに毎夜のこととなりつつあるコレに、榛比は驚かなかった。というよりは、最初の夜のことを思いだしては、まだいいと達観した姿勢をみせる。
(「しりとり」よりはよほどマシというものだ……)
持ち札を確認しつつ、榛比はチラリと武闘の達人である女官を盗み見る。
「イノシカチョウイノシカチョウ☆」
(こうして見ると、とても強そうには見えないんだが……)
かなり複雑に、彼は札山に手を伸ばした。
そんなゲームの間、時折彼女は世間話や身の上話めいたことをポツリポツリと呟く。
生計をたてるため、清薇の街で護衛の仕事をはじめたこと。
少し有名になった頃(何しろ十四・五の娘がいずれも腕におぼえのある強者を倒すのだ)、皇城よりの使いが来て皇帝の護衛女官におさまったこと。
自分が両親を亡くしていること。などなど。
「生きる術はぜんぶおじいさんから学んだの」
榛比はふと、彼女の瞳を見た。
まえまえから「それ」に対して違和感はあったのだ。
「おまえのその目、奇妙だな」
春陽は持ち札から視線を離さずに、問いかえす。
「どんなふうに?」
「まるでそのじいさんに負い目でもあるみたいだ」
何気なしに、榛比は呟く。 春陽の口元が微笑み、けれど本当には笑えなかった。
「そうよ。彼には負い目があるの」
榛比は札に目を落としその言葉を聞き流そうとした。
が、春陽がそうはさせなかった。
「あなたはいくつの時に、初めて人を殺したの?」
榛比は意外に思って、顔を上げる。身の上話はしても、彼の過去を訊かないのが彼女だった。
「さあ? 多分、六つくらい……だったんじゃないか?」
「そう。私は十の頃だったわ」
札を抜こうとした榛比の手が止まり、目の前の女官の顔を確かに見る。
「なん、だって?」
「そんなに驚く?」
春陽はくすり、と笑って表情を歪めた。
「よく、覚えてる。彼は何もしなかった……すれば、私を殺してしまうと知っていたから」
春陽の話を聞いていて、榛比は頭が混乱してきた。
(最初は一体、なんの話だったか……確か、じいさんの話だった……それから?)
ハッと息をのむと、彼は女官に訊いた。
「「彼」ってじいさんのことか?」
「 うん 」
思いのほか、春陽は落ちついていた。
「彼が私の両親を殺した刺客だって言ったから……教えなきゃいいのに……教えたから、私、許すことができなかった」
『私のため』……そう、言った彼女の言葉が今更ながらに思い出された。
(つまりは、これは罪滅ぼしというわけか)
榛比からすれば、お笑い種なネタだった。
それは、彼女が負うべき「負い目」では決してないだろうからだ。
クックックッと笑いを噛み殺して、榛比は春陽に言ってやった。
「じいさんは望んで殺されたんだ。おまえが負い目を感じることないじゃないか」
春陽は刺客がそう言うだろうことを予測していたのか、動じなかった。
ただ、札を広げて最強の組みであることを示す。
「私は許せなかった「自分」が許せない。――言ったでしょ? これは「私のため」だって」
強い眼差しに榛比は顔を背けた。
いつだって、この女官にはかなわないのだ。
*** ***
うっ…うー
聞き慣れた幼な子の嗚咽に、春陽も榛比も何も言わなかった。
女官が立ち、隣の部屋に向かう。
奏姫は思い出したように母を恋しがって泣くのだ。
刺客は無造作に立てかけられた剣に興味を示していたが、結局動かなかった。
それは、女官が戻ってくるのが早かったせいかもしれないし、ただの見栄なのかもしれない。
「よく飽きもせず泣けるもんだ」
ほとほと嫌気がさしたのか、表情を歪めた榛比が、戻ってきた女官に聞こえよがしに言う。
じーっとその刺客の横顔を凝視して、春陽はくすくすと笑った。
「 あなたは優しいから 」
さらに顔を強ばらせ、榛比はそばにある春陽の顔をにらんだ。
「いつまでいうつもりだ?」
「 ずっと 」
「よしてくれ」
右手でふり払い、榛比は女を見ようとしない。
「本当よ。ほかの誰もが許さなくても、私があなたを許すから」
「 罪滅ぼしに? 」
下卑た笑みを口元に浮かべた青年を、春陽はまっすぐと見返した。
「私がそうしたいから。「負い目」を感じなくていいと言ってくれたあなたに」
「 馬鹿な 」
言いながら、すいと二人の唇が触れあった。
どちらから寄せたのかは、分からない。
目と目が月闇の中であう。
深くまじりあう……。
「 ! 」
ガタガタッ
榛比の方が、夢から覚めたように大きく飛びのいた。
ガチャリ、と後ろについた手に剣の鞘がぶちあたる。
「……ッ」
かすかに刺客は息をのんだ。
が。柄をしっかりと握ると、鞘から刀身をぬく。
指に力をこめようとして、榛比は顔を背けた。
彼が音もなく部屋から去るのを、春陽はただ黙って見ていた。
いや、榛比以上に彼女は動揺していた。
(彼は会いに来てくれるだろうか?)
自問して、否定する。
(いえ、もうきっと来ない。彼は……)
そう思うと、さらに動揺がひどくなる。
会えなくなる……。
それだけで、まるで絶望的な気分だった。
三.再会へ。 <・・・ 1-4 ・・・> 五.黒い雲へ。
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